泡沫の希望
大体、我々は被支配者でしかありません。国は平等を旗に掲げていますが、旗手の取り巻きが、既得権益を貪り、為政者の責任放棄等により、本当に公共の福祉を求めている人へ行き届いていないと感じます。幸せのあり方を熟孝しなければいけないのかもしれません。
何故、人は建前を用意しやければ動けないのか。少しだけ考えて見たことがあった。そんやものは人それぞれであるが、確実に本音と建前が引っ付いている。あまりにも耳に痛い話なのだが本音と建前が、密着していると顕在意識と無意識に対して洗脳の様な現象が起こってしまう。
例えば煙草である。マスコミに、某半国有企業に多額の広告料を払い、直接的な煙草利権の情報を取り上げず、更にはマスコミは煙草という品物を禁煙のあり方や、分煙の進捗、喫煙者、非喫煙者の意見を毎日垂れ流しています。何故、そのような事をしているかというと、マスコミへの多額の広告料により、スポンサーとしての脅しが出来るから。
そして、一番の驚異的な効果をあげていることは、喫煙者に対して、洗脳レベルでの無意識下への植え付けであると考える。
無意識下への干渉とはどの様なものだと言うと、これが簡単で、喫煙席や、ポケット灰皿、コマーシャルの煙草の禁煙外来やらの自分が今まで何気無く聞いていたりして、無意識に刷り込まれているものであったりする。また、喫煙を否定しているポスターや動画が流れるが、全く無意味である。
人間は好奇心旺盛で、更に毎日無意識下に煙草の事を刷り込まれているのだ。
その状態で顕在意識によって行動に移れば恐らく禁煙などできないであろうと考える。
禁煙の最中に無意識下に煙草のことを刷り込まれて、治療が終了したとしても、恐らく5分5分くらいの成功確率の治癒で終ると思う。
まあ、そもそも自分の無意識下の煙草を吸いたいという思いが顕在意識に働きかけて上手く禁煙出来ないのだから、失敗はしょうがないと思って良いのではないのかと、自分の見解です。
なんか、書いててようわからなくなってきた。頭がぼうっとしてしまっている。白痴じゃないかと思う時もある。