第10話「白き彗星と混沌の鎧」
霧の中の猟犬
「……チッ、何だこのピンク色の霧は! レーダーが死んだぞ!」
聖浄軍の随伴機『グリーングレイブ』のパイロットが悲鳴を上げた。
ASG粒子の濃密な霧に包まれた瞬間、彼らの誇る精密誘導システムは完全に沈黙した。視界はゼロ。モニターに映るのは、不気味に明滅するノイズの嵐だけだ。
「落ち着け。電子の目が死んだなら、肉眼で補え」
ショウゴの冷徹な声が通信機に響く。再手術によって視神経を機械化した彼だけは、この桃色の深淵の向こう側に蠢く「巨大な質量」を、本能的に捉え続けていた。
「目標は目の前だ。だが……待て、全機停止。深追いは禁物だ。崩落した外壁の陰に身を潜め、様子を見る」
ショウゴの『ホワイトグレイブ』は、大型の振動剣を引き抜きつつ、慎重に巨柱の影へと滑り込んだ。蒼白い高周波の刃が、立ち込める霧を静かに切り裂く。
しかし、背後から続くはずだった「後方の主力部隊」とのリンクが、唐突に途絶えた。
「本部、応答しろ。……チッ、完全に遮断されたか」
ショウゴが振り返った先には、ただ濃密な桃色の深淵が広がっているだけだった。
本部が送り込んだ後方の数個大隊は、今やこの霧の中で完全に方向を見失い、互いに衝突するか、あるいは虚空に向かって盲目的に発砲を繰り返しているに違いない。
ASG粒子の電磁妨害は、もはや通信を遮るだけではない。空間そのものを情報の空白地帯へと変え、軍という組織をただの「孤立した個体」に解体していた。
「……現在、敵の座標を把握しているのは我々だけか」
ショウゴは物陰から、不気味に蠢くカオス城のシルエットを鋭く見据えた。
この広大な戦場で、今、ショウゴ隊だけが「死神」の喉元に手をかけている。
「便利すぎるな、この粒子……。これでは戦術もクソもない。だが……」
ショウゴは口元にニヒルな笑みを浮かべ、振動剣の出力を最大に上げた。
「……俺一人で十分だ。あの醜い怪物を凌駕し、その先に届くためにはな」
暴走する想像力
不覚にも、わくわくしてきた。
ユウサクは玉座に縛り付けられ、神経を焼かれるような熱さを感じながらも、体の奥底から突き上げてくる全能感に身を任せていた。
「カオスノイズ、発進!!」
ユウサクが裏返った声で叫ぶ。
『はぁ……はぁ……いく――。了解、いたしました……っ!!!』
カオス城そのものが、艶めかしい吐息を漏らしながらユウサクの命令に呼応する。
ぐももも、と城の巨大な足が軋んだ。力を蓄えるように体を屈伸させ、城全体の筋肉が狂おしく収縮する。
「えっ、ちょ、何するつもりだよ、俺!」
なんのため? 意味などなかった。ただ、ユウサクの頭の中には、かつて見たアニメの「カタパルトから射出される主役機」のイメージが強烈に焼き付いていただけだ。そしてそのイメージは、カオス城において絶対的な「命令」へと変換された。
ドォォォォォンッ!!
物陰に潜んでいたショウゴの目の前で、数万トンの質量を持つ異形の城が、重力を嘲笑うかのように天高くジャンプした。
「……なっ!?」
ショウゴが絶句する。巨大な足が地面を粉砕し、衝撃波が霧を吹き飛ばす。
たかく、あまりにも高く。カタパルトから放たれた弾丸のごとき勢いで、月夜の空へと踊り出た異形のカオス城。
意味も戦術もない、ただの「想像力」の暴発。
それこそが、この戦場における最悪の不条理だった。
逆襲の火蓋
「各機、散開! 着地点を叩け!」
ショウゴの鋭い指令が飛ぶ。
滞空時間を終え、カオス城が凄まじい質量を伴って地上へ着地した瞬間、ショウゴ隊は即座に隊列を組み直した。ASG粒子でレーザーが散るなら、光学照準に頼らぬ「面」の攻撃で沈めるまでだ。
「ミサイル、一斉射!」
ホワイトグレイブと随伴機が、残弾のすべてを吐き出すようにして城の巨体へミサイルを叩き込んだ。
「わわわ、着地したと思ったらこれかよ! やめろ、当たってるって!」
ユウサクは玉座で悲鳴を上げた。
その時、玉座の間の中央に「ピコン」と空間を切り裂くような電子音が響き、空中に巨大なホログラムが投影された。城の後方の情景を映し出すその立体映像は、玉座に縛られたユウサクだけでなく、室内にいる全員が確認できるほど鮮明に浮かび上がった。
「後方映像に敵機発見! ……っていうか、多すぎるだろ! 撃つな、こっち来んな!」
ユウサクがわわと騒ぎ、神経を介して城にパニックが伝播する。その時、城内に再び「警告音」が鳴り響いた。
『あ……ん、エマージェンシー……っ。いや、だめ……後ろから……こられちゃう……っ。あ、だめ、おもらし……しちゃうぅ……っ!』
「……はぁ!? 何言ってんだこの城!」
ユウサクの驚愕を余所に、カオス城の後方、いわゆる「排泄口」に相当する部位が、生き物のようにひくつき、急速に広がり始めた。
「ぶびょ! ぶぶぶぅぶぅッ!!」
凄まじい放出力と共に、城の「孔」から、コールタールのように粘着質で黒い液体が大量に噴射された。
それは防御というよりは、文字通りの生理的な「排泄」に近い暴力。
黒い沈黙
「うわあああ! 何だ、この汚物はッ!」
後方から肉薄していたショウゴの『ホワイトグレイブ』を、噴出されたドロドロの黒い粘液が正面から飲み込んだ。
ASG粒子の霧の中で、ただでさえ視界の悪いメインカメラが黒いタールに塗り潰される。
「くっ……視界が! 動力パイプに……粘り気が入り込み、駆動系が……!」
ショウゴは必死に機体を制御しようとしたが、液体はただの泥ではなかった。城の深淵で生成されたその「排泄物」は、驚異的な吸着力を持ち、空気に触れた瞬間に硬化を始めている。
「ぶびょっ、じゅるぅぅ……」
さらに追い打ちをかけるように、城から吐き出された膨大な質量がショウゴの機体を押し潰し、地面へと縫い付けた。
ホワイトグレイブの関節部という関節部にコールタールが食い込み、再手術で強化されたショウゴの四肢と同調するように、鋼鉄のフレームが悲鳴を上げる。
融合炉の熱でタールが焼け、鼻を突くような鼻持ちならない悪臭がコクピットを満たした。
「……馬鹿な。この私が……こんな、不潔な泥にまみれて……!」
ショウゴの叫びも虚しく、機体は完全に沈黙した。
どれほど出力を上げようとも、まとわりつく黒い絶望はびくともしない。最強の「ホワイト・コメット」は今、異形の城が撒き散らした汚泥の下で、文字通り指一本動かせぬまま、屈辱の闇に埋没していった。
「……汚ねぇ! 俺の城、何出してんだよ!」
ユウサクの叫びが響く中、カオス城はスッキリしたかのように「ふぅん……」と満足げな余韻を響かせ、霧の彼方へと再び歩みを始めた。
そこには、ただ黒く汚れた沈黙だけが残されていた。




