裕介のエピローグ
裕介が修学旅行から帰って来た二日後の十一月十日。祖母、澄子が息を引き取った。
最期の方はガン細胞が脳に転移し、殆ど意識のない状態だったが、余命一ヶ月と宣告されてから半年近くが経っていた。
心が少しずつ変化し始めたとはいえ、死に行く人、逝った人を羨ましく思う気持ちは継続されていた。間違った道へ進む心を方向転換させようと、打開策を模索している矢先のことだった。
それだけに、訃報を聞いた裕介は複雑だった。せめて何かしらの結論に達するまで待ってほしかった……。
不可抗力だとは解っていても、裕介は祖母を悼む気持ちにはなれないまま、通夜・告別式を迎えた。
この機会にと買って貰った、少し大きめの濃紺のスーツと黒いネクタイ。ネクタイを締めるのは中学の制服以来である。
――あのババア、このタイミングで死にやがって!
首周りに違和感を、着慣れないスーツに窮屈さを感じたまま、裕介はムカつきに支配されていた。式中の焼香と合掌も、心ここにあらずの形式的なものだった。それが、今の裕介なりの供養でもあった。
出棺を終え火葬場へ移動し、点火された後は待合室で待機することになった。
その間、裕介は一人外に出た。駐車場には身内の車が五、六台停まっていたが、それでも広々と感じられた。
裕介は駐車場の端まで進むと、火葬場を背にしてタバコに火をつけた。
陽光に照らされた周辺の木々は、紅葉も終わりに近付き、風がなびく度葉を落としている。
ボーっとその風景を眺めていると、「裕介」と自分を呼ぶ声が聞こえた。だが後ろから聞こえたのではない。裕介の中で聞こえたのだ。
「諦めたら駄目よ」
裕介はハッとした。紛れもなく澄子の声だ。最初の見舞いの時に言われた言葉。しかし声はか細くはなく、元気だった頃の澄子で、優しく微笑みながら語りかけているようだった。
「裕介、諦めたら駄目よ」
再度声が聞こえた時、裕介の目は視界不良となった。周りの景色が滲んでいき、生暖かいものが頬を伝った。
裕介は涙を拭うこともせず、流れるまま、感情が動くままにしておこうと思った。
悲しさでも寂しさでもない。説明がつかないが、今まで心に溜まっていた老廃物が出て行くような、どこかスッキリして行く涙だった。
――婆ちゃんは、諦めなかった……。
裕介の中で一つの答えが出ようとしていた。「――早く起きなきゃ、家に帰らなきゃっていう思いが強いのかもね」。
小枝子が言った通り、澄子は最後の最後まで、生きることを諦めなかった。澄子だけではない。病を患った人も健康な人も、生かされている限り、その天命を全うしなくてはならない。自分もその中の一人なのだ。寿命を消化することに、無駄なんか一つもありはしない。
生かされているのだから、病気は必ず治るのだから、その日を根気強く待って、天命を全うしなさい。
諦めたら駄目。それは、退院する希望を持ちながらも、頭の片隅で死期を悟っていたかもしれない、祖母から孫への最後のメッセージ、遺言だったのだ。
「婆ちゃん……ありがとう」
自分なりの結論が出た裕介の目からは、更に大粒の涙が溢れ出した。歯を食いしばろうとするが、ガタガタ震えて止まらなかった。
もう二度と、死に行く人、逝った人に対して、羨ましいなどと思ったりはしない。そして、うつ病を必ず治してみせる。裕介は誓った。
――婆ちゃん、見ていてくれよ!
裕介は火葬場の方へ向き直すと、今度は心を込めて合掌した。
やっと涙が止まり、裕介は待合室に戻った。
隣に座った兄に、制服姿の秋久は、
「随分遅かったじゃん。(タバコを)何本吸う気だよ」
参考書に目を向けたまま言った。
「周りのことも考えてよ」
小枝子が忠告した。譲一は無言だったが、「全く……」とでも言いたげな呆れ顔をしている。
「そんなヘビー(スモーカー)じゃねえよ」
裕介がそう返すと秋久は顔を上げ、兄の顔を覗き込んだ。
「兄ちゃん、目が赤いよ」
ニヤつく秋久の言葉に、両親も裕介の顔に目が行った。友達とのひとっ旅以後、表情は随分穏やかになったが、涙を流すなど予想外だった。
譲一と小枝子は安心したように目を合わせ、微笑みあった。
この事態に戸惑った裕介は、
「……オレにも感情はあるんだよ!」
ぶっきらぼうに言い放ち、家族に背を向けた。
窓の外を見詰めた裕介の顔は、澄み切った空を映写したようであった。




