第四話:拳の勇者と、名もなき王
拳の勇者と、名もなき王
とうとうこの日がやってきた。ムエ・サイアムの頂点、絶対的な「チャンピオン」とのタイトルマッチだ。 決戦を数時間後に控え、ヴァレリアは控室でユウサクに詰め寄っていた。
数ヶ月前の自分と比べれば、格段に強く、鋭くなった自覚はある。だが、その瞳には勝利への期待よりも、深い迷いと苛立ちが滲んでいた。
「……ユウサク。私は、これをしたかったんだろうか」
バンテージを巻く拳を見つめ、ヴァレリアは声を震わせた。
「私は世界を救いたい。困っている人を助けたい。……その一心で、この不条理な世界をここまで歩いてきた。なのに、今の私はなぜか『拳闘士』としてリングに立っている」
彼女はガバッと立ち上がり、ユウサクの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで叫んだ。
「本来、勇者は『剣』だろう! 私は剣士だ! なんで私は『拳』で殴り合っているんだ! そんな勇者がどこにいる! お前、私に何をさせてるんだユウサク!!」
(やべぇ、ナーバスになって余計なこと考え出しやがった……!)
ユウサクは内心で冷や汗を流した。ここで彼女が「やっぱり剣で戦う」と言い出せば、明日すべてをヴァレリアにベットしたこと、および計画していた興行がすべて台無しになる。彼は必死に脳細胞を回転させ、口から出まかせ……のつもりで、妙に具体的な話を語り始めた。
「えーと……ヴァレリアさん、落ち着いてください。いいですか、昔の知り合いの……すごい剣士が言ってたんです。『剣があってもなくても、真の強者は同じである』と」
「……何?」
「剣に依存しちゃダメなんです。おそらく、素の強さという土台があってこそ、剣の強さが引き出されるんですよ。とにかく,今は拳を極めることが勇者への近道なんです!」
ユウサクはさらに、自分の記憶の底から浮かび上がってきた「言葉」を続けた。
「それに、昔……本当にいたんですよ。ものすごく強い拳闘士が。女の亜人種でね。彼女は拳一つで混沌とした世界を成り上がって、最後には……そう、国王にまでなっちゃいましたよ」
ヴァレリアは面食らったように目を丸くした。
「……拳闘士から、国王に? ……誰だ、それは? 実在するのか?」
「えっ? ……いや、それは……ヴァレリアさん、私に聞かないでくださいよ。そんな古い話」
ユウサクが苦し紛れに肩をすくめると、ヴァレリアは一瞬の沈黙の後、吹き出した。
「ふ、ふふ……なんだ、自分から言い出したくせに。お前は本当に適当な男だな、ユウサク」
ヴァレリアの顔から緊張が消え、いつもの快活な笑みが戻った。ユウサクは心底ホッとして、胸をなでおろした。
「……ま、お前がそう言うなら、今は拳を信じてやろう。その『国王』のように、私もこの不条理を拳で叩き潰して、さっさと勇者への階段を上ることにするよ」
伝説の終焉
入場ゲートの前に立ったヴァレリアは、リングサイドに立てかけられた聖剣に短く告げた。
「……師匠、行ってきます」
返答はない。だが、その無機質な鞘の沈黙が、今の彼女には何よりの励ましに感じられた。
ヴァレリアがリングに上がると、会場の熱気は最高潮に達した。
「赤コーナー! 無敗の帝王! 生きる伝説! カンガルー族の――アー・リィィィ!!」
筋骨隆々のカンガルーそのものの姿をした亜人、アー・リィが太い尾でリングを叩き、凄まじい威圧感を放つ。その強靭な脚力から放たれる一撃は、岩をも砕くと言われていた。対するヴァレリアは、静かに構えを解かなかった。
カン、とゴングの音が響く。
直後、ヴァレリアの左ジャブが空気を切り裂いた。
――ドォォォン!!
ただの一撃。それだけで、伝説の帝王アー・リィの首が、物理法則を無視した角度でぐにゃりと曲がった。
「……へ?」
アー・リィの口から、情けない声が漏れる。観客席は、何が起きたのか理解できず、水を打ったように静まり返った。
ヴァレリアは止まらない。崩れかける帝王に対し、デュランダルの教え通り、一切の慈悲なく猛烈な連打を叩き込む。
「ストップ! ストップだ!!」
レフェリーが慌てて割って入った時には、すべてが終わっていた。
アー・リィは、たったまま気絶していた。白目を剥き、立ったままの姿勢で魂が抜けたように動かない。その後、彼は担架で病院へ直行。後日流れた噂によれば、この一戦が原因で精神に重大な支障をきたし、二度と現役復帰することはなかったという。
敏腕プロデューサーの絶叫
「……バカヤロー!! 何やってんだヴァレリア!!」
VIP席から、ユウサクの悲痛な叫びが響き渡った。
勝ったはずのヴァレリアに、彼は狂ったように怒鳴り散らしていた。
「一方的すぎるんだよ! これじゃ賭けが成立しねぇだろうが! 接戦を演じて、最後に劇的に勝つから金が動くんだ! こんな一瞬で終わらせたら、客が冷めるだろうが!!」
「……え、だって……一発が本気じゃないと勝てないって……」
困惑するヴァレリアを余所に、事態は最悪の方向へ転がり始めた。
「人間が亜人の伝説を瞬殺した」というニュースは、ムエ・サイアムの興行界に恐怖を植え付けた。ヴァレリアがあまりにも強すぎ、かつ容赦がないため、対戦を希望する選手が一人もいなくなってしまったのだ。
試合が組めなければ、興行は打てない。
どれだけ名声が高まろうとも、リングに立てなければ稼ぎはゼロだ。かつて山のように積み上がっていた資金は、VIPルームの維持費やネネの宝石代、およびヴァレリアの莫大な食費によって、文字通り底を突いた。
ある日、ホテルのスイートルームを追い出された一行を前に、ユウサクはひび割れたサングラスを直し、力なく告げた。
「……今日からみんなで、野宿だ」




