第三話:ニョマニアの影と、空腹の救世主
帰る場所のない魔王
鼻血を拭い、泥だらけの服で立ち尽くすユウサクに、ネネは呆れたような、しかし放っておけないような視線を向けた。
「……ゆうさくさん、でしたっけ。あなた、これからどうするの? おうちに帰れるの?」
「……一文無しです。というか、ここがどこなのか、カオス城……いや、実家との位置関係もさっぱりわかりません」
ユウサクは正直に答えた。
魔王としての全能感は、あの射出の衝撃と共にどこかへ消え失せ、今の彼はただの迷子の四十男だった。
「しかたないわね。おうちに泊めてあげることはできないけど……せめて、ご飯くらいはごちそうしてあげるわ」
「かたじけない……」
ユウサクは深々と頭を下げた。
魔王が民に施しを受けるという、本来ならあり得ない光景。だが、今のユウサクにとっては何よりもありがたかった。
贅沢と現実のスープ
案内されたのは、酒場の隅にある小さなテーブルだった。
ネネが注文したのは、具の少ない野菜スープと、少し硬めの黒パン。
「はい、食べなさいよ」
「いただきます……」
ユウサクは夢中でスープを啜った。
――本当は、肉厚のハンバーグが食べたかった。
ファミレスで出てくるような、デミグラスソースがたっぷりかかった、あの暴力的なまでの肉の塊。
だが、今のネネの境遇を聞けば、そんな贅沢を言えるはずもなかった。
彼女には借金がある。しかも、自分のせいではない借金が.
「ネネさん。さっきの、白銀の連中が言っていたことは……?」
「……お父さんはね、数年前、目の前でお母さんが亜人種に襲われてから、壊れちゃったの。外の世界が怖くなって、働かなくなって……。現実逃避するためにギャンブルと酒に溺れて、気がつけば、大家さんに返せないくらいの借金を作ってたわ」
「大家……。その、借金をした相手っていうのは、誰なんだ?」
「大家さんよ。もう何ヶ月も家賃を溜めちゃって。それなのに、あの人、最初から高金利でお金を貸し付けてきて……。大家のくせに、最初っから私自身が目当てだったらしいわ。借金を理由に、私を好き勝手しようとしてる。さっきの騎士たちも, あの大家に雇われた連中よ」
噛み合わない法と正義
「……でもさ。親の借金を子が背負う義務なんて、この世界にはないんじゃないの?」
ユウサクが現代日本的な感覚で問いかけると、ネネは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……え? なによそれ、そんなこと初めて聞いたわよ。ここはアステリア大陸よ? 親の負債は子の負債。それがこの世界の当たり前じゃない」
「……そうか。そりゃあ、不便な世界だな」
ユウサクは溜息をついた。
法も、倫理も、魔王の到来によってすべてが野生の論理へと先祖返りしている。
「よし、わかった。ネネさん、明日、俺がその大家さんと交渉してきてあげるよ。代理人としてね」
「……えっ? あなた、さっきボコボコにされてたじゃない。大丈夫なの?」
「任せておけって。話し合いで解決するのが、一番平和的だからね」
狂気の交渉と、頭に刺さる「拒絶」
翌日。ユウサクはネネに案内され、大家の自宅を訪れた。
出てきたのは、小太りで見事なハゲ頭を光らせた、見るからに強欲そうな男だった。
「……なんだ、お前は。ネネの新しい飼い主か?」
「いえ、私はネネさんの代理人として参りました。彼女の父親の借金についてですが、法的、あるいは人道的な観点から再考していただきたく――」
「あぁ!? 何を言ってやがる、この泥棒が!」
ユウサクが丁寧な言葉で交渉を始めようとした瞬間、大家の顔が怒りで真っ赤に染まった。
「そんな話、この国の法律にはない! ネネは俺の所有物になるんだよ! とっとと失せろ、このドブネズミが!!」
大家は喚き散らしながら、勢いよく扉を閉めようとした。
――その時だった。
ガッ!! と鈍い衝撃音が響く。
扉の隙間から投げつけられた手斧が、ユウサクの額のど真ん中に深々と突き刺さった。
「ヒッ……!!」
背後でネネが短い悲鳴を上げた。
「そんな理屈を並べるなら、今すぐ金を返せ! 返せないなら死ね! 城に申し立てて、お前を反逆者として突き出してやってもいいんだぞ!!」
ドア越しに大家の罵声が響く。彼は自分が投げた斧が男を殺したと確信しているのだろう。
だが、ユウサクは無表情のまま、頭に刺さった斧を無造作に引き抜いた。
傷口は瞬時に塞がり、血の一滴も流れない。
「……参ったな。事態が悪化しそうだ」
どん引きし、腰を抜かしているネネを振り返り、ユウサクは手にした斧をまじまじと見つめた。そして、「せっかくだから貰っておこう。勇者の旅には武器が必要だしな」と独り言を漏らすと、それを大切そうに腰へと差し込んだ。
「ごめん、ネネさん。交渉は決裂だ。代わりに、ギルドで仕事を受けて、俺がその借金を返してあげるよ」
「……な、なんで……? どうして他人のあたしのために、頭に斧を刺されてまで、そこまでしてくれるのよ? ……あなたも、マニアなの?」
震える声で問うネネに、ユウサクは照れ隠しのように鼻の頭を掻いた。
「いや、なんというか……。いいことしていれば、きっといつか、本物の勇者に会えると思ってさ」
――自分が殺したはずの平和を、自分の手で取り戻すふりをする。
その歪な善意こそが、自分をこの地獄から救い出してくれる「勇者」を招き寄せると、ユウサクは本気で信じ込んでいた。




