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拉致旅行  作者: 弘田宜蒼
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心が出血する少年

 終盤になって登校し、二日連続で休む。その繰り返しで裕介の中学生活は過ぎて行った。

 迎えた卒業式。その日も遅刻した。最後の最後まで地に落ちた状態のままだった。

――終わったか……。

 内心ホッとするような、開放感に似た心境だった。だが、それは一時的なもの。嵐の前の静けさだった。


 裕介の進学先は、東京郊外にある緑ヶ丘学園高校定時制。不調の中彼なりに頑張った末、無事合格した。

 授業開始は午後五時三十分。終了は午後九時である。

 「環境を変えて病気を善くしたい」。裕介は建前を譲一と小枝子にこう告げた。所在する市内の定時制高校を蹴り、自宅の最寄駅から八駅離れた所を選んだ。乗車時間は約二十分。

 

 譲一は、「一浪してでも全日制の方が良い」と難色を示した。その夫に小枝子は、「もうやりたいようにさせよう」と説得し、譲一は渋々了解した。

 高木と離れ、苛めからもやっと解放され、確かに治療に専念出来る環境は整った。

 しかし、生活態度に問題が生じる。

 

 裕介は学校から帰宅すると自室に篭り、真面目にその日の復習をした。うつに陥ると、インターネットやオンラインゲームに興じ、気を紛らわせようとした。

 その為、就寝は明け方となり、正午前後に起床する生活となった。うつ病治療は、まず規則正しい生活が必要なのだが……。 

 

 小枝子は黙認していたが、譲一は毎朝虫唾が走る思いだった。

 家族と生活サイクルを反対にすることで、両親を避けていた。

――オレがこうなったのは、あの親にも責任がある!

 両親に怒りを持つことで、裕介は自分を守っていた。それしか術を知らなかったのだ。


 学校を除き、裕介はほぼ引き篭もりの状態だった。土日に外出することは皆無。知り合いの顔は見たくもなかった。それが、敢えて離れた土地の学校を選んだ、本当の理由だ。

 欲しい物があれば、平日早めに家を出て、学校の最寄駅近くで済ませた。

 

 病気の症状は大きく三つの種類がある。

 一、気持ちが落ちると死を連想するところまで行ってしまう。

 二、周囲にいる人・物事に一々怯える。

 三、周期的に来るだるさ(慢性疲労)。

 症状には波があり、酷い日は起き上がっていることすら辛く、学校以外は横になって過ごす他なかった。

 

 高校に進学して半年が経った頃から、自分を「嘲笑う」心の声にも悩まされ始めた。

『自分を棚に上げて親のせいにして、筋違いもいいとこだぞ』

――そんなこと解ってる!

 親への怒りがお門違いだと解っているが故に、裕介は尚苦しんでいた。

『いつまで甘えん坊なんだよ? お前マジウゼえ!』

――だから一人でいるじゃないか!!

 反論通り、裕介は進学しても誰にも心を開かず、人を寄せ付けなかった。話しかけられても、返事は「はい」「そうですか」とまさに一言だけである。

『それで解決させたつもりか? 只逃げてるだけじゃねえか!』

――じゃあどうすりゃ良いんだよ!?

 黙らせようとしても、いつも言い負かされた。


 調子が安定している日に限り、裕介は下校途中、学校の最寄駅近くのゲームセンターに立ち寄った。

 午後九時に全ての授業が終わると、裕介は急いで学校を抜け出し、十時まで遊んだ。十時以降は十八歳未満の入店が、法律で禁止されているからだ。

 

 しかし、ここでも「あの声」はどこからともなく響いて来る。

『お前が遊んでる間に、みんなは必死に努力してんだぞ!』

――うつを何とかしたいだけなんだよ!

 ネットやオンラインゲームと同じ。気を紛らわせたかった。

『お前がそう思ってるだけ。結局サボッてんだよ!!』

 声を払拭しようと、ゲームに熱中するというより、溜まったものを発散させるが如く、『太鼓の達人』の太鼓を力任せに叩き続けていた。

 その時、背後から声をかけられた。

「あのう、お客様……」

 突然のことに裕介は息を呑んで振り向いた。

「もう少し力を加減して戴くとありがたいんですが……」

 店員は苦笑いを浮かべて言った。余程目に余ったのだろう。

 

 てっきり追い出されると思った裕介は、呆気に取られながら、「済みません」と謝った。

 呆然と立ち尽くしたまま、ふと横に目をやると、『パンチングマシーン』が目に留まった。

 裕介は引き寄せられるように、『―マシーン』へ近付いた。

 その間にも、声は容赦なくまくし立てる。

『お前みたいな奴が生きてて何になる? とっとと死ね死ね死ね!!』 

――……言われなくてももう直ぐ死ぬ! こうやって……。

 声に反論し、裕介は人里離れた山中でありったけの薬を飲み、自殺を図る場面を妄想した。

 気持ちが鎮まるのなら、何だって良かった。

『フーン。いつ実行に移すのかなあ?』

――クソ!!

 渾身の力を込め、『―ーマシーン』を殴りつけた。



 年が明け、一月も中旬に入った平日。明け方に就寝した裕介は、寒さで目を覚ました。

 カーテン越しに陽光が差し込んでいる。枕元に一応置いている目覚まし時計に目をやると、十時を少し回っていた。

 裕介は布団に潜り込み、また寝息を立てる。その睡眠中、奇妙な夢を見た。

 

 夢の中で裕介が目を覚ますと、病院のベッドの上。病室だと思われる部屋は、裕介にだけ照明が当てられ、周りは何も見えず暗闇である。

 両腕両足首を見ると、輸血と思われる点滴をされている。驚いた裕介は起き上がろうとするが、頭以外は確りと固定されていて、身動き一つとれない。

 何とか起き上がろうと、もがいた拍子に自分の胸元が目に入り、裕介は更に驚愕した。 白い入院着は赤く染まり、水溜りのように血が溜まっている。

 

 要するに、出血しながら輸血されている夢だった。ハッとして目が覚めた裕介は、夢のせいで憂鬱な気分だった。

 溜息をついてゆっくり起き上がり、一階のキッチンへと向かう。

 この時間は当然、両親は仕事。秋久は学校で、家には裕介しかいない。

 

 リビングのエアコンを入れ、部屋を暖めながら、コーヒーを飲もうとお湯を沸かし始める。

 やかんを見詰めたまま、裕介はさっき見た夢を思い出していた。内容が衝撃的だっただけに、確り記憶されている。

「……心が、出血している?」

 反芻した結果にボソッと呟かれた、率直な感想。

 

 自分を執拗に責め続け、傷付いた心の傷口からは血が滴っている。それが、今の裕介。

『ピーー……』

 沸騰し、湯気を噴出させるやかんを、裕介は虚ろな目で見詰めていた。


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