幼馴染み
「ちょっと寄り道させて」
爆笑され少し機嫌が悪い文夏は、車内のルームミラーを使い、コンビニで買った眉用ペンシルで眉を整えながら言った。
「どうぞ」
金・土と連れ回された裕介は、「もう好きにしてください」というスタンスであった。
眉を書き終えた文夏がカーナビに目的地を入力し、コンビニの駐車場から出発した。
十分程車を走らせた後、カーナビから「目的地に到着しました」とアナウンスが流れ、文夏は少し離れた路肩に停車させた。
裕介が身動き一つしないでいると、シートベルトを外す文夏と目が合った。裕介は「はいはい……」と言わんばかりの表情で降車する。
門の所まで歩いて行くと、門柱の看板には「ひかり保育園」と書かれていた。説明されなくても文夏とどういう縁があるかは一目瞭然。
「建物は昔と同じですか?」
裕介は解り切った口調で尋ねる。
「うん。変わってない」
文夏の一歩後ろに立ち、裕介も建物を見詰めて自分の幼稚園時代を思い出した。
幼児の頃から集団生活が苦手で、毎日送迎バスを見る度憂鬱な気持ちになっていた。それでも楽しかったことはあったはずだが、何一つ思い出せない。
――オレは、何に「楽しい」って感じるんだろう?
裕介が自問していると、
「あの頃は園庭も広く感じたし、遊具も大きかったんだけどなあ」
文夏は感慨深げに言う。
「身体が大きくなったからでしょ」
笑顔でツッコミを入れた裕介に、文夏も笑って「そうよね」と答えた。
「済みません。通して下さい」
門の前に立ち尽くす二人に、背後から女性が声をかけた。二人は振り返ると、「済みません」「ごめんなさい」と言いながら道を開けた。
「保護者の方ですか?」
門を開けながら、ロングTシャツにジーンズ姿の女性が尋ねた。格好と言葉遣いからして、ここの保育士だと思われる。
「っあ、いえ。私ここの卒園生なんです。懐かしかったんでつい」
文夏が破顔して言うと、保育士も笑顔で「そうだったんですか」と言いながら門を閉めようとした。だがその手を止めると、急に真顔になって文夏の顔を凝視した。
保育士の様子を文夏は不審に思ったが、文夏も目を逸らさず、二人は数秒間見詰め合った。
向こうは記憶を手繰っているように見えたが、文夏は何も思い出せない。
――眉毛がおかしいの?
文夏はそう思い、
「……私の顔、何か変ですか?」
と訊いた。
文夏の問いに、保育士は慌てて「いえ違うんです」と言いながら右手を左右に振った。
「あのう、間違ってたらごめんなさい。……もしかして、文ちゃん?」
「ええ。この町ではそう呼ばれてましたけど……」
自分を「文ちゃん」と呼ぶということは、面識があるはずだが、文夏はまだピンと来なかった。
「やっぱり! 私、覚えてない?」
保育士は自分の顔を指差しながら言った。文夏は更に目を凝らした。
「……ああ!! 麻子ちゃん!? ごめん。全然解らなかった!」
本谷麻子。七夕祭りの写真に写った二人の内の一人である。
「やっと思い出してくれたか! 十何年ぶりだからしょうがないよねえ」
二人は手を握り合って再会を喜んだ。
その光景を後ろで傍観していた裕介は、文夏に黙って車に戻ることにした。
「旧友……っか」
高木との一件以来、自分には「友達」という存在と縁がなくなったと思っていた。しかし、小中学校の同級生を避け、高校に上がってからも周りに壁を作っていたのは裕介自身である。「縁がなくなった」のではなく、自分から「捨てた」のだ。そんな中、文夏は積極的に裕介に接近し、今回、心に塞がった蓋を取り除くのに一役買ってくれた。
再スタートを切る裕介にとって、文夏は友達第一号となってくれた。これをきっかけに、自分もいつか、旧友との再会を喜ぶことが出来れば……。そう考えながら、裕介は車を目指した。
乗車するとシートを倒し、「ふー」とゆっくり息を吐いた。だるくて横になった訳ではない。小春日和の陽光を全身で受け止め、午前中から続く清々しさで包まれた心身を維持させたかったのだ。
旧友との再会を喜びながら、文夏は初めて麻子と出会った日を思い出していた。
「ひかり保育園」に入園して一年が経ったある日。文夏の粘土が盗まれる事件があった。先生と一緒に隈なく探したが結局見付からず、仕方なく新しい粘土を貰いに職員室に行った。
粘土を持って出て来た直後、三人の男子が、女子が入ったトイレの戸を開閉させて遊んでいるのを目撃した。園児が使うトイレには鍵は付いていない。女子は泣き出していた。
その女子が麻子だった。文夏は「もも組」、麻子は「ゆり組」で特に面識はなかったが、
「何やってるのあんた達!」
見逃せなかった文夏は、開閉させていた男子の襟元を掴んで止めさせた。
「何するんだよ!」
男子が振り払おうとしても文夏は手を離さず、
「先生ー! ちょっと来てえ!!」
と叫んで助けを求めた。
「きのうはありがとう」
廊下で擦れ違った文夏に、麻子は満面の笑みを湛えて礼を言った。
これをきっかけに、二人は仲良くなった。
「っていうか、今日お休みじゃないの?」
「園児達はね。私は来週運動会があるから、その準備で」
「そっかあ。そんな季節だよねえ。でも麻子ちゃんが保育園の先生かあ」
「ううん。まだ「先生」じゃないよ。去年からバイトで働いてるの。今は資格取る為に、短大の通信教育受けて勉強中の身」
「へー。ふふん。実はね、私も今、東京の飲食店で働きながら、定時制の高校通って勉強中の身」
いきなり「風俗店」とも言えず、文夏は咄嗟に嘘をついた。
「ハハハ。一緒だね」
二人は声を出して笑った。
「っあ、東京だったら、私年に一回くらいディズニーランドに行くんだけど、連絡しても良い?」
麻子は急に思い出したように言うと、ジーンズからスマートフォンを取り出した。
「うん。全然オッケイだよ!」
文夏と麻子は連絡先を交換し、名残惜しそうに別れた。
「フンフンフンフーン」。文夏は鼻歌を歌いながら車に向かった。午前中は裕介に翻弄され気が気でなかったが、そのおかげで予定にはなかった場所に立ち寄り、幼馴染みと再会することが出来た。
――ありがとうよ!
ドアを開ける前、文夏は心の中で車内の裕介に礼を言った。




