第7話「やればできる子の宣戦布告」
泥濘の目覚め
翌日。カオス城の制御中枢は、凍り付くような沈黙と、熱を帯びた説教が交錯する異様な空間となっていた。
「……う, あ……」
ユウサクは玉座の隅で、もはや原型を留めぬスライム状の塊となって蹲っていた。
凄まじい頭痛。二日酔いなどという生易しいものではない。昨夜、ヨルゲンと交わした「鋼鉄を溶かす酒」が、グリッチ細胞と混ざり合って脳を内側から焼き続けている。
「――聞いていらっしゃいますの、魔王様!? そもそも昨夜、あのような場所で、あそのような醜態を晒すなど……魔王としての威厳を、一体どこへ捨ててこられたのです!」
シズクは白磁の肌を厳しく強張らせ、手にした杖で床を激しく叩いた。
ユウサクは重い瞼を持ち上げようとしたが、意識は泥の中に沈んだままだ。シズクの言葉が呪文のように遠のき、いつしか彼は、玉座の上で小さく「……す, ぴ……」と寝息を立て始めた。
「――寝ていらっしゃいますのね!? この状況で、よくも……! 」
氷点下の怒気が部屋を包み込み、ユウサクは激しい衝撃と共に意識を強制浮上させられた。杖の石突きが床を叩く振動が、直接脳髄を揺さぶる。
「あ, ああ、すんません……聞いてます, 聞いてますよ……」
「いいえ、聞いていませんでしたわ! もう一度、最初からお説教させていただきます!」
ユウサクは絶望した。40男 of 二日酔いには、正論こそが最も有害な毒だった。
浅葱の雅なる嘲弄
浅葱の冷ややかな声が、どこからともなく響き渡った。
「あら。シズクに拾い上げられ、おめおめと逃げ帰ってきたか。そちのその無様な姿、わらわの興を削ぐどころか、いっそ滑稽ですらあるな」
城の肉壁が静かに波打ち、そこから浅葱が凛とした佇まいで姿を現した。
彼女の纏う空気は、混沌を統べる種の女王としての絶対的な静寂。背中の二枚羽を扇のように美しく畳み、床に這いつくばるユウサクを、路傍の壊れた玩具でも眺めるかのような冷徹な眼差しで見下ろした。
「……はいはい。ばかですよ、俺は。二日酔いの, 救いようのない40男ですよ……. あー、うるさい。脳みそが沸騰しそうだ……」
ユウサクは力なく毒づく。
浅葱は冷ややかな微笑を湛え、ユウサクの傍らに静かに佇んだ。
「ふふ、左様. そちは愚か者。なれど、その愚かさが世界に混濁をもたらすからこそ、わらわの興味も尽きぬというものだ。……暫しの間、シズクの騒がしい調べにでも耳を傾けているがよい。わらわを飽きさせぬ程度には、な」
歪んだ信頼の暴走
「……いいえ。魔王様、わたくし、ようやく理解いたしました」
不意に、シズクの怒声が止まった。
彼女は杖を握りしめたまま、何か「聖なる啓示」でも受けたかのような、陶酔した表情を浮かべる。
「え, 何が……?」
「魔王様がなぜ、あえてあのような無様な姿を晒したのか。……それは、わたくしへの無言の抗議だったのですわ! わたくしが、魔王様のお世話を、そこで軍の管理を完璧にこなしすぎたがゆえに……!」
「いや、シズクさん? 話の筋がよく見えないんだけど……」
「魔王様は、本当は『やればできる子』なのです! できないのではなく、わたくしが『やらせなかった』から、あえてご自身を無能の殻に閉じ込めていらした……! 魔王様ほどの『混沌の王』が本気を出せば、聖浄軍の機械人形など、赤子の手をひねるようなもの……!」
シズクの目は、もはやユウサクという現実を見ていなかった。
「ですから、わたくし、先ほど聖浄軍の本部まで足を運び、直接『宣戦布告』の手紙を叩きつけてまいりましたわ! ついでに警備の兵士を十体ほど、こちらへ運び入れました。……今頃は本部のマザーも逆上して、全軍に討伐命令を下しているはずですわ!」
「……。……え, 直接?」
ユウサクの酔いが一瞬で醒めた。
「ええ。本部はパニック、地平を埋め立つほどの討伐軍がこちらへ向かっておりますわ! ショウゴ少佐も第一艦隊を率いて、真っ先にこちらを捕捉するよう命じられたようです。……さあ、魔王様! あなたの真の力を、管理社会の軍勢に見せつけて差し上げなさい!」
「宣戦布告、そしてこれほどの土産とは。……よろしい。ユウサク、わらわの次の糧は、あの白銀の機械人形にいたそうか。軍の命令に背けぬ少佐とやら、その身をわらわの苗床にして進ぜよう」
浅葱が優雅に羽を震わせ、城全体が呼応するように巨大な「脚」を動かし始めた。
重厚な歩行の振動が、逃げ場のない二日酔いの魔王を、地獄の戦場へと引きずり出していく。
「……シズク……俺, 明日から本気出すって……言おうと思ってたのに……」
「今すぐ出しなさい、魔王様(やればできる子)!!」
胎動する城
「ほれ、そち。その穴に死体を入れてみよ」
不敵な笑みを浮かべた浅葱が、王座の間の真ん中で激しく波打つ床の「穴」を指差した。
ユウサクは二日酔いの吐き気を堪えながら、恐るおそる、部屋の中央へとシズクが持ち帰った兵士の死体を引きずっていき、その湿った暗がりに落とし入れた。
「……っ!?」
なんという事だろう。死体が穴に沈んだ瞬間、部屋の真ん中に開いた穴そのものが巨大な喉のように脈打ち始めた。その内側は濡れ光る柔らかな肉でできているかのように鮮やかなピンク色で、まるで子宮のようにうねり、うごめいている。
「くちゅ、ぴちゃ……」
粘膜が擦れ合う、悍ましい音が中枢に響き渡る。
穴に取り込まれた兵士は、まるで生きているかのように四肢を激しく痙攣させ、城の筋肉に飲み込まれていく。
「あ, あ、ああぁ”……っ! あ, は, ぁ……ッ」
穴の入り口は不規則に、かつ力強く収縮を繰り返し、内部で圧縮された熱いガスが隙間から排泄された。その漏れ出すガスが、湿った粘液の震えと混ざり合い、歪んだ、艶めかしいあえぎ声のような音となって広間に響き渡った。
「……うげぇ、最悪……」
少し離れた場所で、ルカが愛用のギターを抱え込むようにして顔を背けていた。その表情は、腐った泥水を無理やり飲まされたかのように青ざめている。
隣ではルナが、その猫耳を不快そうに何度もぴくつかせ、鼻をひくつかせながら、ついに堪えきれずその場に激しく嘔吐した。
「……浅葱、これ……『あれ』そのものじゃねーかにゃ……. 鼻がいいルナが一番の被害者にゃ……. 発情した『あれ』の匂いだぬ……不潔だにゃ、洗ってやれにゃ! 生理的に無理にゃ……」
ルナの細い尻尾が、嫌悪感を示すように激しく床を叩く。二人の視線は、もはや「身内」の奇行を見るそれではなく、未知の害虫でも眺めるかのような冷淡なものだった。
穴の内側からはどろりとぬるぬるした粘液が溢れ出し、時折、産気づくように「ぴゅっ」と激しく吹き出した。
周囲に漂うのは、えもいわれぬ濃厚な, 生命そのものの香り.
そこにあるのは、無機質な城の構造物ではなく、紛れもない「子宮」そのものだった。
「ふふ、よくできているじゃろう。わらわの愛しき揺りかごは」
満足げに笑う浅葱を、ユウサクは引き攣った顔で見つめることしかできない。
「……気持ち悪いだけだが……」
「これしきで驚いては困る。ユウサク、フェーズ2へ行こうではないか。ふはははは!」
浅葱の高笑いと共に、カオス城の心臓がかつてないほど激しくドクン、と打ち鳴らされた。




