第十話:殺戮の英雄、あるいは剣の奴隷
岩山の死闘
「ヴァレリア:はぁ、はぁ……っ! いきおいで走り出してしまったが……ここは、どこだ……!? なんて急な登り道だ……!」
ヴァレリアは、岩山の細い登り道を必死に駆け上がっていた。ミミを連れ去った異形の羽音を追い、もはや後先など考えていなかった。
――ブゥゥゥン!
一匹の虫人が岩陰から飛び出し、ヴァレリアを捕捉した。
「ヴァレリア:はっ!!」
必死に剣を振るうが、右腕を鋭い針がかすめる。
「ヴァレリア:痛っ!!」
激痛に顔を歪めるが、構ってはいられない。ヴァレリアは剣を構え、全神経を集中させた。速い動きにはついていけない。ならば――正面に虫人を見据え、奴が針を定め、一直線に突っ込んでくる瞬間を待つ。
「ヴァレリア:……そこだっ!!」
ヴァレリアは両腕を十字にしてガードを固めた。
ドスッ、という鈍い音と共に、左腕を巨大な針が深々と貫通する。だが、そのおかげで虫人の動きが止まった。
「ヴァレリア:逃がさんぞ……ッ!!」
ヴァレリアは刺さった針を左手で掴んで離さず、そのまま無理やり虫人を振り回し、岩山に叩きつけた。すぐさま右手の剣で追撃し、絶命させる。しかし、代償は大きかった。左腕からは鮮血が溢れ出していた。
「ヴァレリア:止血して……一刻も早く、山頂へ……. ミミちゃんが……」
『剣:……ククク。力が欲しいか、ヴァレリア』
「ヴァレリア:……言ってろ!!」
『剣:なぜだ。お前は弱い。死にかけではないか。何をそんなに剥きになる?』
「ヴァレリア:……魂が叫ぶんだ!! 英雄になりたいと!! だから私は、英雄の道を歩んで死ぬんだ……ッ!!」
魂を燃やし、辿り着いた巣穴の入り口。そこで出迎えたのは、一際大きく異彩を放つ「虫の王」とも呼ぶべき個体だった。
「ヴァレリア:……出迎えか。ありがとうよ……」
意識はふらふらとしている。それでも剣を携え、一気に距離を詰める。だが、手に力が入らない。左腕からの出血が限界を超えていた。
無造作に剣を払われ、右手は虫の王に掴み上げられた。ヴァレリアはそのまま、暗い巣穴の中へと引きずり込まれた。
孵化場の地獄
目を覚ますと、そこには横たわるミミの姿があった。
ミミは生餌として、脈動する無数の卵に囲まれていた。
ヴァレリアは動けなかった。隣では、捕らえられた亜人種のメスが無残に扱われていた。虫の背後から伸びた巨大な産卵管が胎内へと挿入され、生きたまま受精させられ、卵を産み付けられていたのだ。
「あああああ……っ!!」
また別のメスが、股からの大量出血と共に絶望の悲鳴を上げる。
「ヴァレリア:……私の、番か」
産卵管を携えた虫が逃げ寄る。
『剣:……三度言う。力が欲しいか……?』
「ヴァレリア:……ああ、たすけてくれ!! 力を……貸せ!!」
殺戮の化身
――グチャリ。
剣の「肉」が増殖し、ヴァレリアの右手と一体化した。同時に、彼女は無意識のまま虫を突き刺した。後方からの攻撃を、見ずによける。もはや意識は剣に半分乗っ取られていた。
『剣:殺せ。殺せ。目にするもの、すべてを焼き尽くせ!!』
脳が焼けるような殺戮の快楽。回避と斬撃を繰り返す屠殺機械と化した彼女は、巣の主である女王アリと対峙していた。
女王の巨大な顎を避けるが、かすめただけで左腕が根元から切断された。
だが、剣の肉が増殖し、切断された左腕を無理やり繋ぎ合わせる。
「ヴァレリア:はあああああ!! 殺す殺す殺す!!」
ヴァレリアの意識は、純粋な殺戮の衝動で埋め尽くされた。
巣穴の深淵、分裂するユウサク
「ユウサク:ネネさん、危ないからここで待ってて。様子を見てくるから」
入り口にネネを残し、ユウサクは巣穴を走っていた。通路には無数の死体転がっているが、そのほとんどが鋭利な斬撃で細切れにされた虫人たちだった。
「ユウサク:……嫌な予感がするな」
最奥の空間でユウサクが見たのは、もはや人間とは呼べない異形だった。
顔はヴァレリアだが、体はミノタウロスのようにはち切れんばかりに膨れ上がり、バランスの悪い怪物と化している。
「ヴァレリア:……アハ、アハハハ! やわらかそうな肉だ……」
彼女はミミの首を高く持ち上げ、狂ったように笑いながら呟いていた。
「ユウサク:やめろ……! ストップだ、ヴァレリアさん!!」
「ヴァレリア:……なんだ。我の、勇者の邪魔をするのか?」
ヴァレリア(剣)はミミを放り投げると、弾丸のごとき速さで突進した。
スパンッ!!
鮮やかな斬撃。ユウサクの体は、脳天から股間までを縦に真っ二つに切り裂かれた。血の一滴も出ることなく、断面が乾いた音を立てて二つの肉塊として地面に転がる。
「ユウサク:……あーあ。せっかくの服が、また破けちゃったよ」
その瞬間、左右に分かれた断面から沸騰するように肉が溢れ出した。切断された二つの身体がそれぞれ独立して一気に増殖を開始。分裂は幾何級数的に加速し、あっという間に空間は無数の「ユウサク」で埋め尽くされた。
『剣:な、何だ……!? 血も出ないだと……!? 斬った端からそのまま分裂しおった! 何が起きている!! 貴様、何者だ!!』
「ユウサク:……何者、ねぇ。僕、誰だっけ。卑屈で、卑怯で、行動力がなくて。それを煮詰めた感じの何か……かな?」
『剣:……はッ!! 貴様、マスターか!?』
「ユウサク:マスター? 何言ってるの、僕はバーテンダーじゃないよ!」
その瞬間、すべてのユウサクが統合され、巨大なスライムへと変貌し、異形のヴァレリアを包み込んだ。
「ユウサク:剣さん、ダメじゃないか。ヴァレリアさんをいじめちゃ。彼女、英雄になりたいんだってさ。勇者にさ。確かに運動神経は鈍いし才能もないけど、純粋になりたいんだ。剣さんは意地悪しないで、応援しないとダメだよ。わかる?」
『剣:……分かりました、マスター。おおせのままに……』
剣の肉が剥がれ落ち、ヴァレリアは元の姿に戻っていく。
「ユウサク:向いてなくても、なりたいんだ。目指したいんだ。そんなどうしようもないやつ、一人だけでも報われてもいいじゃないか」
誤解の結末
やがて、ネネが恐る恐る巣穴の奥へとやってきた。
「ネネ:ちょっと、大丈夫!? ……あ」
そこでネネが見たのは、真っ裸で折り重なって倒れているヴァレリアとユウサクの姿だった。
「ネネ:……な。なになになに!? あんたたち、こんなところで何してんのよーーーっ!!!」
「ユウサク:……んぅ。あ、ネネさん。これには事情が……」
「ネネ:うるさーーーい! このエロユウサク!! 死ねぇ!!」
ボカッ!!
ユウサクはネネに杖で殴られ、うずくまった。命がけの救出劇の幕引きは、あまりに無情なものだった。
あとがき:恩返しの幻
真っ裸のまま、泥と血にまみれたユウサクとヴァレリア。そして憤慨しつつも二人を支えるネネ。
ユウサクはぐったりとしたミミをその背に負い、夕闇の迫るようらん町へとゆっくりと帰還していった。
ミミは、薄れゆく意識の淵を彷徨っていた。
夢か現か――。
かつて橋の下で、お腹を空かせた哀れな「野良人間」に食べ物を投げ与えた。今、自分を背負って歩くこの温もりは、その時の野良人間が、命を懸けて自分を救い出しておんがえしをしてくれている……。
そんな、幻覚とも夢ともつかぬ不思議な光景を、彼女はその幼い瞳の奥に、いつまでも大切に映し続けていた。




