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拉致旅行  作者: 弘田宜蒼
13/30

羨望

 八月に入ってから、裕介はあることがきっかけで、死に行く人間、逝った人間が羨ましくて堪らなくなっていた。

 八月初旬。群馬県前橋市内にある大学病院。裕介は小枝子に連れられ病棟の廊下を歩いていた。

 

 群馬は小枝子の地元であり、この病院には小枝子の母、澄子が入院していた。

 澄子は五年前に腎臓ガンを患い、切除手術を受けたが、年が明けた頃から体調不良を訴え、二月初旬から入院していた。


「お婆ちゃん、……もう余命一ヶ月なんだって……」

 夏休みに入って直ぐ、小枝子にそう告げられた裕介は、「ふーん」と聞き流した。入院していることは前に聞かされたが、自分のこと以外で頭が回らなくなっていた。

 

 秋久は受験を控えた夏期講習などの為に、中々時間が取れなかった。でも、小枝子はどうしても、余命幾ばくもない母に孫の顔を見せてやりたかった。そこで白羽の矢が立ったのが、裕介だった。

 

 小枝子の気持ちは、裕介も鈍い頭を回転させれば理解は出来た。しかし、「もう駄目だ」と言われている人を見舞うのは辛い。出来れば精神的動揺を加えたくはなかった。だが、「一緒に来て!」と母親の懇願は執拗だった。   

 遂に根負けした裕介は、小枝子の仕事が休みの日に、渋々前橋まで出向いたのだった。


 エレベーターを降りて一分数十秒。親子は無言で病室を目指した。辿り着いた個室の三一二号室。壁の左上には、「大村澄子様」とネームプレートが貼ってある。

 引き戸の前に立ち、裕介は深呼吸をした。息子の様子を気遣い、小枝子は「良い?」と確認し、裕介は無言で頷いた。

 

 小枝子が戸を開けると、鼻に酸素吸入器を取り付けた澄子がベッドに横たわっていた。その姿を見るなり、せっかく深呼吸して落ち着いた裕介の心は、直ぐに動揺に変わった。

――これが……あの婆ちゃんか?

 俄かには信じられなかった。

 

 元々細身だった澄子は、二ヶ月程前から絶食状態となり、表現は悪いが正に「骨と皮」だった。豊かだった表情も消え失せ、虚ろに天井を見上げているだけである。身体も殆ど動かず、看護師にされるがままの体勢で寝かされていた。


「お母さん。また来たわよ。気分はどう?」

 穏やかな笑みを浮かべ、小枝子は澄子に語りかけた。すると澄子は、ゆっくりと声のする方へ顔を向け、ゆっくりと二回頷いた。

「……だいぶ、良いわよ」

 澄子の声を聞いて、裕介は更に動揺した。甲高かった声は今や昔。殆ど聞き取れない、か細い声だった。

「そう。良かった! 今日はね、裕介が来てくれたのよ!」

 

 そう言って、小枝子はベッドから離れて傍観している裕介に、目で「来なさい」と合図した。

 裕介は、小枝子が敢えて笑顔で接していることが分かった。自分もそうしなければとは思ったが、驚きと戸惑いで中々足が動かない。

 

 だが、

「ほら裕介よ。解る?」

小枝子が指し示した為、澄子の顔は裕介へ向けられた。こうなると覚悟を決める暇はない。裕介は笑顔になってベッドに近付いた。

「婆ちゃん久しぶり!」

「……裕、介……」

 よく見ると、入院以来初めて孫の顔を見た澄子の口元が、笑っているようにも見えた。

「……元気だった?……」

「うん。元気だよ!」

 裕介は笑顔で答えた。

「……病気は……大丈夫?……」

「……ああ。安定してるよ」

 澄子は裕介がうつ病を患っていることを知っている。会う度に「調子はどうなの?」などと気遣ってくれていた。


――自分がこんな状態なのに……。

 今や寝たきりとなった祖母から心配され、裕介は胸が締め付けられた。まさか「ここんとこ調子悪くて……」とは、口が裂けても言えない判断くらいはつく。

「……そう。……諦めたら駄目よ……」

 裕介は何も言えず、笑顔のまま頷くことしか出来なかった。

 

 一時間くらい見舞った後、

「また来るから。ゆっくり静養して!」

裕介は気力で笑顔を作り、声を張った。

「……またいらっしゃい……」

「はい。お大事にね」

 病室を出てエレベーターに向かう途中、小枝子は思い出したように話し始めた。

「今日は言わなかったけど、お婆ちゃん、時間のことが気になるみたいでね」

「時間?」

「うん。「今何時?」とか、「食事の用意は大丈夫?」とかね。……早く起きなきゃ、家に帰らなきゃっていう思いが強いのかもね」

「……退院を諦めてないんだ」

 余命一ヶ月の人間が退院……。まずあり得ないことだ。


「そうよ。だから裕介にも、「諦めたら駄目よ」って言ったんじゃない?」

 帰りの電車の中、小枝子とは離れて座った裕介は、ボーっと車窓から入って来る景色を眺めていた。

 その内、さっき胸を締め付けられた思いを台無しにする、非人間的な考えが芽を出した。

――婆ちゃんは良いなあ。

 退院を諦めていないとはいえ、澄子のような死に行く人間は、もう病気と闘うことも、日常生活を送ることも出来はしない。現状から逃げ出したいが故、自分もそうなりたいと強く思った。

 

 邪な考えであることは百も承知している。が、そんな人達に憧れを持った。


 仕事に友達付き合いと、毎日が活発的な女性。片や、現状にもがけばもがく程、悪循環に陥って行き、遂には死に行く人を羨ましく思ってしまう少年。

 こうして二人の夏休みは終わった。


 九月に入り後期が始まった。文夏は相変わらず裕介を見付けては、挨拶や一言二言声をかけ続けた。

 裕介は無視を決め込もうとしたが、根が懐っこいが故、押し通すことが出来ない。気が付けば、ぶっきらぼうながら少しずつ会話をするようになっていた。

 それこそが文夏の思う壺であり、旅を実行に移すカウントダウンに入った。


「東京生まれじゃなかったんだあ」

 九月も残り一週間となった夜。美貴はソファに足を伸ばし、一日の終わりに必ず飲むビール片手に、目を丸くした。

「うん。久しぶりに里帰りしようと思ってね」

 出会って五年。文夏は一度も地元の町を話題にしたことはなかった。

「ふーん。でも夏休みにすれば良かったのに」

「まあ、……紅葉も綺麗だし」

 

 もっともな美貴の指摘に、文夏は歯切れの悪い返事をした。本当は、裕介に対する布石が必要だったからである。

「でも何で急に?」

 美貴の質問に、文夏は少し考えた。

「……自分を見詰め直したいの。この二年くらいの間に色々あったし」

「スペクタクルだねえ」

 率直な言葉に、文夏は「まあね」と言いながら笑みを浮かべた。


「私にとっても……」

 文夏が思わず呟いた一言を、美貴は聞き逃さなかった。

「「私にとっても」って……、何か企んでるね?」

 美貴の指摘に我に返った文夏は、「しまった!」と言いながら苦笑した。鈴江が指摘した時と同様、彼女は自分の気持ちを素直に言動に表わしてしまうところがある。

 

 仕方なく、文夏はもう一つの「計画」を告白した。

「旅のお供っていうか、ちょっと付き合ってもらおうかなって人がいるの」

 それを聞いて、美貴は嫌な予感がした。

「まさかあたし!?」

「ううん。学校の人」

「友達なの?」

「うーん。なりつつあるっていうのか、強引に付き添ってもらおうと」

 

 自分がターゲットではないと解り、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。美貴は再び動揺させられた。

「……それって誘拐じゃん!?」

「誘拐っていうか、拉致?」

 物騒なことをあっけらかんと言う文夏に、

「どっちにしたって犯罪でしょ!?」

美貴はツッコミながら呆れるばかりだった。

「相手は幾つなの?」

「十七って言ってた」

「ちょっとヤバくない? 警察沙汰になったらどうすんの!?」

 美貴は動揺と呆れを一遍に感じ、訳が解らなくなる。


「その辺は大丈夫だと思う。彼なら」

「……?」

 その自信はどこから来るのか? ニヤリとする文夏に、美貴は気味が悪くなり、それ以上は訊けなかった。



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