第4話「臆病者の魔王と堕ちた咆哮」
剥き出しの失望、玉座の亀裂
軍艦修理工場の廃屋。暗く湿った空気が漂う玉座の間は、かつてないほど異様な緊張感に包まれていた。
壁の血管が不規則に脈動し、城そのものが傷を癒やすかのように低い呻き声を上げている。
その重苦しい沈黙を破ったのは、浅葱の冷ややかな、それでいて突き刺すような一言だった。
「ユウサク……。実はおぬしの方が、わらわたちよりずっと強いのじゃぞ。おぬしが戦わないで、一体どうするつもりなのじゃ?」
玉座の横で体育座りをし、膝に顔を埋めていたユウサクが、びくりと肩を揺らす。
その言葉に、それまでぐったりとしていたシズクが、震える手で自身の胸元を掴みながら立ち上がった。
「同意しますわ、浅葱。……魔王様、思い出して。わたくしが、あの忌まわしい不浄の病……。肌は爛れ、血が腐り落ち、重い梅毒のように全身を蝕まれていた時。誰からも汚物のように忌み嫌われ、死を待つだけだったあの時ですわ!」
シズクの声が、廃屋の鉄骨が剥き出しになった天井に反響し、ユウサクの耳を打つ。
「あなたは、それが身を滅ぼす伝染病だと知りながら、あさましく震えるわたくしを抱き、その身に取り込み、最強の種族へと変えてくださった御方ですわ! わたくしが住んでいた世界が、出口のない地底の暗闇だったとも知らず……あなたはただ、孤独なわたくしを新しい世界へといざなってくださった!」
シズクは一歩、ユウサクへと詰め寄る。
「それなのに、魔王様! なぜ今、そんな場所で小さく隠れ、震えているのですかッ! あの最強だった頃の、誇り高き魔王様はどこへ行ってしまわれたのですか!!!!」
「……っ」
ユウサクは、何も言い返せなかった。
ただ、寂しかっただけなのだ。出口のない地底の暗闇。魔王として崇められながらも、誰一人として対等に体温を分け合える者のいない、凍えるような孤絶。あの時、肌が爛れ、腐った血の臭いを放ちながら震えていたシズクを抱いたのは、聖者のような慈愛からではない。伝染病に冒された彼女の爛れた体でさえ、当時のユウサクにとっては、己の魂の隙間を埋めるための唯一の熱だったのだ。不浄の鱗が自分のスライム状の肉体に食い込む感触を、彼はただ、生の実感として求めていた。彼女を救うためではなく、自分自身が壊れないために、ただ必死に彼女の熱を貪り、取り込んだに過ぎなかった。
「……この、臆病者がッ!」
凄まじい衝撃。シズクの手がユウサクの頬を強かに引っ叩いた。
シズクから見れば華奢に見えるユウサクだったが、あまたの生物を取り込みスライム化したその肉体は、見た目以上の密度と質量を秘めている。叩かれた衝撃を吸収しきれず、ユウサクの体はボールのように弾み、「ごろごろ、ごろごろ」と滑稽なほど勢いよく床を転がっていった。
想像力の軛、逃避の果て
玉座の足元で無様に転がり、壁にぶつかってようやく止まったユウサクを見下ろしながら、浅葱が冷淡に言い放つ。
「それに、この城の操作とて、本来ならユウサクの方がうまく扱えるはずなのじゃ。この異形なる器は、想像力の強い者ほど深く同調し、真価を発揮するからな。……しかし、今の主は救いようのない腑抜け。がっかりじゃな」
「魔王様……。いつまでもわたくしが、膝をついてかしずいていると思わないでくださいまし」
シズクの瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。それは突き放すためではない。泥濘の中に沈もうとするユウサクに、自ら這い上がるための「絶望」という名の救いを提示しているかのようだった。
「……ときに、魔王様らしく、自らの手でこの世界を獲ってください! 今のあなた様は……わたくしの知る魔王様では、ありませんわ! 地底の世界が全てだったわたくしに、地上の世界もあるのだと導いてくださったのは、魔王様ではありませんか!」
シズクは、その救いの言葉を叩きつけるように叫んだ。自分を救った王ならば、今のこの惨状さえも自らの意志で掴み取り、変えてみせろという悲痛な願いだ。
「シズク……!」
ユウサクが這いずりながら手を伸ばすが、シズクはそれを冷たく振り切った。今の彼にその手を預けることは、彼を本当に「腑抜け」にしてしまうと分かっていたからだ。
彼女は背後から巨大な黒い翼をバサリと広げると、顔を覆いながら泣き声を上げ、城の裂け目から灰色の空へと飛び去っていった。
「シズクッ!!」
ユウサクの叫びは、ただ虚しく静まり返った廃屋に吸い込まれていった。
残されたのは、浅葱の冷淡な視線と、遠くで響く不気味な潮騒の音だけだった。
ユウサクは、頭を抱えていた。
こんなとき、物語の主人公ならどうしただろうか。劇的な言葉で引き止めただろうか、それとも圧倒的な力を見せつけただろうか。今の彼には、そのどちらも選ぶことができない。
何が正解で、どう対処すればいいのか、さっぱりわからなかった。
シズクに対しても、残された仲間に対しても、今はただ、顔を合わせるのがたまらなく辛かった。




