第四話:救命艇の追放と、美しき脅迫者
略奪の後の静寂
仮面舞踏会場は、もはや祝祭の場ではなかった。
大理石の床には倒れ伏した警備兵と、ヴァレリアが放った「かまいたち」によって粉砕された調度品が散乱している。生き残った貴族たちは、血に染まったドレスのまま、部屋の隅でガタガタと震えていた。
「さて……。ヴァレリアさんがあなぐっちゃった以上、もう言い逃れはできませんね」
ユウサクは床に落ちていた高級なケーキを指で掬って舐めながら、事も無げに言った。
「どうするのよ……。これだけの人数を皆殺しにするわけにもいかないし、港に戻れば即刻死刑よ。大魔導士の肩書、もう粉々だわ……」
ネネが杖を杖代わりに、力なくその場に座り込む。だが、ユウサクの頭の中には、すでに次の「イベントチャート」が出来上がっていた。
「簡単ですよ。操舵に必要な乗組員だけ残して、あとは全員『救助ボート』に乗せて海へ流しちゃいましょう。死なない程度に食料も持たせてね。……これ、人道的な勇者の配慮ってやつです」
救命艇のパレード
ユウサクの指示(という名の脅迫)により、震え上がる乗客たちは次々と船尾のデッキへと集められた。
夜の海面に、何十艘もの救助ボートが吊り降ろされていく。
「さあさあ、皆さん! 命が助かるだけ儲けものですよ! ほら、ボートに乗る前に、その重たい金品や宝石は置いていってください。沈没したら危ないですからね。俺が責任を持って『接収』しておきますから!」
ユウサクは大きな袋を抱え、泣き叫ぶ貴族たちから手当たり次第に財布やネックレスを奪い取っていった。
「……勇者……これが、勇者なのか……。略奪そのものではないか……」
ヴァレリアが真っ青な顔で呟くが、ユウサクは彼女の背中をポンと叩いた。
「何を言ってるんですか。次はヴァレリアさんの番ですよ。船長さんをしっかり『説得』して、船を北に出させてください。これからの旅の足が必要ですからね」
操舵室の脅迫
豪華客船の最上階、ブリッジ(操舵室)。
そこには、震える手で舵を握る船長と、数名の航海士たちがいた。扉を蹴破って現れたのは、返り血でドレスを汚し、禍々しい「肉の剣」を抜いたヴァレリアだった。
「……進路を北へ向けろ。アステリア大陸を離れ、北の旧大陸を目指すんだ」
ヴァレリアは、低い、地獄の底から響くような声で命じた。
「な、何を……! あの海域は魔物が蠢く禁忌の――」
「黙れ。命令は一度しか言わない。救難信号を出そうとしたり、進路を少しでも変えようとしたら……この剣で、貴様の首を胴体から切り離す」
ヴァレリアの鋭い瞳には、もはや騎士の光はなかった。自尊心の崩壊と、ユウサクに教え込まれた「効率的な脅迫」の冷徹さが混ざり合っている。
「……わ、わかりました。従います。どうか、命だけは……」
船長が降伏の意を示し、舵を北へと大きく切った。ヴァレリアはその様子を冷たく見下ろしたあと、バルコニーで潮風に吹かれるユウサクの方を振り返り、ポロポロと一筋の涙を流した。
「……ユウサク。ひどい旅になったな。私は、もう……聖女でも英雄でもない。ただのハイジャック犯だ」
「何言ってるんですか。大陸を目指す海賊、いや『救世船長一行』の誕生ですよ。……ほら見てください、さっきの客たちから接収したこのお宝! これで当分は遊んで暮らせますよ!」
ユウサクはヴァレリアの悲哀など意に介さず、デッキで奪った宝石の袋を揺らし、満足げに夜の海を眺めた。
波間には、置き去りにされた何十ものボートが、ホタルのように虚しく揺れている。
巨大な豪華客船『ロイヤル・アステリア号』は、その白い船体を闇に溶かしながら、禁忌の北海へと向けて、力強く加速を始めた。
偽りの救いと、決壊する心
出航から数時間が経過した。ヴァレリアの表情は暗く、何を問いかけても上の空で、ただ一点を見つめている。
そんな時だった。前方に漂う一隻の小型船舶が近づいてきた。
船上には一人の漁師が立ち、必死に『SOS』の旗を振っている。
「……ユウサクさん。助けを求めているわ」
「いやぁ、怪しいですよ。こんな深夜の、しかも禁忌の海域に近い場所で漁師? 相手にするのはやめましょう。スルー推奨です」
ユウサクは面倒くさそうに手を振ったが、ヴァレリアはそれには応じなかった。
「……見捨てることはできない。たとえ私が強盗に成り下がったとしても、目の前の命を捨てるような真似は……」
ヴァレリアは操舵室に命じ、客船を小型船に接舷させた。
だが、船が接触した瞬間、小型船の甲板の下から、隠れていた大勢の野党たちが「獲物だ!」と叫びながらゾロゾロと出てきたのだ。
「あーらら、言わんこっちゃない。完全にハメられましたね」
だが、ユウサクの言葉が終わるより先に、ネネが動き出していた。彼女は最初からこの展開を予期していたのか、即座に『霧魔法』を展開し、野党たちの視界を奪う。
「……邪魔だぁぁぁぁ!!」
霧の中を、ヴァレリアが「肉の剣」を振り回して突進した。荒れ狂う真空の刃が野党たちを次々と切り裂き、海へと叩き落としていく。ユウサクはといえば、「うわぁ、こっち来ないで!」と絶叫しながら甲板を逃げ回り、結果的に敵の注意を分散させる役割を果たしていた。
ものの数分で襲撃者は一掃され、事なきを得た。
静まり返った甲板の上、返り血を浴びたヴァレリアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……っ……うっ……ううぅ……」
やがて、彼女はその場に崩れ落ち、子供のように声を上げて泣き出した。
「……私は、もう嫌だ! こんな非人道的な旅は……!」
彼女は顔を上げず、血に汚れた甲板を拳で叩いた。
「悪い奴だと私が認定して、そいつを斬るなら構わない……! だが、善人かも分からない多くの者を追い出し、奪い、斬り捨てて……! これが最善の策なのかもしれない! これしか道はないのかもしれない! ……だが、私の魂がそれを拒否するんだ!!」
救おうとした手に裏切られ、それでも誰かを斬らねば生き残れない。騎士としての誇りが完全に擦り切れ、張り詰めていた心の糸がついに切れた瞬間だった。
その泣き声を、ユウサクはただ遠くから見つめていた。
それは海賊行為やハイジャックといった個別の「罪」への嘆きではない。生き残るための全ての行動が、己の魂を削り取っていくことへの絶望だった。
冷めた視線の奥で、ユウサクの脳裏には、過去の日本の自分がオーバーラップしていた。
卑屈で、自分では何一つ行動を起こさないくせに、安全な場所から人の批判ばかりを繰り返していた、あの卑怯な自分。
今のヴァレリアの慟哭は、かつて自分が目を背け、殺し続けてきた「良心」の悲鳴のように聞こえた。
「……あ。……あぁ……」
気づけば、ユウサクの頬にも熱いものが伝っていた。
なぜ自分が涙を流しているのか、彼自身にも分からなかった。ただ、目の前の少女の絶望が、彼の心の奥底に眠る「卑怯者だった自分」の記憶を揺さぶり、剥き出しにした。
(……魂を裏切るということは、こういうことなのか……)
ユウサクは、溢れ出す涙を拭おうともせず、ただどこか慈しむような目で、泣き崩れるヴァレリアを見つめ続けていた。




