風俗嬢の挑戦
「昼の勤務にしたいって、どうして?」
<Blue Mountain>の玲子店長は、タバコに火を点けながら尋ねた。
閉店後の待機室には、玲子と夕起だけだ。
「四月から夜に用事が入るんで」
夕起はみやびが辞めてから直ぐに、週四日、夕方から閉店までの勤務にシフト変更していた。
「用事って何?」
夕起は事実を告げようか少し迷ったが、二年もお世話になっている人。しかも勤務先の店長にあやふやな返事をするのは気が引けた。
「……実は、定時制の高校に入学するんです」
夕起の告白に、一瞬驚いた表情を見せた玲子だが、直ぐにいつもの冷静さを取り戻し、「そう」と相槌を打った。
「私高校中退してるんです。この仕事には限りがあるし、やっぱり高卒の学歴はないとなあって……」
十八歳で入店して来た頃の夕起は、玲子の目には、今が楽しければ良いとしか考えていないように見えていた。そんな彼女が将来を見据えるようになった。
玲子は「うんうん」と頷いた。
「確かにそうね。ちゃんと将来のこと考えて、成長したね」
ニヤリとする玲子に、夕起は「もう直ぐ二十歳ですから」と苦笑した。
「でも、昼の勤務となれば売上減るよ」
「解ってます。正直言うと、別の仕事探そうか迷ったんですけど、このご時世ですしね?」
「そうよねえ……まあ、夕起は人気あるし、追っかけて予約入れるお客もいるだろうね」
夕起の成長に安心した玲子は、経営者として売上を気にしつつも、彼女の為ならと要求を受け入れた。
「結構大変だよ。仕事と学業の両立は……」
都心のマンションのリビングで、美貴はビール片手にソファに寝そべりながら言った。
美貴はイメクラを辞めた後、大学に推薦入学した。しかし高収入が忘れられず、今は大学へ通いながら、他店でデリバリーヘルスのアルバイトをしている。
二人は美貴が進学してから間もなく、都心の賃貸マンションで同居していた。
「想像はついたけど、もう決めたから」
文夏は冷蔵庫からビールを取り出しながら言った。
風俗嬢の仕事は、肉体的にはもちろん、精神的ストレスもかなりのもの。不快に思う客、マナーの悪い客にも、感情をおくびにも出さずに、自然な笑顔で愛嬌を振りまかなくてはならない。時にはいかつい客にビビりながら……ということもある。
そうした環境の中で学業がプラスされる。
美貴は自分の経験を顧みて、文夏の高校入学を喜び、応援しつつも、思い立つと邁進し過ぎるところがある彼女を心配した。
「今更だけど、何でまた高校に入ろうと思ったの?」
「それは、毎日あなたを見てるからです」
茶化すように笑う文夏だったが、本心だった。
美貴は基本、アルバイトを楽しんでいた。それは文夏も変わらない。
だが、試験中は連日徹夜で勉強し、そうでない時でも、疲れた顔で参考書に目を通す美貴の姿を一年近く見て来た。
彼女の為に夜食を用意したりしながら、文夏は自分を顧みた。確かに今は生活に困ってはいない。でも風俗の仕事は、後どのくらい続けられるのか? そう思うと焦りを感じた。
美貴には弁護士秘書になるという目標がある。楽しみながらであっても、彼女にとってデリヘルは、あくまで学生のバイトなのである。
――私も次に目を向けなくちゃ……。
文夏が思い始めた折、職場の待機室で、「従兄弟が定時制高校に通い出した」と同僚から聞いた。
気に留めた文夏は都内の定時制高校を調べ、入試に向け久しぶりの勉強に励んだ。
そして、二十歳となる今年、合格通知を手にしたのである。
「協力出来ることがあれば、何でもするから」
「ありがとう」
文夏は照れ臭そうに笑い、ビールを口に含んだ。
翌週日曜日の朝、文夏はこの日の為に購入した紺のスーツに身を包み、都内郊外にある高校の体育館にいた。
進行役の教師がマイクの前に立つ。
「開式の言葉。新入生、起立!!」
静寂の中、約五十人の新入生が一気に立ち上がり、白髪が目立つ男性教頭が壇上に上がる。
「只今より、平成二十二年度、東京都立、緑ヶ丘学園高等学校、定時制入学式を開式致します」
新入生の中には文夏のような若者もいれば、紳士・ご夫人といった人まで年齢層は幅広い。
服装もスーツから制服、カジュアルと多種多様である。
しかし、顔は皆キリっとしていて式に出席しているが、文夏の隣に座っている中年男性は、冒頭から俯きっぱなしである。その内軽いいびきをかき始めた。
「新入生、起立!」
来賓の挨拶の為に号令をかけられたが、案の定男性は立ち上がらない。放おっておこうか迷った文夏だが、念の為、肩を叩いた。
すると男性は目を覚まし、慌てて立ち上がると、文夏を見て「へへっ」と子供のように笑った。
――これが定時制か……。
変なところで自覚しながら、文夏も微笑み返した。
一年生は約二十五人ずつで二クラスに分けられている。
式が終わり、文夏は自分の教室、二組に移動した。
机には教科書が積まれ、早い者順で席に着いて行く。文夏は窓際の席を選んだ。
「ええ、では改めまして、二組の担任をさせて戴きます、小早川利秋と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
小早川の挨拶に生徒は一礼する。
「では、まずは自己紹介からですね。こちらの方からどうぞ」
トップバッターは、通路側に座った加藤良雄。式中居眠りしていた男性だ。
抱負を語る者。「宜しく」とだけ言って終わる者。二パターンの自己紹介が済まされて行き、文夏の番となった。
「渋谷文夏です。久しぶりの学生生活にドキドキしています。仲良くして下さい」
着席する文夏に、さっきのことで親しみを持った加藤が相槌を打った。
「仲良くするよ!」
教室内に失笑が流れる。
「加藤さん、入学式で寝てましたよね?」
文夏の返しに小早川を始め、生徒達は更にウケる。軽いいびきとはいえ、静粛な場では気付かないはずがない。
「きのう中々寝付けなくてねえ」
加藤は照れ笑いしながら言った。
二年間仕事で培った技術を、文夏は遺憾なく発揮した。
「ねえ、連絡先交換しよ」
文夏と同じクラスの山下奈々の提案に、文夏と一組の鈴江智広はスマートフォンを取り出した。
加藤と自然なやり取りをした文夏に好感を持った山下は、ホームルームが終わると直ぐに彼女に声をかけた。式前に言葉を交わした鈴江も誘って校庭内に集まっていた。
辺りに植えられた何本もの桜は全て満開で、太陽に照らされて眩い。
「あたし市内なんだけど、二人は近いの?」
連絡先を交換しながら、山下が訊く。
「あたしは隣の市から、自転車で通う」
「えっ、遠くない!?」
山下が目を見開いて驚く。
「市の外れだから。二十分くらいかな? 渋谷さんは?」
鈴江に話を振られ、
「私は、……都心の方から」
文夏は戸惑いながら答える。
「そっちの方が遠くない!?」
今度は鈴江が目を見開く。
文夏にとって、郊外の学校を選んだのには事情があるのだが、それは言えない。
「でも車だから。四十分くらいかな?」
「車持ってんだあ」
「うん。同居してる友達と共同でね」
山下と鈴江は、「ふーん」「そうなんだ」と相槌を打ったきり、それ以上は何も訊いて来ない。
――セーフ……。
文夏がホッとしたのも束の間、
「うちらくらいの年齢で定時制に入って来る人って、訳ありなんだよね……」
山下が呟くように言った。
その突然な発言に、文夏はドキっとする。
――それ言う!?
鈴江も唐突さに驚いたのか、「うーん……」と唸っただけだ。
「あたし、高校一年で辞めたからおバカでさ。だから、勉強は大いに心配」
笑って告白する山下に鈴江も、
「あたしだって、二年の一学期に辞めたから。同じだって」
山下を庇うように続けた。
二人のやり取りを見て、文夏も告白せざるを得なくなった。
「私は、……三年の二学期に入って直ぐ。……訳あり」
顔を見合わせて笑う三人。
「訳ありどうし、仲良くやろう!」
文夏の呼びかけに、二人は「そうだよ!」「頑張ろう!」と答え、三人の結束が固まった。




