登場
「……お母さん?」
文夏は自分の目を疑いながら、洋子と思われる人物を見詰め続けた。
洋子と思われる人物は、旅行用のバッグを肩に下げたまま出入り口から少し離れ、スマートフォンで電話をかけ始めた。
すると二、三秒経った後、上着に入れていた文夏のスマートフォンが、着信音を鳴らしながら振動し始める。
――やっぱり……。
文夏はスマートフォンを確認もせず、恐る恐る洋子に近付いて行った。
「お母さん!?」
いきなり娘に声をかけられ、洋子はビックリして振り向き、文夏を認識すると、
「あら! こんなに直ぐ会えるなんて」
電話を切りながら素っ頓狂に言った。
「それより何でここにいるの?」
率直な疑問。もし仕事で来たのなら、自分に電話はかけないはずだ。第一、洋子には今回のことを何一つ告げていない。
文夏の言葉に、洋子は急に思い出した顔つきになった。
「休暇を無理にお願いして、文ちゃんを追いかけて来たのよ」
「私を?……!」
文夏の頭の中はこんがらがっていたが、物の数秒で情報源を特定出来た。
「美貴ちゃんから全部聞いたわよ。学校の人を無理やり連れて行くとか……」
洋子はジロっと文夏を睨み、咎める目をして問い詰めて来た。
「この町にいるっていうことは、美貴ちゃん以外にも迷惑をかけてる人がいるってこと
ね?」
美貴はさすがに「拉致して――」とまでは言わなかったようで、文夏は少し安心した。
「……あのお喋り」
「何がお喋りよ! 二十歳にもなって人様に迷惑かけて。もっと大人の自覚が必要よ!」
「……面目ない」
文夏は小声でペコリと頭を下げた。
洋子は苦笑いを浮かべて溜息をつくと、周囲を見回しながら言った。
「若干変わってるけど、この町に来るのあの人と別れて以来だわあ。出て行く時にはもう二度と来ることはない。って思ってたけど」
「うん。私も思ってた」
「でも、文ちゃんにとっては地元なのよね……」
洋子の表情は苦笑いから優しい微笑みに変わっていた。
「ところで、文ちゃんどこに泊まってるの?」
「ああ、近くの観光ホテル」
文夏はホテルの方角を指差しながら言った。
「連れて来た人も一緒なんでしょ? お母さんもお詫びしなくちゃね」
『今日午後二時頃、東京三田市にあるJR三田駅構内で、男が通行人を次々にサバイナルナイフで切りつけました。この事件で二人が死亡、五人が重軽傷を負いました。殺人と殺人未遂で逮捕されたのは……』
ホテルの部屋で一人テレビを観ていた裕介は、この無差別通り魔事件の報道を観て、
――良いなあ……。
命を奪われた被害者を羨ましく思っていた。祖母、澄子の変わり果てた姿を見て以来湧いた、死者への羨望……。軽薄だ。被害者や遺族に失礼だ。死というものがどういうことか、全く解っていない……。
反面、澄子を見舞ってから一、二ヶ月の間に、別の気持ちも湧き上がっていた。
被害者の一人、十八歳の少年は性格も明るく、将来は介護福祉士になって、人の役に立ちたいと話していたと、友人が取材に答えている。
――そういう人の命は尽きて、何でオレみたいなのが……。
代われるものならば、自分の命を前途有望な人に譲りたい。死亡事故や事件のニュースを見聞きする度に心底そう思う。自分のような人間が寿命を消化しているのは無駄。高齢ドライバーが運転免許を返上するように、命を返上することが出来るのならば……。
そんなことを考えると、また嗤う声が聞こえる。
「羨ましいならあの世に逝っちゃえよ! 死ぬチャンスは幾らでもあるじゃねーか」
「……そう、チャンスを活かせてないだけ……」
裕介が「もう一人の自分」と対話している時だった。
『コンコン』
「ユウ君、私」
ドアをノックされ、裕介はベッドから立ち上がった。
「ちょっと文ちゃん! 連れて来た人って男の人!?」
ドアの方へ近付いていた裕介は、驚いた様子の中年女性の声を聞き、怪訝に思って足を止める。
「まあね」
「まあねじゃないわよ! そうならそうと早く言いなさい!」
「だから! これから紹介するんじゃない」
裕介の心情も知らず、ドアの向こうでは何かややこしい方向に会話が進んでいる。普通なら「そんな関係じゃないよ!」とか言って否定するところだろうが、太田夫人の時といい、面倒臭いのか裕介をとことんからかうつもりなのか……。裕介はドアを開ける行為が億劫になった。
しかし、
『コンコン』
「ユウ君、いるんでしょ?」
「初めまして。文夏の母です」
開けない訳にはいかなかった。
裕介は覚悟してハっと息を吐き、ドアを開けた。
憂鬱な裕介とは対照的に、二人は満面の笑みを浮かべていた。
文夏は裕介に母親を紹介した後、洋子に向かい裕介を紹介しようとした。
「高校の一年先輩の……」
「中山です。初めまして」
裕介は自分から名乗り、深々と頭を下げる。
裕介の慇懃な挨拶を見た洋子は、
「こちらこそ初めまして。この度は娘が大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません」
娘に代わり、丁寧に謝罪した。
「いえ。こちらこそ渋谷さんにはいつもお世話になっていて、ありがたく思っています」
口から出任せ。まさか「迷惑してます」と言える度胸はない。
「じゃあお母さん、先行ってて」
一通りの挨拶が終わり、洋子は裕介に「それじゃぁ」と言いながら軽く会釈し、廊下を歩いて行った。




