変貌
「初めまして。夕起です!」
「っあ、……どうも」
池袋のホテル型イメージクラブ(店舗で料金を支払い、サービスはホテルなどで受ける)に来店し、近場のホテルで待っていた緊張した様子の青年に、夕起と名乗った彼女は優しく微笑んだ。
「さあリラーックス」
「こういうとこ初めてだからオレ」
言葉は関東弁だが、イントネーションに九州訛りがある。上京して一年に満たない学生か会社員といったところか。
鼻息荒く、青年はOLに扮した夕起の制服を嘗め回すように見詰めた後、目線を彼女の胸に移した。
「触っても良い?」
夕起が「どうぞ」と返事をしても、青年の手の動きはゆっくりで、中々胸まで来ない。その様子に、
――童貞クンだな。
と思った夕起は、シャツのボタンを外し彼の手を取ると、自分の右胸に当てた。
次に夕起は青年の頭に手を回し、彼の顔をゆっくりと左胸に押し当てた。されるがままの青年の呼吸は更に荒くなり、ブラジャーを介して生暖かく伝わった。
高校を退学処分となって三ヶ月が経った冬、文夏はイメクラで「夕起」として勤務していた。
肩書きが「無職」となって以来、文夏は殆どの時間を、居心地が悪かったはずの祖父母の家の自室に篭って過ごしていた。誰とも連絡を取らず、喋る気すら起きない。
現実と向き合うことに疲れ、何をする気にもならなず、時間を潰す日々。
母や祖父母から「気をしっかり持て」と声をかけられても、「今はそっとしといて」と返すのがお決まりとなっていた。そう言われると、洋子と祖父母はそっとしておく他なかった。
だが、
――このままじゃ自分は落ちてくだけ……。
一番焦りを感じているのは、文夏本人だった。
そんな折、高校時代の親友、陣内美貴から着信が入る。出ようか迷ったが、文夏は意を決して通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『文夏? 元気……じゃないよね?』
「……最悪。毎日ブルー……っていうかブラック」
『メールなり電話なりしてくれて良いのに』
「最近誰とも話したくなくて……」
文夏のすげない返しに、美貴は沈黙する。
その様子に「ヤバい」と感じた文夏は、
「でもありがとう。連絡くれて」
慌ててフォローした。
『あのさ、あたしもう直ぐ冬休みなんだけど、何かバイトしようと思うの。一緒にやらない?』
「バイト……でも受験でしょ? そんな時間あるの?」
『推薦もらったから、少しはね』
美貴の誘いは渡りに舟だったが、文夏は直ぐには答えられず、「考えとく」とだけ言って、この日の電話は終わった。
美貴はまだどういうアルバイトかは決めていないらしく、「やりたいのがあるなら言って」と言っていた。
この機会を逃したら、いつ立ち直れるか解らない。友達からの蜘蛛の糸に掴まろう。決断すれば後は早かった。「バイトのことは任せて」と、その日の内に美貴にメールを送信した。
次の日から、文夏はネットを観たり、街中を歩いたりしてアルバイト探しを始めた。
――どうせやるなら稼げるもの。
そうは思っても、都合の良いものは簡単には見付からない。募集広告が貼ってある店を逐一チェックして歩く文夏が、駅前の交差点に差しかかった時だった。看板を持ち、電柱に寄り掛かっている老人が目に入る。
内容を見ると、駅近くのイメクラの宣伝だった。
――風俗……か。
高一でSEXの楽しさを覚えたが、それが原因で自分は落ちた。あの事件以来、やる相手もいなければやる気すらしなかった。
でも、稼げるバイトであることには違いない。看板を見たまま躊躇う文夏だったが、
――ショック療法ってやつ?
そう思い直し、急ぎ家へと帰った。
「風俗!?」
美貴は声を裏返し、ドアの外を気にして小声で続けた。
「ちょっとマジ?」
美貴の塾終わりに合わせ、彼女宅に駆け付けた文夏は、
「普通のバイトじゃお金稼げないじゃん? だからこういうのやったらどうだろうって。勿論無理にとは言わないけど」
あっけらかんと言いながらも、友人の気持ちは察した。
「……確かにお金は稼げるよ。……でも言い方は悪いけど、文夏は良くてもあたしは……」
美貴は難色を示した。無職の文夏はまだしも、高校生の美貴にはリスクが高い。
しかし、文夏は平然と続ける。
「解ってる。だからあたしだけでもどうかな? って思って」
こうあっさり言われると、美貴も引くに引けなかった。誘ったのも「やりたいのがあるなら言って」と言ったのも自分である。
美貴は「一応見せて」と、文夏がプリントして来た資料を見始めた。
「近場だとヤバイと思って色々調べたんだ。池袋のイメクラなんだけど、日払制で出勤日も自由。合わなければ一日で辞めても良いんだって」
まくし立てる文夏に、美貴は資料に目を通したまま、
「そう上手く行くかなあ?……まあ、日払いで出勤日が自由っていうのは、大体そうなんじゃない?」
澄ました顔で呟いた。
「っえ? そうなの?」
目を丸くする文夏に、美貴は苦笑した。
「ほら、いつだったか理沙が言ってたじゃん」
理沙とは、小・中学と一緒で、高校は他校へ進学した同級生のことである。
文夏が退学する前。久しぶりに再会した時に、理沙は先輩が風俗でバイトした話をしていた。文夏もその場に居合わせていたが、
「……覚えてないなあ……」
彼女の頭からは消え失せていた。
文夏の性格その一。マイペース。いつもの調子が戻った様子を見て、美貴の心は安心と呆れの半分半分となる。
そんな美貴に文夏は畳み掛ける。
「もし良ければ、二人共無職ってことで面接受けて、美貴は休みが終わりに近付いたら、家の事情とか言って辞めれる。どう?」
「どう、って言われても……」
美貴は口篭ってしまった。
文夏の性格その二。こうだと決めたら邁進、とうより暴走する。
「……あたしも、興味がない訳じゃないんだけど……」
美貴は微笑を浮かべた。理沙から話を聞いた時、何となく気には留まっていた。
文夏は「うん」と頷いた。難色を示されるのは予想していたが、意外な反応に驚いた。
美貴は葛藤していた。風俗でバイト。もし学校にバレたら推薦は取り消しになるだろう。いや、それだけでは済まないはずだ。
しかも、イメクラといえば客が指定した職業になりきらなければいけない。文夏の頭にそれはあるのか?
心配が頭を駆け巡りつつも、せっかく文夏はやる気になっている、という友人を思いやる心。プラス、興味はあったし、高額な金が貰えるという、甘い打算が入り混じる。
この日は結論が出ず、美貴は「考えさせて」と、立場が逆転した返事をするのが精一杯だった。
一週間が経った土曜日の午後。池袋駅には文夏と美貴の姿があった。
数日前に美貴から「やってみよう」と連絡を受けた文夏は、「本当に良いの?」と美貴の決心を確認し、面接の予約を入れた。
高校生というリスクを冒した美貴の頭には、誘ったことの責任感もあったが、やはり、上手く行けば高収入……。この打算に負けたのである。
二人は緊張の為、殆ど会話をしなかった。数分後、「渋谷さんですか?」と声をかけて来た男性スタッフに、文夏は「はい」と上擦った声で返事をした。
いよいよ、生まれて初めて風俗店に足を踏み入れる。
駅から程近いビル二階に、イメクラ<Blue Mountain>
はあった。
待機室に案内された文夏と美貴は、綺麗な内装に目を奪われつつ、ソファに座った。
二人の前には、この時二十五歳の店長玲子と、一つ下の副店長仁美が座り、履歴書に目を通している。
一通り読み終えた玲子店長が口を開いた。
「お二人は高校を中退されたんですね?」
打ち合わせ通り、美貴も高校中退とは書いたが、念を押す玲子の言葉にドキッとした。
隣の文夏は動揺するはずもなく、「はい」と返事をし、美貴もそれに続く。
二人は笑顔を絶やさぬよう努めた。これも打ち合わせ通り。
高校中退の件を信用したのか、玲子は具体的な話に入った。美貴は一先ず安堵した。
「容姿よりも大事にしているのは、お客様に対して、思いやり・優しさ・気遣いが出来るかどうかです。この三つは心得て下さい」
二人は「はい」と、息の合った返事をした。
次に、仁美副店長から仕事内容や給料の説明があり、最後に「ここまでで何かご質問は?」
と振られた。
「あのー、希望があれば講習を受けられるってことなんですけど、講師はどなたが?」
文夏の質問に仁美は、
「ご希望でしたら、初出勤の日に、私か店長の方でご指導致します」
と淡々と答えた。
安心した二人は、そろって講習を希望した。
「時間は一日三時間から受け付けるとのことなんですが?」
求人案内に載っていたことを確認する美貴に、
「はい。大丈夫ですよ」
玲子は笑顔で答えた。
納得した二人は必要書類に記入し、写真撮影を終えて面接は無事終了した。
初出勤は美貴の休みが始まる翌週からにした。美貴の希望通り平日の週三日、昼間の三時間勤務。万が一に備え、学校関係者が来ないであろう時間帯を狙ってのことだった。
店長も副店長も優しそうだし、職場も綺麗。気に入った文夏は、玲子から「夕起」と名付けられ、風俗嬢として働き始めた。
祖父母にはスーパーのパート従業員と嘘をついたが、洋子には正直に話した。予想通り難色を示されたが、根気強く説得し、何とか了承を得た。
「みやび」と名付けられた美貴は、アリバイ会社に登録した。おかげで学校にも親にもバレずに、休みが終わる前日、一身上の都合として退店した。




