拉致旅行
後期が始まって一ヶ月が経った、十月初めの金曜日。文夏は車で都内某駅に来ていた。
ロータリーに入り、駅横にあるスーパーの前に停車し、車内の時計に目をやる。午後四時十五分。
「もうそろそろかな?」
いつもは臆することがない文夏も、今日は緊張していた。
ハザードランプを点滅させ降車した文夏は、入り口に近付いた。駅へ入って行く若い男をじっくりと見定める。経つこと約十分。ようやく「獲物」が現れた。文夏は微笑を浮かべ、小走りで彼に近付く。
「ユウくーん!」
裕介はイヤホンをしていたが、音楽に混じり、嫌な声が確かに聞こえた。途端に背筋が寒くなる思いがして振り返る。
あからさまに驚愕の表情を浮かべる裕介に、文夏はニコっとして、「っよ!」と挨拶した。
「……何で、ここに?」
ゆっくりとイヤホンを外した裕介は、絞り出すような声で言った。
自分がこの駅を利用していることは、学校では大神と武田くらいしか知らないはず。なのに、なぜ彼女はここにいる?
「うん。ちょっと近くまで来たから。あっちに車あるんだけど、乗ってかない?」
文夏は左手の親指で車を指した。
「……いいですよ。電車で行くから」
「まあそう言わずに」
文夏は努めていつも通り振る舞っていたが、ニコニコして腕を掴もうとする彼女に、裕介は恐怖心を持った。
「いや、……本当にいいですから! そんなことして戴かなくても」
振り切ろうと後退りする中、また丁寧語が出てしまう。が、癖を気にしている場合ではない。
「今日はぜひ乗って戴きたいんです!」
ここで逃げられては元の木阿弥。文夏も必死だった。素早く彼の腕を掴むと、車の元に急いだ。
「おいちょっと、離してくれよ!」
抵抗する裕介の声に、行き交う人々は怪訝な目を向けるが、文夏は気に留めない。
裕介は何とか振り払おうとするが、文夏の手はびくともせず、引きずられて行く。
スレンダーな身体のどこにそんな力があるのか? とうとう強引に助手席へ押し込まれてしまった。
この状態に、裕介は深い溜息をつき、完全に諦めモードとなる。
これ以上抵抗しないと判断した文夏は、急いで運転席へ回り、ドアを閉めるとロックをかけた。
四ドアの軽自動車内に、「バタン」とロック音が響く。「拉致」完了の合図であった。
――学校に着くまでの辛抱だ……。
裕介は自分に言い聞かせ、釈然としない気持ちを静めた。だが……。
授業開始時刻は午後五時三十分。しかし十五分前になっても到着しない。それどころか、学校が所在する市を突っ切ってしまう。
「学校がどこに在るか分かってますよね?」
怪しんだ裕介は文夏を問い詰める。
「……」
彼女は笑顔を消し、無言で運転に専念している。その様子に胸騒ぎを覚えた裕介の額と両手からは、脂汗が滲み出す。
何とかここから逃げようと思った裕介は、信号待ちを見計らい、
「降りますから」
ドアを開けようとするが開かない。慌ててロックを解除しようとしたその時、文夏がアクセルを踏んだ。
エンジン音に驚いて振り返った裕介に、文夏はゆっくりと目を合わせた。
「開けたら前に突っ込むよ」
ボソッと脅しをかけられ、裕介は不安と恐怖で血の気が引いて行くのを感じた。
やがて車は世田谷区内に入り、目の前には東名高速道路の東京インターチェンジが現れた。
嫌な予感がした裕介の耳に、カーナビから「この先、斜め右方向です」とアナウンスが入り、裕介はパニックとなる。
「何で高速に乗るんですか!? どこに向かっていらっしゃるんですか!!?」
声が大きくなる裕介に対し、
「ちょっと付き合ってもらおうと思ってね」
文夏は低い声で告げた。
「そんなこと聞いてねえぞ!!」
「静かにしてよ! 今から高速走るんだから!!」
十九歳で免許を取得してから、初めて高速を使う。運転に集中したかった文夏は、逆ギレを装って黙らせようとした。
狙い通り、裕介は突然の大声に一旦押し黙る。しかし、強引に行き先も告げられず連れ回されて、じっとしているのは無理である。不安と恐怖に悔しさがプラスされ、スライドのように出ては消え、消えては出て来る。
苦痛に顔を歪ませる裕介の目が、ETCレーンを捉えた。堪り兼ねた裕介は、自傷行為と地団太を踏み始める。
それがうつ症状であることなど知る由もない文夏は、
「事故に遭いたくなかったら静かにして!」
と吐き捨てた。
山下らと海へ行くにあたり、一応取り付けていたETCがやっと活用され、車はゲートを通過した。
最早脱出は不可能。裕介は何とか落ち着こうと、深呼吸を繰り返した。
――ごめんね。もう少し経ったら説明するから……。
裕介の様子に、さすがの文夏も不憫に思い始める。
高速を走り始めて約二時間。裕介の目が出口を示す標識を捉える。
「いい加減止めろよ!!」
意を決して声を荒げた。ここに来るまで数箇所の出口があったが、決心がつかないまま通り過ぎてしまった。
「今どこ走ってると思ってるの?」
文夏の冷淡な口調に、裕介は苦虫を噛み潰したような顔をした。
それを横目で見た文夏は、
――そろそろ限界よねー。
一旦彼とゆっくり話そうと決め、高速を降りることにした。
高速を降り少し走った後、文夏は路肩に停車させた。
暗い車内には、エンジン音とハザードの点滅音が響き、しばし沈黙が流れる。
「どこに連れてく気ですか?」
先に口を開いた裕介は、忌々しさを抑えつつ、努めて冷静に訊いた。
問い詰められた文夏は、いつもの笑顔を見せた。その態度は裕介にとって、腹立たしいことこの上ないが我慢した。
「それは、着いてからのお楽しみってことで」
――!!!!?……こんな時に何惚けたこと言ってんだよ!?
彼女とまともに話すこと自体が無理なのか? 裕介の心は、呆れと諦め半分半分となり、「ハー」と深い溜息をついた。
「……お楽しみに出来ないから訊いてるんです」
「「拉致」したから、あなたを。だから私の行きたいとこに連れてく」
「……?」
不敵な笑みを浮かべて発せられた「拉致」という言葉に、裕介はうろたえ、頭が真っ白になった。
――やっぱこの女おかしい……。
「……自分が何を言ってるのか解ってます?」
「解ってるよ。ユウ君こそ自分の置かれてる立場解った?」
勝ち誇った顔をする文夏に、裕介は「……あんたねえ……」何か言い返したくても、二の句が継げなかった。
彼女を言い負かす手はないのか、思案に暮れる裕介は、「犯罪だ」と呟いた自分の言葉に、「これだ!」とひらめく。
「あんた犯罪だよこれ?……通報致しましょうか!?」
負けじと勝ち誇った顔で、ポケットから携帯を取り出した。
しかし、文夏の表情は変わらず、裕介の癖を嗤う余裕すらあった。
「そんなこと心配してこんなこと出来ると思う? 帰りたいならそれでも宜しいですよ。引き返すだけだし」
癖を揶揄した挑戦的な口調に、裕介は呆気に取られた。「あんたには通報する勇気も、引き返させる度胸もないでしょ?」。そう言われた気がして、屈辱だった。
だが、出て来た言葉は、
「絵に描いたような逆ギレ……」
自分でも情けない、惚けたものだった。
「ここから引き返したら、金をドブに捨てるようなもんでしょ?」
裕介は呟いた。文夏の財布を心配する義理はないが、この数時間、色んな感情が十重二十重に続き、頭は逆上せ上がっていた。
「っじゃ、再スタートさせて戴きまーす」
文夏は声を弾ませ、再び高速の入り口に向かって発進させた。
「勘違いしないでよ。オレあんたがやったこと許した訳じゃないから」
文夏の態度に裕介は釘を刺した。
「解ってる。ごめんなさい」
文夏は神妙な面持ちで、初めて謝罪した。




