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santa!

作者: 清水いく

 ここは、サンタクロース局N支店。

 今日は、クリスマス・イブ。


 マーシーは、空を見上げていた。

 今夜は、空が澄んでいる。星が、輝いてきれいだ。


 ☆ ☆


 配達センターに戻ったマーシーは、いきなり人とぶつかりそうになった。


「お、すま……」

「どこ見てんだ!気をつけろよ!」


 謝ろうとしたマーシーに、怒鳴り声が降りかかる。マーシーは、苛立ちを全身に纏った相手の男を見て、眉を顰めた。配達局員のチェイスだ。


「マーシー。こんな所に居てくれちゃ、邪魔だよ」


 チェイスは苛立ちを隠そうともせず、神経質そうな目を一層細めて、マーシーを睨んだ。

 チェイスは、このサンタクロース局N支店の、最も期待されている若手注目株だ。毎年、誰よりも多くかつ早くプレゼントを配り終えるという、N局のみならず、本局のお偉方にも覚えのめでたい有能な配達員だった。


「悪いが俺たち、あんたたちと違って、忙しいんだ。じい様たちには世話かけないから、安心して〈ラスティ〉に居てくれよ」


 チェイスは、早口でまくし立ててきた。

 マーシーは、この男が苦手だった。いや、もっとはっきり言ってしまえば、大嫌いだった。

 理由は簡単、ソリが合わないから。

 この男は、融通も効かないし面白みもない。何より、あの人を見下すようなあの目が嫌だ。マーシーは、チェイスに会うたびにそう思った。

 しかし、マーシーは短気な方ではない。


「ああ、そうするよ」


 短く答え、オレなど構わずに早く行けよとばかりにひらひらと手を振って、チェイスに背を向け歩き出す。

 狭い廊下を、慌ただしく行き交う局員に混じり、マーシーは建物の奥へと進んで行った。


「やあ、マーシー。おつかれさま」

「おつかれ。気をつけて行けよ」

「ありがとう」


 途中、チェイスとは正反対の人の好い若者、エドワードとすれ違い、肩を叩いて激励する。

 やがて、マーシーの今夜の詰め所である〈シルバールーム〉にたどり着き、錆びれたドアを開けた。


「よう。遅かったじゃないか」

「天気は、どうだ?」


 シルバールームの長椅子では、すでに人が寛いでいた。

 マーシーと同じく、今夜この部屋で待機を命じられている、チャーリーとハリーだ。

 マーシー、チャーリー、ハリーは、正規の配達員に何か問題が起こり、万が一クリスマスの夜にプレゼントを配達できなくなった場合に、その手伝いにまわる、控えの配達員であった。

 控えの配達員とはいえ、三人とも、少し前までは第一線でトナカイを飛ばし、数多のプレゼントを迅速かつ正確に届けていた大ベテランたちである。高齢で一度は退職したが、本局たっての願いで戻って来たという、スーパーなご隠居ヘルパーたちなのだ。


「天気は晴れだ。今夜のドライブは、最高だな」


 マーシーは、にやりと笑って、入口近くの長椅子に腰掛けた。


「どうりで冷えるわけだ。おー、寒。こんなに冷えちゃ、俺も年だね」

「何を今更。年寄りだから、俺たち、ここにいるんだろうが」

「そりゃ、そうだ」


 三人で顔を見合わせて、がはははと陽気に笑う。

 このシルバールームが、チェイスのような一部の配達員の中で〈ラスティルーム=錆び付いた部屋〉という別名で呼ばれていることを、三人とも知っていた。

 ただ単にドアが錆び付いているからだけではない。腕の錆びれた者の部屋という意味なのだ。

 そうと分かっていても、三人とも言いたいものには言わせておけと、どこ吹く風だった。口に出して言いはしないが、皆、まだまだやれると自分を強く信じていたから。

 ただ悔しいことに、それを見せつけてやる機会がない。ヘルパーご隠居組ができて、現場へ駆けつけたのは、これまでにたった一度きり。しかも、わずかな時間だった。

 まあ、それが本来の姿なのだろうと、マーシーは思う。

 プレゼントの配達が大幅に遅れて届かないなんて事態は、シャレにならない。

 だいたいマーシーが現場にいた頃だって、そんなことは一度もなかったし、あってはならないことだから。

 来るとは思えない出番に備えながら、しばらくマーシーたちは、思い出話に花を咲かせた。

 ハリーの昔の武勇伝に区切りがついた頃、マーシーは懐からチョコレートの箱を取り出した。ひょっとして出動なんてことになるといけないから、ウイスキー入りのボンボンは食べられない。それが、少しばかり残念だ。

 俺にもと、横から手を出してきたチャーリーにチョコレートを分ける。向かいに座るハリーにも箱を差し出すと、ハリーは首を横に振り、


「ダイエット中なんだ……」


 さも残念そうに、大きくため息をついた。


「そろそろ、出発式の時間じゃないか?」

「ん?もう、そんな時間か?」

「この年になると、時間の流れが分からなくていかんな」

「どっちにしろ、俺たちには関係ないか」


 灰色にくすんだ壁に掛けられた時計は、間も無く十二時を差そうとしていた。

 十二時になれば、澄んだ音色の出発の鐘が鳴り響く。


「今年も、無事に終わるといいな」


 真顔で、ぽつりと呟いたハリーの言葉に、チャーリーとマーシーは黙って深く頷いた。

 時間内に正確に、全てのプレゼントを贈り届ける。それが、昔も今も変わらない、配達員の使命なのだから。


 ☆ ☆


「で、俺とマーガレットは、一緒に天国の扉を叩いたって訳さ」

「その、〈俺の可愛い〉天界の受付嬢も、今じゃ泣く子も黙る、天界の鬼門番だからねえ」

「ははっ!天国の扉どころか、オレ達には、家の扉さえ怖くて叩けねえなぁ」


 出発の鐘が鳴り終わり、また楽しく昔話にひと花咲かせていると、誰かがシルバールームのドアをドンドンと激しく叩いた。

 三人は何事かと顔を見合わせた。


「大変だ!」


 マーシーがドアを開けてやると、総務部の留守番職員のシリルが血相を変えて飛び込んできた。


「何か、あったのか?」

「なんだい、忘れ物か?」

「もしや、俺たちの出番か?」


 少しばかり緊張しながら、三人がそれぞれに聞く。

 シリルは走って来たようで、肩が激しく上下している。呼吸も整えずに、叫ぶように話し出した。


「仕分け機の隙間から、新しい手紙が出てきたんです!プレゼントの用意も届け先の確認も、何もかもこれからやらなきゃいけない!とにかく来て!助けが欲しいんです!」


 ☆ ☆


 マーシー達が、シリルの後に続いて手紙の仕分け工場に入ると、機械の前で、支店長のジェームズと仕分け部のジミーが、難しい顔で話をしているところだった。


「困ったことになった……」


 三人に気づいたジミーが、弱り切った顔を上げた。三人を手招きする。


「こんな事態、初めてだ……。もう、出発の鐘は鳴ったんたぞ。もう、とっくに十二時は過ぎてるんだ!」


 この状況を受け入れたくないのか、支店長のジェームズは、軽いパニックを起こしているようだ。せわしなく、髭のない顎を撫でまわしている。

 支店長と言えども、マーシー達からしたら、子どもみたいなものだ。マーシーは、駄々をこねる子どもをあやすように、ジェームズの肩を軽く叩いた。


「まあ、落ち着けよ、ジェームズ。……それで、その手紙は?」

「これなんだかね……」


 マーシーは、ジミーから受け取った手紙を開いた。

 眼鏡をかけ直して、見やすい距離を調節する。横から、ハリーとチャーリーも覗き込んできた。

 紙の上には、覚えたばかりだろうと思われる、ひどく躍った、大きな字が並んでいる。


 《サンタさんへ


 おかあさんに、もお1かい、おとうさんにあわせてあげてください。

 おかあさんわ、いつもがんぼつてるから、おとうさんに、ぎゆつてしてもらえるよおに。


 もりもと けんたろう》


「ほう……」

 ところどころ文字が間違っているが、内容は分かる。

 手紙を読み終えたマーシーは、目を丸くした。


「こりゃ、また……」

「なかなか、いい手紙じゃあないか」


 ハリーが微笑み、チャーリーが感心したように頷く。

 しかし、すぐにジミーやジェームズと同じような顔つきになって、長い髭を扱き始めた。


「よりによって〈形ないもの〉か。……これは、難題だな」


 三人は、顔を見合わせた。

 通常、プレゼントの希望が書かれた手紙は、仕分け局で、その内容に沿って〈形あるもの〉と〈形ないもの〉にざっくりと分けられる。

 その後、〈形あるもの〉の手紙は、妖精の粉が入った変換マシーンにセットされて、プレゼントボックスが作られる。例えば、「くまのぬいぐるみが欲しい」という手紙なら、その手紙を変換マシーンにセットすると、くまのぬいぐるみが入った箱が出てくるというように。

 〈形ないもの〉の手紙の場合は、少々複雑だ。

 まず、審査部に持ち込まれ、贈り物として成立するか否かを審査される。

 無事に審査を通った手紙は、次に、特殊班の手に渡り、プレゼントを作るために必要な部品が集められる。

 最後に、〈形あるもの〉同様、手紙はその部品と一緒に変換マシーンにセットされ、ようやく、プレゼントボックスの出来上がりとなる。

 マーシーの目の前にある、もりもとけんたろうからの手紙は、仕分け機にかけるまでもなく、この多数の工程を必要とする〈形ないもの〉の手紙だ。


「もう、こっちのでも、良いんじゃないか?」


 ジェームズが、手紙の上部を指差した。

 そこには、取り消しの二重線が引かれた文字が並んでいた。

 二重線の下には、《オウ!レンジャーの、へんしんべるとをください》というリクエストがあった。


「確かに、そうすれば十分間に合いますけど……」


 おずおずといった感じでシリルが言うと、ジェームズは、決まりとばかりに、ぱんっと手を叩いた。


「じゃ、そうするぞ!」


 しかし、マーシーをはじめ、ハリーもチャーリーもジミーも、誰も返事をしない。一度はジェームズの意見を肯定したかのように見えたシリルまでもが、唖然としてジェームズを見ていた。


「いやぁ……」

「それは、ないだろ」

「自分のプレゼントを諦めてまで、望んでるですよ」

「この子の気持ちを、無駄にする気か?」

「何とかしてやろうじゃないか。オレたちの仕事は、荷物を運ぶことじゃない、奇蹟を起こすことじゃなかったか?」


「そ、それは、……」


 みなの視線を一斉に集めて、ジェームズは一瞬怯んだが、すぐに、くいと顔を上げ直した。


「じゃあ、どうするんだ。時間は限られてるんだぞ!」


 支店長という立場でありながら、開き直った態度で周囲を見回した。

 見回されたところで、良い策を提案できる者は、誰もいない。みな一様に、頭を抱えてしまった。


「特殊班が必要だな……」

「だけど、特殊班を待ってたら、それこそ間に合わないぞ」

「オレ達が、その代わりをやるしかないな」

「特殊班の仕事なんて、見当もつかねえ……」


 マーシーもハリーも、チャーリーも、みな生粋の配達員で、特殊班など、全くの畑違いだった。仕分け部に長いこと勤務しているジミーも、まだ年若いシリルも、似たようなものだ。


「……確か、局長は特殊班にいたことが、ありましたよね?」


 シリルが、おずおずとジェームズを見た。

 また一斉に、みなの視線がジェームズに集まる。今度は、みなの視線に、少しばかりの期待が混じっていた。


「や、……もう十何年もの前だ」


 みなの視線に押されるように、ジェームズは一歩後ろへ下がった。


「なら、できるだろ?」


 眼鏡越しにマーシーが言うと、ジェームズは顔を強張らせた。


「無茶言うなよ。このリクエスト、半端なく面倒だぞ。だいたい、死んだ親父ってことは、天界に交渉しなきゃならない。今からじゃ、裏から手でも回さなきゃ、とても間に合わない!」

「……じゃあ、裏から、手を回せればいいんだな?」


 あることを思いついたマーシーが、ジェームズに確認する。ジェームズが「そりゃ、そうできれば早いよな」と頷くのを待って、マーシーはチャーリーの肩をぽんと叩いた。


「天界の受付嬢に、知り合いがいるじゃないか」

「……マーガレットか?……ちょうど会いたいと思ってたところだ」


 チャーリーが、にやりと笑った。


「なら、決まりだ。天界との交渉は、チャーリーに任せて、配達先と天候の詳細確認は」

「俺が引き受けるよ、マーシー。地理と天気の事なら、俺にもできる」


 マーシーの言葉を引き継いで、ハリーが胸を叩いた。

 マーシーは、深く頷いた。配達先の下調べは、ベテラン配達員のハリーなら、何の問題もない。むしろ、その辺の調査部の職員より、よっぽど頼りになるというものだ。


「なら、配達はオレが行こう。これでどうだ、ジェームズ。何とかなりそうじゃないか」

「……本当に何とかなるのか?……いや、なったとしても、だ。そもそもその手紙、審査を通過してないじゃないか」


 マーシーの提案に、納得しかけたジェームズだったが、すぐにまた問題を見つけ出して、詰め寄ってきた。マーシーも負けてはいない。


「審査なんているか。この坊やの手紙の、どこが贈り物に値しないって言うんだ?」

「……そういうことじゃない。手紙の虚偽の判断やら、贈り主の性格やらも、審査の対象になるんだよ。この手紙の場合は、さらに贈られる方の審査も。……喜んでもらえなきゃ、意味ないだろ?」

「なるほど……」

「だから、いろいろ面倒なんだ。……第一、審査部なんて、とっくの昔に帰ってるよ」


 今度はジェームズの言葉に、マーシーが納得させられる。だがマーシーは、諦めない。せっかく、希望が見えてきたのだ。


「叩き起こせ」

「はあ?」

「局長命令で、叩き起こせよ。オレが、菓子折でもなんでも持って、審査部まで出向くから。贈り主と届け主の情報がもらえるだけでもいい」

「……そこまでやって、万一審査の通らない、残念な手紙だったらどうするんだ?」


 ジェームズが、少しばかり憐れむような眼差しで、マーシーを見た。

 ジェームズが心配するように万一嘘の手紙であったなら、今からやろうとする事全てが水の泡になる。

 マーシーは、一瞬、黙り込んだ。ゆっくりとハリーとチャーリーを、そして他の三人を見回した。


「……その時はその時だ。オレは、この手紙を信じたいんだ。……とは言え、オレひとりじゃ何にもできないんだが」

「俺は、マーガレットに会えるなら、それでいいさ」

「俺も別に構わないよ。どうせ暇だからな」


 チャーリーがウインクし、ハリーが口の端をきゅっと上げる。ジミーやシリルも頷いていた。

 ジェームズは、大きく息を吐いた。


「好きにしろ。……天界には、私も付いて行く。部品が足りないと困るからな」

「……頼むぜ、支店長!」


 マーシーは、ジェームズの背中を強く叩いた。

 みなの顔に、少しずつ明るさが戻ってきた。

 時計の針は、間も無く一時を差そうとしていた。


 ☆ ☆


 審査部の建物は、配達センターから少しばかり離れた所にあった。

 マーシーは、審査部の玄関前にいた。

 老体の割にマーシーの足が速かったのか、はたまた審査部の職員の寝起きが非常に悪いのか、まだ審査部の建物内に人の気配はなく、真っ暗だった。

 それでも念のため、マーシーは呼鈴を鳴らした。返事はない。マーシーは、ドアを蹴飛ばした。雪がどさりと、屋根から落ちた。

 その時、後ろから雪を踏みしめる音が聞こえてきた。振り返ると、小さな灯りがゆっくりと近づいている。


「すまんが、走ってもらえんか」


 大声で呼びかけると、灯りは一瞬止まった後、近づく速度がぐんと速くなり、やがてマーシーの目の前に男がひとり現れた。

 天界へと急ぎ立った支店長の代わりに、シリルが叩き起こした審査部の職員は、まだ経験の浅そうな、ひょろっとした青年だった。


「何なんですか、突然の呼び出しって」


 眠いのか、明らかに機嫌は良くない。マーシーの顔をろくに見ようともせず、鍵を回しドアを開けた。電気をつけ、そして欠伸をひとつ……。マーシーは、怒鳴りたくなる気持ちを、ぐっとこらえた。


「オレは、配達部のマーシーだ。用件はシリルから聞いていると思うが。……とりあえず、来てくれた礼に……これでも食うか?」


 マーシーは、ポケットからチョコレートをひとつ取り出した。

 本当なら休憩の合間に味わおうと思っていた、クリスマス限定の特別チョコレートだ。

 ジェームズの前で、審査部に菓子折でも持って行くと豪語してはみたものの、そんなものを用意する余裕があるはずもない。その菓子折の代わりのチョコレートだった。


「あ、ども……」


 審査部員は、突然目の前に出された、大ぶりの丸いチョコレートを、怪訝そうに受け取ったところで、やっとマーシーの顔を見た。


「ひょっとして、食堂のオリビアの旦那さんですか?」

「あ?……ああ、そうだが」


 いきなり妻の名前を出されて、マーシーは出鼻をくじかれた気分だった。


「やっぱり!その名前と、このチョコレートでピンと来たんです。オリビアが、うちの主人もチョコレートに目がないって話してたから。これ、クリスマス限定の特別チョコですよね?僕も買いました」


 さっきまでの不機嫌そうな表情は、どこへやら。審査部員は、人懐こい笑顔を見せていた。

 話題がオリビアとチョコレートになり、マーシーは、幾らかこの青年を見直した。チョコレート好きに悪い奴はいないというのが、マーシーの持論でもあった。


「僕、審査部のアレックスです。オリビアにいつもお世話になってて。食堂に行くと、おかずをよくサービスしてくれるんです。もっと食べろって。……ああ、僕だけじゃないですよ。オリビアは優しいから、僕みたいなぺーぺーはみんなお世話になってます。何たって僕ら、食欲あるのにお金ありませんから」


 聞いてもいないことを話し、アレックスは快活に笑った。

 釣られてマーシーも笑った。妻のことを褒められるのも、悪い気はしない。それからお喋りなところは、まるで、相棒のトナカイのカーチスみたいだと、マーシーは思った。

 だけれど、アレックスの話をゆっくりと聞いている時間もない。


「すまんが、アレックス。時間がないんだ。早速、これを頼む」


 マーシーは手紙を取り出し、アレックスに渡した。

 アレックスは、一度デスクに行き、銀色の手袋をはめて戻ってきた。手紙を手に取り、表情を変えることなく、ひととおり文字に目を通した後、裏表をひっくり返して、最後に指で紙を弾いた。


「これはまた、厄介なものが残ってましたね。……何せ、僕ひとりなんで、少し時間はかかりますけど、頑張ります。日頃、オリビアに世話になってる分を、返さなきゃ!」


 アレックスは若者らしく、きびきびと動いた。


「まず、真偽を確かめます。一緒に来ますか?」

「ああ」


 鍵を解除したアレックスに付いて、マーシーは《静水室》へと入った。

 初めて入る部屋は、意外と小さかった。部屋の中央に石柱があり、大きめの水盆が置かれていた。

 アレックスが、その水盆に手紙を入れた。


「沈まなければ真。沈めば溶けてなくなってしまいます」


 アレックスとともに、マーシーはじっと水盆の中の手紙を見つめた。もしここで、この手紙が沈めば、全てが文字通り、水の泡だ。


「……どうやら、真ですね」


 アレックスが、水盆から手紙を引き揚げる。不思議なことに、手紙はどこも濡れていなかった。


「そうか」


 マーシーは、自分の目が間違ってなかったことにほっとする一方で、これからのことを考えていた。手紙が真なら、何としても、間に合わせたい。


「ここから、頑張らないと。次は、もりもとけんたろうについて、調べますね」

「手伝えることがあったら、何でも言ってくれ。オレにもできることが、きっとあるはずだ」


 マーシーは、アレックスにそう告げた。


 ☆ ☆


「……どこが、伝説の受付嬢なんだ」

「しっ!……聞かれたら、何されるか分からんぞ」


 チャーリーが、ジェームズを小声でたしなめる。

 ジェームズとチャーリーは、天界の個室で、マーガレットが連れてきてくれる担当者を待っているところだった。

 天界を訪れたジェームズとチャーリーは、受付で名刺を示し、マーガレットを指名した。

 チャーリーの名刺が効いたのか、ただ機嫌が良かっただけなのか測りかねるが、マーガレットはすぐにロビーまで会いに来てくれた。

 事情をざっと話すと、同情したマーガレットは協力を快諾してくれ、担当者と話をつける手筈を整えてくれることになった。

 チャーリーは、マーガレットと熱い抱擁を交わしたのだが、ジェームズはと言えば、マーガレットを見て凍りついていた。

 マーガレットの出で立ちは、真っ赤なワンピースに黒のジャケット、黒のハイヒール。背筋もピンと伸び、申し分ない。……ただ、顔は女盛りをとうに過ぎた、老女だった。

 マーガレットの年齢は、ジェームズの母と変わりないという情報を与えなかったチャーリーが悪いのだが、伝説の美女が来るとばかり期待していたジェームズの落胆は、チャーリーが笑ってしまうほど大きかった。


「お前、美女見に天界に来たわけじゃないだろに」

「チャーリーに言われたくない!」


 チャーリーが目を剥くジェームズを宥めていると、「お待たせ」と、マーガレットがひとりの男を従えて戻ってきた。


「こちら、霊魂部のグレイ。要るものはみんな彼が用意してくれるから。付いて行くといいわ」


 マーガレットは、艶やかなウインクをチャーリーに投げて寄越した。


「では、こちらへ」


 促すグレイに従い、ふたりが行こうとすると、部屋を出る寸前で、マーガレットがぐいとジェームズの腕を引いた。


「あなたは私と。チャーリーの用が済むまで、私に付き合ってもらうわ」

「や……、私は、支店長として責任が……」

「何だよ、マーガレット。目の前で堂々と浮気か?」

「嫌だわ、チャーリー。ヤキモチ焼いてくれるの?……あなたは、何年も好き勝手やっておいて?」


 ぎろりとマーガレットに睨まれて、思わずチャーリーは、後ずさった。これでも、女の殺気を見極める目はあると、チャーリーは自負している。


「心配ご無用よ。少し手伝ってもらいたいことがあるだけだから」

「ま、何だ。ジェームズ、後は俺に任せて、待っててくれ」

「ちょっと待て、チャーリー。チャーリー!」


 やれ、怖い目に遭ったと苦笑いしながら、支店長らしからぬ悲鳴をあげるジェームズをおいて、チャーリーは部屋のドアを閉め、グレイの後を追った。


 ☆ ☆


「これと、これと、これだろ?……あれ?何でこれが出て来るんだ?……あ、これと、これと、……これか?」


 ハリーは、資料室で地図表示機と格闘していた。

 ハリーが現役を退いてまだ二年だというのに、地図の見方も天気図の見方も、すっかり様変わりしてしまっている。

 ハリーは、思いつくまま目の前のボタンを押す。またまた、ピンコンという警告音とともに画面にエラーコードが表示され、ハリーはベレー帽を脱いで、天を仰いだ。丸く綺麗に禿げた、頭の天辺が露わになる。


「ハリー、多分、ここはこれだと思うけど」


 いつの間にか来ていたシリルが、隣から、慣れた手つきでボタンを押すと、無事に画面は切り替わり、目的のコードを入力する画面が現れた。


「助かったよ、シリル。……最近じゃ、何でもかんでも機械化されて、困ったもんだ」

「便利ですよ。時間もかからないし。ハリー、ここにコード番号を入れて」


 ぶつぶつ文句を呟いていたハリーは、シリルに先を促され、また帽子を頭に乗せ直し、手にしたメモを見た。

 ハリーの目とメモの距離は、実に遠い。

 メモには、手紙から読み取った、届け先の住所を示すコード番号が記されている。


「あー、HKD−54RUS−27–813……」


 何度も確かめながらゆっくりと入れ、確定ボタンを押した。

 途端にまた、ピンコンとエラーがなる。


「あー、何だよ。……H、K、D、5、4……」


 一度入力した文字を全て消し、ハリーはまたコードを打ち込んでいく。ひと文字ひと文字、丁寧に。

 打ち込んだところで、もう一度確認し、「よし」と確定ボタンを押した。……が、またピンコン!と、無情にもエラー音が響く。


「なあ、シリル、どこか間違ってるか?」


 たまらずハリーは、シリルに助けを求めた。

 シリルが画面を覗き込んで、コード番号を手元の資料と付き合わせた。


「いや、間違ってませんね。……全部最初から、確認しますか。私がやりますから」


 シリルは、いまいちハリーが信用できないのか、折角出てきたコード画面さえ消し去り、機械そのものの電源を落とした。

 ハリーは、ゆっくりと立ち上がり、シリルに椅子を譲ってやった。

 シリルは、また一から機械の電源を入れ、個人認証画面をクリアーし、地図アプリを立ち上げ、あっという間に再びコード画面を表示させた。

 自分とは桁違いの早さに、ハリーが「ほほう」と感心して見ている間に、シリルはコード番号を入れ終え、確定ボタンを押す。と。

 ピンコン!

 またもや、エラー音が鳴った。

 シリルがもう一度コード番号を入れ直すが、同じことだった。


「どうしてだ……?」


 シリルまで、頭を抱える。


「……まさか、この家、登録されてないとか」

「つまり、登録されてないから、出てこないということか?」

「そういうことになりますね。……最悪だ、届け先が見つけられないなんて!」

「何だ、それだけのことか」


 シリルが真っ青になって叫ぶ横で、ハリーが暢気に言う。


「機械に入ってなくても、どこかにあるだろ。地図持って来てくれ。探すから」


 ハリーは、資料室の中央に置かれた長椅子にどかっと腰を下ろし、シリルを見上げた。


「地図ったって、どんだけあると思ってるんですか!」

「ざっと五千冊くらいだな」

「……⁉︎馬鹿言わないで下さい、今から全部見るつもりですか?」

「……馬鹿はどっちだ。そんなこと、するかいな。だいたい何のためにコード番号があると思ってんだ?」

「……何のためですか?」


 真顔で尋ねてきたシリルを、ハリーは驚いたように見つめ返した。


「場所を示すためだよ!HKDはエリア、54はその位置、RUSは地方、その後に地区やら地名やら番地やらが、記されてるんだ」

「そうだったんですか……」

「……ほれ、感心してないで、まず1027巻の地図を持って来い。それから、今日の天気図もだ」

「天気図……?」

「掲示板に貼ってあるだろ、今の奴は、誰も見てねえかもしれないが。位置さえ分かりゃ、天気だって判断できる。……ほれ、さっさと動け!」


 ハリーに急かされ、シリルは弾かれたように椅子から立ち上がり、資料室の奥へと消えた。


「何とかより年の功ってやつだな」


 ハリーは、自分に気合を入れるように帽子を被り直した。


 ☆ ☆


「あーら、マーシー、久しぶりだねえ。まさか、俺が呼び出されることになるとは、夢にも思ってなかったよ」

「オレだって、同じさ」


 マーシーは、トナカイ舎で相棒のトナカイ、カーチスと向き合っていた。

 マーシーは、制服姿になっていた。

 やはり、赤地に白い縁取りの分厚いサンタ服を着ると、身が引き締まるなと、マーシーは思った。それは、また少し大きくなったマーシーの腹回りが、若干、締め付けられているせいだけではない。

 マーシーが、審査部から配達センターに戻って来たのは、今から三十分ほど前のことだ。

 手紙の審査は、全て無事に通過した。

 急いでセンターに戻ったマーシーは、届け先を確認し終えたハリー達と合流して、ジミーの待つ変換室に向かったのだが、まだ天界に行ったチャーリーとジェームズが戻っておらず、プレゼントボックスを作ることができない。

 そこでマーシーは、あとをハリー達に任せて、ひとまず先に制服に着替えて、そりの準備に取り掛かることにしたのだった。


「またマーシーと一緒に、聖夜のドライブできるなんて、嬉しいね」


 カーチスは、食べかけのリンゴを一旦手に取り、マーシーに顔を擦り寄せた。


「よ、よせ……」


 マーシーの頭に、カーチスの角が当たり、サンタ帽が脱げて落ちた。マーシーは、よいしょと身を屈め、帽子を拾う。


「破れたら、どうするんだ」

「あ、悪いね。でもいい加減、うまく避けれるようになってくれよ。もう何年、付き合ってると思ってるのさ」

「五十年とちょっとだな」

「……どうりで。マーシーが、爺さんに見えるわけだ」

「お互いさまだろ」


 マーシーは、帽子を深く被り直し、柵を外してカーチスを外へと連れ出した。

 そこにはすでに、磨き上げられたそりが用意されていた。

 外は雪こそ降っていないが、身を刺すような寒さだ。吐く息が白く凍る。星は、まだ美しく輝いている。


「おーぉ、ドライブ日和だな」


 カーチスが、嬉しそうに空を見上げている。


「途中まではな」


 マーシーも、カーチスに並んで空を見上げた。


「配達先は北エリアだ。ハリーの話によると、明け方近くまで雪が降ってるらしい。積雪もかなりあって、その上、広野の一軒家だそうだ。……見つけにくいかもしれないな」

「心配することないよ。いざとなれば、俺のこの赤鼻が光るさ」

「お前さんの鼻、いつから光るようになったんだ?」

「……もうそろそろ、ならないかなあ、俺の鼻。伝説のトナカイ・ルドルフみたいに」

「……頼りにしてるよ」


 マーシーとカーチスは、互いに顔を見合わせて笑った。

 マーシーは、ブラシを手にして、カーチスの毛並みを整え始めた。


「やっぱり、聖夜に毛並みを整えてもらうってのは、特別だね。何かこう、身が引き締まるね」


 カーチスは、気持ち良さそうに目を細めた。ブラシをかけられたカーチスの毛並みが、段々と艶を増していく。


「……カーチス、またちょっと肥えたんじゃないか?」

「失礼な!……ここ最近暇だから、食っちゃ寝してたからかな」

「おいおい、ちゃんと走れるんだろうな」

「途中で腹が減らなきゃね。大体、心配するほど荷物はないんだろ?」

「ああ、ひとつだけだし、軽いだろうな」


 ブラシをかけ終えたマーシーは、今度は慣れた手つきで、カーチスとそりを繋いでいく。


「その、忘れられた気の毒なプレゼントを貰えるのは、どんな子?」


 背筋をしゃんと伸ばしつつ、カーチスが聞いた。


「五歳の坊やの母親だ」

「……子どもじゃ、ないのか?」

「リクエストは、子どもの方だ。母親に、亡くなった父親を合わせて欲しいってさ」

「〈形なし〉プレゼントの方だったか……。喜んでもらえそうなのかい?」

「ああ。審査部で聞いた話じゃ何でも、その父親はレスキュー隊員で、仕事中に事故で逝っちまったんだと。その後、母親ひとりで坊やを育ててるが、その母親は坊やの父親、つまり旦那だな、に、もう一度、会いたいって願ってるそうな。……口に出して、言いはしないがな」

「……子どもってのは、敏感だからね」

「そうだな」


 しみじみと呟くカーチスに、マーシーも同感する。


「何としても、届けなきゃな」


 どちらからともなく言い出して、互いに強く頷いた。

 そりを繋ぎ終えたマーシーは、納屋へと向かい、大きな黒い箱を抱えて戻ってきた。

 箱の中には、トナカイ専用の背飾りと首飾りが入っていた。

 赤地に金、銀、緑の模様があしらわれていて、煌びやかだ。遥か昔から、クリスマス局に代々受け継がれている、とても貴重なものだ。

 マーシーは、箱から慎重に取り出し、ひとつずつカーチスにつけた。

 全ての支度が終わる頃、マーシーの目に、ざっ、ざっと、雪を踏みしめながら走る影が見えた。マーシーとカーチスに向かって、まっすぐ走ってくる。

 シリルだった。


「できた!……できた!」


 シリルは、息を切らしながら、大切に腕の中に抱え込んでいた小さな箱を、マーシーに差し出した。


「ほほう!やったな!」


 マーシーは、喜びの声を上げ、長い髭をひと撫でした。

 マーシーが受け取ったその箱は、赤い格子柄の包み紙に、金色のリボンがかけられた、プレゼントボックスだった。

 マーシーは、ポケットから小さな白い袋を出して、その中にそっとボックスを入れた。

 シリルの後ろには、まだ影が続いていた。チャーリーとハリー、そしてジミーが、息を切らしながら走ってくる。一番後ろには、なぜかアレックスに背負われたジェームズがいた。


「……どうしたんだ、ジェームズ?」

「天界で、お婆さんとダンスを踊らされたとか……」


 カーチスの問いに、首を傾げながら、シリルが答える。その言葉に、


「マーガレットだな!」

「マーガレットか!」


 マーシーとカーチスは同時に叫んで、ぶっと吹き出した。

 ひとしき笑い終えた頃、みなが到着した。


「待たせたな、マーシー」

「おつかれさん、チャーリー」


 マーシーとチャーリーが、互いの手と手を打ち合わせた。


「大変だったようだな」

「いや、俺は何もしてなくてさ。ジェームズのおかげだよ。なあ、支店長」


 チャーリーが、ジェームズにウインクを投げた。

 そのジェームズは、アレックスの背から慌てて降りたところだった。足取りもままならぬ様子で叫ぶ。


「急げ、マーシー!時間は限られてる」

「ああ、行ってくる」


 深く頷いて、マーシーはそりに乗り込んだ。白い袋を、荷台に置く。


「気をつけてな」

「帰ったら、呑みに行こうぜ」

「落っこちるんじゃねえぞ」

「……オレを誰だと思ってる!」

「頼んだぞ!カーチスも」

「……俺は、ついでか!」


 みなから口々に見送りの言葉をもらい、マーシーは、両手でしっかりと手綱を握った。

 聖なる夜に、二回目のジェームズの声が響く。


「出発の鐘を鳴らせ ー!」


 出発の鐘の澄んだ音色を合図に、カーチスがゆっくりと走り出した。

 そりは静かに雪の上を滑り、やがて空へと舞い上がる。マーシーと、たったひとつの小さなプレゼントを乗せて。


 空は澄んでいる。きらきらと、星が美しい。


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