第九話:野良人間の餌付けと、ミミの衝撃
泥を啜り、魚を分ける夜
石橋の下、湿った冷たい地面の上。
三人は寄り添い、猫顔の少女が投げ捨てていった一匹の生魚を囲んでいた。かつては豪華な宮廷料理や、魔法で精製された保存食を口にしていたはずの彼らが、今は泥の匂いがする一匹の川魚を、ただ黙って見つめている。
「ユウサク:……食うか。……食べないと、明日まで持たない」
ユウサクが震える手で魚を三つにむしり取った。
三人は言葉もなく、もそもそと生のまま魚を口に運ぶ。鱗が口の中に当たり、泥臭い脂が広がる。屈辱と、不甲斐なさと、それ以上に勝る空腹。
「ネネ:……うぅ。……生臭い……。なんで、こんなことに……」
「ヴァレリア:……。……。……もそもそ」
銀髪を泥で汚し、バナナの葉を体に巻きつけた聖騎士は、もはや涙を流す気力すら失ったのか、虚ろな目でただ咀嚼を繰り返していた。
「ユウサク:……もう寝よう。疲れた。寝て……全部夢だったと思おう……」
三人は折り重なるようにして、冷たい石壁に身を寄せて深い眠りに落ちた。
翌朝の「サンドイッチ」
翌朝。
顔に当たる不快な日差しと、バナナの葉をカサカサと鳴らす音でユウサクは目を覚ました。
「ミミ:おー、生きてるー!」
昨日、魚を投げた猫顔の少女――ミミが、再び橋の下を覗き込んでいた。彼女の手には、何かの包みがある。
「ミミ:これ、今日の分ね。はい!」
ポイ、と投げられたのは、中身がはみ出した適当な作りのサンドイッチだった。それはユウサクではなく、隣で丸まっていたネネのもとへ着地した。
「ネネ:……あ。……サンドイッチ」
ネネが力なくそれを受け取る。少女に悪意はない。ただ、近所に住み着いた野良犬に余り物を与えているような、純粋で無邪気な「善意」なのだ。それが分かってしまうからこそ、余計に惨めだった。
「ユウサク:……。……っ、ひっく……」
ユウサクの目から、不意にボロボロと涙が溢れ出した。自分たちは救世主でもなんでもない。ただの、言葉も通じないと思われている「野良人間」なのだ。
喋る「野良」
泣きじゃくるユウサクを見て、ミミは不思議そうに小首を傾げた。
「ミミ:私、ミミっていうの。……ねえ、言葉わかるのー? お腹空きすぎて泣いてるのー?」
ミミは好奇心旺盛な瞳で、ユウサクの鼻先に顔を近づける。
「ユウサク:……わかるよ。……。……分かるに決まってんだろ……」
絞り出すようなユウサクの返答に、ミミは数秒間、彫像のように固まった。
そして、耳が引き千切れんばかりの勢いで叫んだ。
「ミミ:わあああああ!! し、喋ったーーーーっ!! 野良人間が喋ったぁぁぁ!! 気持ち悪いーーっ!!」
ミミは恐怖に顔を引きつらせ、脱兎のごとく走り去っていった。
「ユウサク:……あほか。せっかく喋ってやったのに、その反応かよ……。なんか, もういいわ。この展開……生物として、色々と冷めるわ……」
万象の組み直しと、束の間の休息
虚脱感に襲われていたユウサクだったが、走り去るミミの背中を見て、迷わず次の行動を決めた。このまま「野良人間」として橋の下で腐っていくわけにはいかない。
「ユウサク:ネネさん。……例の『変化する魔法』を使いましょう。そのサンドイッチで少し魔力が戻ったなら、いけますよね」
「ネネ:……ええ、わかってるわ。あの時の術式ね」
ネネはサンドイッチを口に詰め込み、立ち上がった。泥に汚れたバナナの葉を揺らしながら、彼女は以前も使用したあの呪文を詠唱する。
「ネネ:……万象の源流よ、集いて組み直せ。我は命じ使役する。其は幼き乙女の形を司り、君臨せよ――『変化する魔法』!!」
眩い光が橋の下を包み込んだ。光が収まった後、そこにいたのは「人間」ではなかった。亜人の姿へと偽装された三人だった。
「ユウサク:……さて。姿は変えられましたが、服を買うにも宿に泊まるにも金がありません。あのガキも食い物しかくれませんでしたしね」
ユウサクは冷淡な目で、近くにある裕福そうな民家を見据えた。
「ユウサク:……今回だけ、特別ですよ。このまま餓死してバナナの葉と一緒に朽ちるよりはマシだ。行きますよ」
ユウサクはそう自分に言い聞かせると、亜人に化けた三人で留守の家を狙い、空き巣に入って金を盗み出した。かつての英雄的行為とは程遠い、生き延びるための泥棒。良心の呵責を空腹で押し殺し、彼らは闇に紛れた。
首尾よく盗み出した金で、彼らはまず最低限の洋服を用意した。バナナの葉を脱ぎ捨て、数日ぶりに服を身に纏った時、ヴァレリアはまた少し泣いた。
それから、裏通りの屋台で温かい飯を食べた。喉を通る熱いスープが、死にかけていた彼らの魂を繋ぎ止めていく。
ようやく見つけた安宿の、硬いベッド。
清潔とは言い難い部屋だったが、冷たい石畳に比べれば天国だった。
「ユウサク:……ふぅ。明日から、どうするか考えよう……」
ユウサクは天井のシミを見つめながら、深く重いため息をついた。
制度。差別。価値観の断絶。
剣でも魔法でも斬り捨てられない「世界の形」を前に、全裸から犯罪者にまで身を落として這い上がった軍師の夜は、あまりにも静かに、そして重く更けていった。
飛来する異形
早々にこの町を出て、今後の身の振りを話し合おう――。
そう決めていた三人だったが、翌朝の町は尋常ではない騒ぎに包まれていた。
「敵襲だぁーーーっ!!」
「逃げろ! 虫だ、虫が攻めてきやがった!!」
窓の外を見上げたユウサクは、絶句した。
上空を埋め尽くしていたのは、人の形をした巨大な虫だった。背中には薄い羽が生え、顔には異様な複眼が蠢いている。空気を震わせる不気味な「ブゥゥゥン」という羽音、町中に響き渡っていた。
「ユウサク:……何だあれ、突然変異か何かか!?」
飛来する虫たちは、逃げ惑う住人たちを鋭い針で次々と突き刺し、絶命させていく。そして、動かなくなった身体を別の個体が抱え上げ、鮮やかな連携で上空へと運び去っていく。それは効率化された「収穫」のようでもあった。
パニックに陥る雑踏の中、ユウサクの目に、見覚えのある三毛猫柄の尻尾が映った。
「ユウサク:あ……、ミミちゃ……、いや、あいつ!」
橋の下で食べ物を投げ渡してきた、あの猫顔の少女だ。ミミは巨大な虫の脚に掴まれ、必死にもがきながら空へと吊り上げられていく。
「ヴァレリア:……っ!」
ヴァレリアは考えるよりも先に、空を見上げながら走り出していた。その手には、再びあの喋る剣が握られている。
「ユウサク:おい、ヴァレリアさん! どこ行くんだよ! 相手は亜人種だぞ、自分たちを動物扱いした連中を助けるってのか!?」
ユウサクの制止の声も届かない。騎士の本能か、あるいはただの執念か。銀髪の騎士は、平民の服をなびかせ、異形の虫たちを追って地を駆けた。




