衝撃の事実
六月も下旬に入った放課後。裕介は文夏を避け、裏門から帰ることにした。
駐車場での一件以来、彼女は自分の顔を見ると挨拶なり必ず声をかけて来ては、脱兎のごとく去って行く。鬱陶しさに加え、絶句してしまう自分も悔しかった。
今日は平穏無事に帰れるだろうと、安心していた矢先だった。
「いやあ、驚いちまったよ」
石段下から、聞き覚えのあるべらんめい口調が聞こえて来た。
裕介と同学年で運送会社に勤める石村だ。そしてもう一人、
「どうしたんですかあ? ニヤニヤして」
建設会社に勤める村田の声も聞こえる。二人はよくつるんでいる仲だ。
――何だよもう……。
裕介は家路に入った邪魔者を鬱陶しく思いつつ、足を止め聞き耳を立てた。
「この前息子のパソコンでネットやってたんだけどよお。「お気に入り」の中に風俗情報のページがあったんだよ」
「へえ、それで観たんですか?」
「観ちまったんだよお」
――あのおやじそればっかだな……。
裕介は呆れるばかりなり。
石村は、気に入った女子生徒には欠かさず声をかけて回る、校内では有名人である。
「ったく……好きですねえ」
「そしたら、大変な事実を目撃しちまったんだよお」
――どうせくだらねえことだろ。
とは思いつつ、裕介は更に耳を澄ます。
「今年入って来た渋谷って子だっけ? 瓜二つの奴が載ってんだよ!」
「マジですかあ!?」
女好きの石村は、当然文夏にも声かけ済みである。
石村によると、洋服から下着姿となり、最後は手ブラで微笑むという内容らしい。
「ありゃどう見ても同一人物だな」
――マジかよ!?
裕介は驚愕しながらも、足音を立てないように注意しつつ、裏門から遠ざかった。
高鳴る鼓動を感じながら、裕介は校庭内を歩き続けた。
――風俗嬢が……身近にいた!?
今までにそっち系の雑誌や、サイトでは何度となく見たが、そういう仕事をする人はずっと遠くにいるものだと思っていた。
当てもなく歩いていた裕介は、
――そうだ……帰るんだ……。
冷静を取り戻し、正門を目指して歩き始めた。
早足で校舎の前を通り過ぎようとしていたその時、紙飛行機が目の前を横切り、前方に落ちた。
後ろからは、「よっしゃあ!」「コントロール良いねえ」と女性の声がする。
またしても聞き覚えのある声に振り返ると、
「お疲れさまでーす!」
二階の窓から文夏が笑顔で手を振っていた。
――何も知らねえと思って……。
裕介は鼻で「っふん」と笑うと、紙飛行機を拾って去って行った。
「愛想なくない?」
山下が遠ざかる裕介を見ながら言った。
「あれが、彼の持ち味」
気に留める様子もない文夏に、
「物好きなんだねえ」
鈴江は呆れ気味に言った。
七月に入った放課後。裕介は、急ぎ一階へと降りた。
校舎から少し離れた玄関が見渡せる位置で、音楽を聴きながらターゲットの登場を、今か今かと待つ。
次々に生徒達が家路につく中、女性二人を伴って文夏が現れた。
しばらく立ち話をし、二人は自転車、文夏はトールワゴンの軽自動車に乗り込んだ。
それを確認した裕介は、車に近付いて行く。
――今日こそは一言言ってやる!
意気込んで助手席側のフロントガラスをノックする。
「ちょっと良いですか?」
暗い車内でスマートフォンを観ていた文夏は、突然のことにビックリし、ルームランプを点けた。
裕介であることを確認し、笑顔を見せると、躊躇うことなく「どうぞ」と言いながら招き入れる。
車内はディズニーキャラ、スティッチのフロントマットとクッションが置いてあるくらいで、他はシンプルだ。
助手席に座った裕介は、早速本題に入る。
「あんたさあ、いつもオレに話しかけて来るけど、一体何なんです?」
「話しかける? 挨拶でしょ? 挨拶は大事だと思いますけど」
全く動じる様子もなく、ニコニコしている。それに言っていることは正しい。それ故に裕介は二の句が継げない。
口篭る裕介を尻目に、文夏が口を開いた。
「私、渋谷文夏っていいます。シブヤって書いてシブタニ」
「そこまで訊いてないよ……とにかく、オレは挨拶が嫌いなんです!」
やっとのことで出た二の句は、自分でも支離滅裂だと解った。
「珍しい。お名前は?」
「話を逸らすな!」と訴えたかったが、にこやかな文夏に調子が狂い、何を言いたかったのか見失った裕介は、またも二の句が継げない。
そしてとうとう、
「……中山裕介です。……ユースケ・サンタマリアの本名と同じ」
ペースに呑まれてしまう。
「ユウ君だって一言多いよ」
「ユウ君!?」
なれなれしい文夏に目を丸くする裕介だが、彼女は意に介さない。
「多分私より歳下でしょ?」
「……十七だけど」
「タバコはいけないねえ」
文夏は急に真顔になり、睨みつけて咎めた。
「だから!……」
「話を逸らすなよ!!」と続けたいが、今度は文夏の目に圧倒されてしまう。
だが、ペースに流されている内にリラックスしたのか、やっと言いたかったことを思い出した。
「とにかく、オレには構わないでくれって申し上げたいんだよ!!」
「申し上げたいって……ウケるう!」
爆笑され、顔が赤くなって行くのが解った。
ムキになると、三言の内一言くらい丁寧語になる。裕介の変わった癖で、笑われては自己嫌悪に陥るが、一向に直らない。
「ユウ君って面白いねえ。なのにどうしていつも一人なの?」
「……あんたには関係ねえよ!」
笑い続ける文夏から、裕介は顔を背けた。
「私はシブタニです」
「シブタニかシブガキか知らねえけど……」
念を押して来る文夏に、うんざりした裕介は呟いた。
「今度はオヤジギャグかよ!」
ツッコミを入れながら、文夏は笑いを蒸し返した。
我慢ならなくなった裕介は、「バカにすんなよ!!」と言い返そうと文夏に目を向けた時、数日前盗み聞きした話を思い出す。
――そういやこの人、風俗嬢なんだっけ?
裕介は文夏の身体を凝視した。
視線に気付いた文夏は、
「私の身体って、ガン見するほどイケてる? それとも醜いかい?」
こう言ってニヤつく。
裕介はハッと我に返る。
「とにかく……って二度目だけど、オレのことはほっといて下さい。……それからこれ」
裕介は鞄から、折り目の入ったルーズリーフを取り出した。文夏が紙飛行機にして飛ばしたやつだ。
「紙を無駄にしないように」
「これはご親切に」
「……お疲れさまでした」
ルーズリーフを渡すと、裕介はそそくさと出て行く。
「お疲れさまでーす!」
裕介の後ろ姿を、文夏はいつものように笑顔で見送った。
「挨拶は嫌いだ」と言っておきながら、自分から挨拶したことに、裕介は再び顔を赤らめた。
釈然としないまま家へ帰った裕介は、文夏とのやり取りを思い出した。はっきり物を言えなかった自分。笑われたこと。それらがグルグルと頭を回り、苛立ちに襲われる。
そして、また両腿を殴りつけるのだった。
七月十六日、前期最終日。ホームルームも終わり、裕介はいつものように急ごうとした。
文夏と車内でやり合った日から今日まで、念には念を入れ、今まで以上に足早に校内から「脱出」していた。
しかし、この日は運命の神様が、ちょっといたずらをした。さっきから尿意を催しているのだ。
駅まで我慢するか迷うが、今から我慢するのではなく、三十分程前から始まっている。
――急いですれば大丈夫だろう。
裕介はトイレへ向かい、用を足すと、小走りで階段ヘ向かった。
緑ヶ丘学園高校は、一階は職員室や理科室などがあり、教室は二階から四階という造りになっている。
一階へ降りる踊り場と、玄関を通り過ぎてしまえば、文夏に出くわすことはないはずだ。
しかし、急いでいた足は、ものの十秒程度で止まる。
案の定、文夏が踊り場の掲示板前に立っているのである。
立ち尽くしたまま、このまま行ってしまおうか、戻って時間を潰そうか迷っている内、気配に気付いた文夏が振り返る。
「っあ、お疲れさまー」
笑顔で手を振る彼女に、裕介は諦めて階段を降りた。
――ベタの王道だな……。
裕介は思い切りの悪い自分と、尿意を催した運命を呪った。
「後期までどうするの?」
「ほっといてくれって言ったろ」
「彼女と海にとか?」
裕介の意に反して、文夏はこの前の一件から更になれなれしい。
「いねえよ」
裕介はハっとする。
――しまった……。
彼女のペースに呑まれるどころか、お互いタメ口であることにも気付き、襟を正す。
「若いのにねえ」
「自分だって若いじゃないですか」
「十代と二十代は違うの」
「……そんなもんですかねえ……」
裕介はこれで切り上げようと歩を進めた。
その時、下の下駄箱に寄り掛かる石村と村田が、ニヤついてこちらを窺っている姿を見てしまう。
――!!!!……あのおやじ共。
目が合っても、二人は動じる様子がない。
「……っじゃ、帰りますから」
「またねえ」
ばつが悪くなった裕介は、逃げるように残りの階段を駆け降り、石村と村田には見向きもせず校舎から出た。
裕介が去った後、山下が鈴江を伴い「ここにいたんだ」と言いながら現れる。
「さっきの彼と、なーんか良い感じじゃん?」
山下が、肘で文夏を突きながら冷やかす。
「うちらより年下なんじゃない?」
「うん。現役」
山下に比べ冷静な鈴江に、文夏は含み笑いをして答えた。
文夏の様子を鈴江は怪訝な目で見たが、山下は気付かないのか、話題を変える。
「ねえ。さっき智広と話してたんだけど、夏休み海行かない? 文夏車持ってんじゃん」
「ああ。良いねえ。行こう!」
「何か企んでる?」
含み笑いを続ける文夏に、鈴江は怪訝さを抑えられずに訊いた。
「ううん。別にい」
鈴江の指摘通り、文夏は企んでいた。




