第13話「魔王の休息と、次代の胎動」
粘液の産声と「娘」の受肉
品川の地に深く根を下ろしたカオス城が、激しくもだえ、震えている。
その巨大な肉の孔からは、熱を持ったぬるぬるとした粘液と共に、夥しい数の卵が次々と吐き出されていた。それは生命の産声というにはあまりに無機質で、かつ圧倒的な質量を伴った光景だった。
「うげ……なんて光景だろう」
不定形の漆黒のスライム状になったまま、ユウサクはその不気味な生命の奔流を眺めていた。粘液の臭いと城の拍動が空気を震わせる中、一人の少女が音もなく歩み寄ってきた。
「レアさん、こんにちは。……あなたが生まれたのはわかりました。私に何か用ですか?」
問いかけるユウサクに対し、薄緑色の肌と、神秘的な光沢を放つ四枚の羽を持つ娘――レアは、感情を読み取らせない淡々とした口調で答えた。
「レア、生まれました。いきていますよ。挨拶です。独り立ち前に、親に養っていただきますよ。そういう虫もいます。期待していますよ、お父様」
「そうですか……そんなもんなんですね」
「お父様」という、今の自分にはあまりに不似合いな響きに対し、ユウサクは力なく応じることしかできなかった。彼は傍らに立ち、扇子を揺らしている浅葱へと視線を向けた。
「浅葱さんの同族に近くないですかね、浅葱さん?」
「しらんぞ. わらわの種は産み落としたそのときから競争じゃ. 親の庇護などあるまい」
浅葱はどこか他人事のように、あるいは退屈そうに答えた。
「……いろいろ混ざっておるのじゃろうな. 城が飲み込んだ哺乳類の記憶とか……そのあたりがな」
昏い玉座での自問
「はぁ……父、ですか。まあ、そのあたりは後々整理しましょう。ミランダさん。再構成する子たちを指導して、ここに町を建設してください。私は……城で休みます」
ユウサクはスライムの形状のまま、吸い込まれるように城の奥深くへと消えていった。
城内に入り、体内に包摂していたシズクを外へと吐き出すと、ユウサクはようやく人間の形へと戻った。
「魔王様ぁ……ッ!」
まとわりついてくるシズクをそっと剥がし、ユウサクは重い足取りで玉座の間へと向かった。彼は脈動する肉壁に囲まれた巨大な玉座に、深く、沈み込むように腰を下ろした。
(だいたい、地上の人間が弱すぎるのが問題ではないか……)
冷たい玉座の感触を背中で感じながら、彼は独り考え込む。
ユウサクが少し動くだけで世界は容易に壊れ、蹂躙が加速する。自分が弱くなるべきか、あるいは、自分と拮抗し得るほどに強い奴がこの世界に現れるべきなのか。
自身の強大さと、世界の脆弱さ。その決定的な乖離に答えを出せぬまま、彼は目を閉じることさえできず、ただ思考の泥濘の中に沈み続けていた。
決意と二つの密命
数時間が経過した。
ユウサクは一度も眠りにつくことなく、玉座に座ったまま、朝の光が差し込むのをただ見つめていた。その瞳には、一睡もしていない疲労ではなく、冷徹な決意が宿っていた。彼は立ち上がり、部屋の外で控えていたシズクと、退屈そうに扇子を弄んでいた浅葱を呼び寄せた。
「シズク、浅葱。……命令だ」
「はい、魔王様! 何なりと!」
シズクが期待に満ちた目で跪く。
「……シズク、お前はショウゴを連れてこい。あいつが必要だ」
「承知いたしましたわ。魔王様がお望みならば、地の果てまで追い詰め、その首根っこを掴んで参りましょう!」
続けて、ユウサクは浅葱に向き直った。
「……浅葱さん。あなたはヨルダンを連れてきてください。あの男にも、まだ役割があるはずです」
「カカッ! 面白いのう。あの惨めな男を再びこの城へ引きずり戻せというのか。よかろう、わらわの玩具の『つがい』として、極上の絶望と共に届けてやろうぞ」
浅葱は艶やかに笑い、扇子を翻した。
シズクは背中の黒い翼を大きく広げて品川の空へ飛び去り、浅葱は影に溶けるようにして姿を消した。それぞれの獲物を狩り出すために。
異形の日常
ユウサクは城のバルコニーへと歩を進め、眼下の光景を見下ろした。
そこには、数時間前までの凄惨な「産卵」の風景からは想像もつかない、奇妙な静謐が広がっていた。
城から吐き出された卵は、その多くが既に孵化を終えていた。
再構築された元人間たちは、もはやかつての兵士としての殺気も、文明人としての困惑も持ち合わせていなかった。彼らはカオス城という母体に管理され、定義し直された新たな「住民」として、のどかに活動を開始していた。
ある者は、城から伸びる柔軟な肉の組織を建材にし、歪ながらも暖かみのある家を建てている。
またある者は、粘液で肥沃になった品川の白い地面を鍬で耕し、城が供給する奇妙な種を植え、田畑を耕していた。
そこにあるのは、魔王の城の足元で営まれる、あまりにも平和な農村の風景だった。
かつての「浄化ゲート」という冷徹な管理社会の跡地を、肉と泥と生命の活気が塗り替えていく。
「……本当に、何なんだろうな、これは」
ユウサクは、遠くで家を建てる者たちの笑い声を聞きながら、自嘲気味に呟いた。
破壊と蹂躙の果てに生まれたのが、こののどかな開拓風景。自分という理不尽な存在が生み出した、歪で穏やかな「正解」の一端を、ユウサクはただ黙って見つめ続けていた。




