第二話:不可侵の領域とワイバーンの忖度
空を覆う巨躯、三億年の系譜を背負いしワイバーンは、その黄金の瞳で地上を見下ろしながら、かつてないほどの当惑に震えていた。
(……まて おかしい 魔王様がいるなどときいていない)
ネネの超使役魔法によって現界させられたワイバーンにとって、ここは本来、契約に基づいた「掃除(殺戮)」の場であるはずだった。だが、地上のゴミ溜めのような場所に、あってはならない「ナニカ」が鎮座していた。
(……なんで『あの御方』があそこにいるんだ。あんな薄汚れた格好をして……。おい、今の俺を見たか? 目が合ったか!? 殺される、近づいたら消されるぞ!)
ユウサクの正体を知るワイバーンにとって、これは最悪 of 最悪の「現場」だった。攻撃すればユウサクに消され、攻撃を止めれば魔法の契約違反で魂を焼かれる。
師匠への遺言
そんなワイバーンの「大人の事情」など知る由もないヴァレリアは、震える手でその腰に帯びた剣を抜いた。
ヴァレリア「……師匠」
彼女が呼んだのは、背後にいるユウサクではなかった。その視線は、手の中に握られた聖剣――師匠であるデュランダルに向けられていた。
ヴァレリア「師匠……私をここまで強くしていただいて、本当にありがとうございました。この戦いで、私は死ぬかもしれません。ですが……あなたの教えを胸に、私はあいつを止めます!」
ヴァレリアは、文字通り「剣」を師と仰ぎ、これまでの苦しい旅の中でその声から戦い方を学んできた。ムエ・サイアムでの過酷な拳闘士としての修行の日々でさえ、彼女はこの剣の教えを、拳に、足に、そして魂に刻み込もうと必死に思い返していたのだ。
ヴァレリア「師匠、最後に力を貸してくれ。この街を守るため、この腐った街を守り、私は変える。そのための力を!」
デュランダル「……ん? あー、うん。分かった分かった。適当に振っときゃ当たるんじゃない?」
聖剣デュランダルはそう生返事をし、とりあえず刀身をピカピカと派手に光らせて、その場のお茶を濁していた。
ユウサク「うわ……でっかい竜だ。こりゃあヴァレリアさんを止めないと、本当に食われちまうぞ!」
ユウサクは、空を覆う絶望的な質量を前にして、素直な恐怖を口にした。ヴァレリアが特攻しようとしている相手は、あまりにも規格外だった。
ワイバーンの「解答」
ワイバーンは、契約の罰則と死の恐怖の間で必死に思考を巡らせた。
ワイバーン(そうだ! 別に呼び出されて『全員殺せ』とは命じられていない! あのヤバい連中を遠巻きにしながら、適当に破壊ノルマだけ達成すればいいんだ!)
ワイバーン「ヴオオオオオオオオオオ!!」
ワイバーンは咆哮し、ヴァレリアたちがいる場所を露骨に避けながら、広場へと急降下した。
それは虐げられていた人間を巨大な足で踏みつぶし、逃げ惑う亜人の役人をその大口で食らい始める。ワイバーンにとっては、これが「魔王様に手を出さないための妥協点」だった。
救世主という混迷
やがて、瓦礫の山から一人の女が這い出してきた。
ヴァレリア「……げほっ、ごほっ! くそ……ワイバーンめ、やりやがったな……!」
ヴァレリアは砂埃にまみれ、全身傷だらけになりながらも空を睨みつけた。彼女の目には、今の衝撃は怪物の猛攻に見えていた。だが実際には、ワイバーンが彼女(の背後にいるユウサク)から必死に逃げ回った際に生じた風圧に巻き込まれただけである。
ワイバーン(……ふぅ、ノルマ達成だ。ほっ。……さて、長居は無用だな)
ワイバーンは冷や汗(のような鼻息)を吹き飛ばすと、威厳を保つために再び天を仰ぎ、声を張り上げた。
ワイバーン『……ハハハ! 矮小な人間どもよ! その勇気と剣技に免じて、このへんで勘弁してやろうではないか! 命拾いしたな!』
そう言い捨てると、ワイバーンはユウサクに「これでいいですよね?」とでも言いたげなチラ見を一度だけ送り、猛烈なスピードで遠い空の彼方へと消えていった。
ユウサク「…………」
ヴァレリア「…………」
あっけにとられて立ち尽くすユウサクとヴァレリア。そしてその隣で、ネネだけが不思議そうに首をかしげていた。
ネネ「……なにあれ? 私の魔法、あんな性格の生き物呼んだ覚えないんだけど」
しかし、地上では予想外の事態が進行していた。
亜人たちが腰を抜かし、逃げ惑う中で、最後まで怪物に立ち向かったのは「人間」であるヴァレリアだった。
「人間に……救われたのか? 俺たちは……」
家畜同然に扱われていた人間族が、街を壊滅から救った「救世主」になってしまった。そのまぎれもない事実が、この街に、これまでの支配構造を根底から揺るがすような混迷の色を染め上げていった。




