Borghildr
ダンメルクの王には娘がいた。
名をボルグヒルドという。
彼女は名高いヴォルスング一族のシグムンド王の花嫁となった。
戦場で盾を打ち鳴らすかのように怒声が飛び交い、盃がぶつかり合う。
羊が何頭も焼かれ、肉の脂の匂いがいつまでもその場に充ちていた。
その場に転がる数えきれないほどの木樽には、つい先ほどまで麦酒が詰められていたのだろうことは容易に想像できた。
シグムンドとボルグヒルドの婚礼は誰も見たことがないほどに盛大な宴となった。
その輪の中心で、彼女は王の隣に座っていた。
それはボルグヒルドにとって人生で最も輝かしい瞬間であった。
並ぶ者のない勇士の妻となり、彼の人生を支えることは彼女にとって、一族にとって誉れであった。
故国ダンメルクでは永く語り継がれることとなろう。
王の隣で夢のような心地でいると、鎧を着こんだ一団がやってきた。
「おお、帰ってきたか」
シグムンド王が席を立ち、諸手を広げる。
先頭を歩いていた血に濡れた男が、王の前に跪いた。
彼はその功績を称え、肩を抱いて立ち上がらせると、
「儂の片腕のシンフィヨトリだ」
そう言ってボルグヒルドに紹介をした。
「これは強いぞ」
心底嬉しそうにその背中を叩く。
すると照れくさそうに、男がはにかむ。
けれどその眼が――。
思わず息を飲む。
それはまるで野獣のような眼光であった。
狼のようとさえ謳われるシグムンド王の眼を更に煮詰めたような、ギラギラとした野性的な美しさを秘めていた。
「堅苦しいことはいい。
さあ、此度の戦果を報告してくれ」
まるで旧知の仲のように、嬉しそうに王がシンフィヨトリを隣に座らせて、親しげに酒を注いだ。
その様子に王妃はひとつの噂を思い出して、胸が痛んだ。
――シグムンド王には息子がいる。
――それは妹との間にできた禁忌の子だ。
その噂は事実であると、ふたりの様子を見て直感する。
だから私、本当にいい継母に、兄妹になろうと思いましたの。
私とそう歳の変わらないシンフィヨトリ。
雄渾たるや比べる者のないシンフィヨトリ。
王を愛し、愛されるうちに私は子どもを身ごもった。
無事に産まれてきてくれたその子は古王ヒョルヴァルズにあやかってヘルギと名付けられた。
あの方御子ですもの。きっと優秀な戦士になってくれることでしょう。
あのシンフィヨトリよりも……きっと……。
戦士たちも国民も、誰をも納得させなければ、シグムンド王の跡継ぎとしては支持されない。
そのことをヘルギもわかっていたのでしょう。
シンフィヨトリの指導の下で数多の国や巨人たちと戦い、
ついに単身フンディングの収める土地に乗り込んで、見事名高いその首を討ち取り二つ名を得た。
――<フンディング殺し>。
これで誰も彼の功績に疑いを持つ者はいなくなったことでしょう。
そこまではよかった。あぁ、けれどその後が悪かった。
フンディング王を殺害したのち、ヘルギは敵地にて一族の復讐から逃れるために、あろうことか下女に変装をして窮地を乗り切った。
それが誉れあるヴォルスング一族のすることか。
事の顛末を聞いた時、私は烈火のごとく怒り狂った。
いっそ戦って死ぬべきだったのだ。そうすればヘルギの功績に傷が付くことはなかったのに。
それでも我が子が無事に生きていることには少なからず安堵したものだった。
その後彼は逃げ延びた先でどこぞの女――これは彼の宿命だったのだろうけど――と結婚して、義弟に裏切られ殺されたという。
あぁ、可哀そうなヘルギ、私の子!
……私も歳を取りました。
私が第二子を授からず、万が一王が世継ぎを作らぬまま逝去すれば、
世継ぎとしてのシンフィヨトリに注目が集まってしまうことでしょう。
……そうすれば彼の咎が顕わになってしまう。
年の近い彼を、私は兄のように慕っていましたのよ。
私の貞操に誓って――
いいえ、それ以上は言いますまい。
私の地位も身分も誇りも――総てを投げうってでも――王と彼の咎を後世に残してはおけない。
……シンフィヨトリは英雄のまま死ななければならない。
私はダンメルクの娘、シグムンド王の妻。
王への裏切り行為を、申し開くつもりはありません。
どうぞ若い女を娶りなおして、一族を繫栄させてください。
けれど彼は、シンフィヨトリは殺させていただきます。
殺すほど、愛していましたの。




