交渉決裂
朝日の眩しさで目が覚めました。案の定、部屋には私以外誰もいません。
私たち4人は昨日からとある村に滞在しています。私がいた村よりも小さくて古い村です。でも村の人は笑顔で幸せそうでした。いきなり来た私たちにも新鮮な野菜を分けてくれたりしましたし、宴会に誘われたりしました。私は厚意をありがたく受け取ろうとしましたが、リナさんがそれを良しとしませんでした。村人と喋るなと言ったり貰った野菜を棄てたり…リナさん曰く、この村は危ない村だそうです。クロエさんもそう思っているみたいで、大人しくリナさんの指示に従っています。私はこの村が危ないとは到底思えませんが、また”お仕置き”されるのは嫌なのでちゃんとリナさんの言いつけを守ります。
昨晩はリナさんが1人だけ宴会に行った後、私とクロエさんとルシアナさんの3人で夕飯を食べました。夕飯と言っても、ただの保存食でしたが…。ルシアナさんがずっとグチグチ文句を言ってました。物足りないと思いつつも食事を終え、後は体を拭いて歯を磨いて寝るだけになりました。そこからクロエさんは1階に移動して、2階の寝室には私とルシアナさんが残りました。この人と2人きりで一晩過ごすという事実に若干憂鬱になりました。私は水が入った桶とタオルを2枚用意して、ルシアナさんと一緒に体を拭きました。リナさんに散々乱れた姿を晒しているので、今更裸を見られることに抵抗は感じませんでした。そのままでよかったんですが、何を思ったのかルシアナさんは突然裸のまま後ろから私を抱きしめてきました。見るだけでも十分なデカチチを私の背中に擦り付けてきて、挙句私の胸を揉んで「レンレンのおっぱいちっちゃくて可愛い〜」とか言ってきました。私は何とか振り解くと、持ってたタオルをルシアナさんの顔面に全力投球しました。ベシャッと音を立ててタオルが顔にくっついたまま動かないルシアナさんを横に、私はそのまま明かりを消してベッドに横になりました。
そのまま寝ればいいんですが、なぜか村でリナさんと出会った日を思い出しました。思えばあの日から毎晩可愛がられています。それまで、そういった経験は全くなかったのに…。そして今日、キスをほんの少ししてもらっただけです。今まで散々滅茶苦茶にしてきたのにキス1回です。そう考えたらすごく物足りなく感じて、どうしても欲しくなって…でもすぐそこにルシアナさんがいる訳で、私は必死に自分の性欲を殺してどうにか眠りました。
朝の身支度を整えました。ですが、特に何もすることがありません。外に出ようにもリナさんに怒られそうですし…どうしましょう。
ドライフルーツでも食べようと思ったその時…。
コンコン
扉をノックする音が聞こえました。
「どうぞ」
入ってきたのはリナさんでした。
「起きてたね」
「はい」
「…あいつは?」
部屋を見渡してリナさんが言いました。
あいつ…恐らくルシアナさんのことでしょう。
「私が起きた時にはいませんでした」
「…寝る時は一緒だった?」
「ど、どうでしょう、先に寝てしまいましたから…。すみません」
「いや、いいよ。それより、午後には村を発つからそのつもりで」
「ご、午後ですか?随分と急ですね。何かあったんですか…?」
「どうやら道を間違えたみたいなんだ。だからなるべく早く戻りたいと思ってさ」
「…道間違えたんですか?」
「うん。私が地図読めないの以外?」
「リナさん割と完璧なイメージだったので」
「私だって人間だからね。得意不得意があるんだよ」
「リナさんの不得意って何ですか?」
「言いたくない」
これだけ真顔で返されました。
「朝食は?」
「まだです」
「じゃあ一緒に食べよっか。昨日の朝から何も食べてないからすごいお腹空いてるんだよね」
「昨日の宴会は何だったんですか…?」
そうして私とリナさんはドライフルーツを朝食として食べました。
朝食が終わったらしばらくリナさんと雑談して、その後出発の準備をしました。準備と言えど、持ち物がほとんど無いので準備も何もないんですが。とりあえず残った非常食を持ってリナさんと家を出ました。外ではクロエさんが待っていました。
「おはようございます」
「おはようございます。もうお昼過ぎましたけどね」
「ルシアナは?」
「まだ見えませんね…。どこ行ったんですかね?」
ルシアナさん…。もしかして、彼女の身に何かあったんじゃ…。
と、心配したのも束の間。
「ワッ」
「ッッ!!!!」
真後ろから声と同時に肩を掴まれて、私は飛び上がりました。心臓が飛び出るかと思いました。
「…お前、今までどこにいた?」
「それよりどうやって、私にすら気づかれずに接近したんですか?」
「昔っから気配を消すのが得意なんだよね〜。てかもう出発すんの?」
もう今のは気配を消すとかいう次元じゃないと思いましたけど…。
戻ってきたルシアナさんは片手に大きめのバスケットを持っていました。
「それは?」
リナさんがバスケットについて問います。
「いらない置物とか貰ってきただけだけど、見る?」
するとルシアナさんはバスケットの中から置物を1つ取り出して見せました。
「見てこれ、金の蛇の頭に剣が刺さってる置物ー。意味分かんなくない?」
「…」
「…」
リナさんとクロエさんはとても呆れた顔をしていました。多分私も同じ顔です。
「旅の方々」
そしたら村長さんが近づいて声をかけてきました。
「ほんの少しの間でしたが、この村に立ち寄っていただきありがとうございました。皆様の旅が楽しく危険の無いものになりますよう、心から祈っております。どうか、お気をつけて」
「私らも、この村が末長く続くよう祈っています」
村長さんとリナさんが挨拶を交わします。村長さんの言葉には励まされるような感じがしました。
それから私たちは村を後にして、来た道を戻って馬車のところまで帰ってきました。
全員が馬車に乗り込んで、クロエさんが馬車を動かします。もう今日からまた野宿が始まると思うと気が重いですが、次の街だか村だかまで頑張りましょう。ネガティブのままだと、楽しいことも楽しいと感じられないですからね。何があっても前向きに…。
オギャー
「あ、もう切れちゃった」
「…」
「…」
「…」
ルシアナさん以外の3人が音の元を凝視します。
「よしよし〜、どうしたの〜?」
ルシアナさんがバスケットから取り出したのは、赤ん坊でした。
言いたいことは山ほど浮かびましたが、衝撃が大きすぎて言葉にはなりませんでした。それに、リナさんが今まで見たことがないような形相でルシアナさんを睨んでいます。本当に、ちょっとでも声を出せば殺されそうなくらいおっかない顔です。
「停めろ」
リナさんがクロエさんに命令して、馬車が停まります。馬車が停まったてからは、しばらく静寂が辺りを包みました。その間聞こえたのは、赤ん坊の声と頭を抱えたリナさんの溜め息のみ。そして何分か経った時、リナさんが口を開きました。
「クロエ」
「…」
「鏖」
「了解です」
私には今の状況の何一つ理解することができませんでした。リナさんの言葉の意味も、ルシアナさんが赤ちゃんを攫ってきたことも、クロエさんが剣を持って村の方に向かうのも…。何も…。
クロエさんが馬車を降りてからも沈黙は続きました。すると突然轟音が鳴り響き、地震が起こったと思うほど地面が揺れました。それにびっくりしたのは私だけで、2人は微動だにしていませんでした。音も揺れも収まってきたところで再びリナさんが喋りました。
「エルフ」
「ん〜?」
「虫の餌かお仕置きか、選べ」
「…お仕置きの内容…」
ヒュンッ
「え…」
ルシアナさんが言い切る前にリナさんが懐からナイフを取り出して、それがすごい速さでルシアナさんに向かっていきます。私が間抜けな声を出すと同時に、ナイフはルシアナの目から1cmあるかどうかの距離で静止しました。
「次は目を刻む」
私は声を出してしまったことに気がついて、リナさんに殺されるのではないかとビクビクしていました。
「…お仕置き」
ルシアナさんはそう言うと指でナイフをピンッと弾きました。ナイフは放物線を描いて飛んでいき、リナさんの手に収まりました。
「戻りましたー」
そこで丁度クロエさんが帰ってきました。
「お話は…」
「終わった」
「進みます?」
「…いや、今日はここで野営する」
「分かりました」
それからは4人とも何も喋らずに夜を迎えました。テント2つに私とクロエさん、リナさんとルシアナさんに分かれました。赤ちゃんは馬車の中に…テントの中より安全性は高いからということでした。
今回の件を何も理解していない私は、考えても仕方がないと思ってさっさと寝ようと思いました。でも、隣でリナさんがルシアナさんにお仕置きを始めました。ルシアナさんの喘ぎ声、叫び声、唸り声がすごい聞こえてきます。必死にリナさんに許しを請う声も…。経験から言いますと、地獄です。されたことありませんが拷問を受けているような気分でした。未だに言いつけを少し破ったくらいでお仕置きされるのは理解できませんけど、今回は完全にルシアナさんの自業自得でしょう。理由は知りませんが、赤ちゃんを誘拐してきたわけですから。
「寝られませんか?」
「…はい」
横からクロエさんが声をかけました。
クロエさんは、真相は知っているんでしょうか。
「レンさんは、知りたいですか?何があったのか」
「…」
「どちらでもいいですよ。知りたいと答えても、興味ないと答えて耳を塞いで寝るも」
「…知りたい、です」
「では、場所を変えましょう。ここは雰囲気がアレなので」
遠回しにルシアナさんが五月蝿いと言ったクロエさんとテントを離れて、村があったところまで歩いてきました。
やはりというか、分かってはいましたがこれで轟音の正体がはっきりしました。
月明かりは、今日の昼まで家だった残骸を照らしました。建物は全て瓦礫と化し、夜の静けさ以上に生き物の気配が無いという感じでした。
「これはやっぱり、クロエさんが…」
「ええ、すごい音したでしょう」
「…全員、死んだんですか?」
「恐らく、全滅させるつもりの威力で攻撃したので」
私は驚いていました。ほんの数時間前まで生きていた人たちがみんな死に絶えた…その現実に、さほど関心が無いことに。この前盗賊たちがクロエさんに殺される時はあんなに動揺して、リナさんに理由を訊いたりしたのに…。ナターシャという英雄の末路を聞いて、人の愚かさに辟易したのに…。過ぎ去った他人の死にここまで興味を持てないのは、結局私はそういう人間だと女神様に説かれているような気がしてなりません。
それでも真相を知りたいと思ったのは、多分仲間はずれは嫌だから。リナさんもクロエさんもルシアナさんも知っていることを、私だけが知らないのは嫌だからだと思います。
「この村は…」
クロエさんが話し始めます。
「人身御供の伝統がありました。生贄を神に捧げる伝統が」
「女神様に生贄を…?」
「女神様ではなく、”神”です。別物ですよ」
「…別の宗教、ということですか?」
「そうですね。別の偶像崇拝です」
「偶像崇拝って…教会の人に怒られますよ」
「レンさんの村に教会ってありましたっけ?」
「無いですけど、王都からよく来てたんですよ」
「そうだったんですね。一番初めから説明しますと、この村って地図に載ってないんですよ」
「地図に載ってない?」
「はい、その場合考えられることは2つ。単純に未発見か、生きて帰った者がいないか。後者だと仮定したお嬢様が、非常食を持たせて2人に村の食べ物を食べさせないようにしたんです。貰った野菜も棄てたでしょう?」
「あれはびっくりしましたよ。こっちは、村は危険かもと言われただけで、生贄とかそういうの全く言われてないんですから」
「その時はお嬢様もまだ確定は出来てないですからね。それに村人に聞かれる可能性があったので下手なこと言えなかったんですよ」
「家の中でしたけど…」
「ここは相手のテリトリーですよ?村の中ならどこにいても見られているし聞かれている。なんなら屋根裏に1人いましたしね」
「え…?」
ゾワッとしました。
「そんな訳でお嬢様は宴会に出席して、腹痛と偽って何も食べずに持ってきた水だけ飲んでいました」
「…そう言えば今日の朝、しばらく食事してないって言ってましたね」
「宴会後は村長から夜伽の提案をされて女を1人選んで、そいつに今ルシアナさんにしてるようなことをして村の詳細を聞き出したんです」
「拷問を…」
「結果として、村が人身御供をしていることが判明しました。しかも村の外部から来た者は例外なく生贄にしているそうでした。それからお嬢様は私を連れて村長の家に向かいました。ある取引をするために」
「取引?」
「村を消さない代わりに我々には何もせずに逃してほしい、と」
「それは、取引と言えるんですか?選択肢1つしかなくないですか?クロエさんまで連れて行って」
「有利な方が力を見せて相手の選択肢を絞り、自分に利益が生じるように返答を誘導する。これが取引の常套手段です。村長は条件を1つだけ提示しました」
「条件?」
「村で唯一の赤子には手を出さないと約束する。破れば地の果てまで追いかけて神の裁きを下す、と。旅人が現れない限り、次の生贄があの赤ちゃんになるということでした。攫ってきたということは、ルシアナさんはこの話を聞いていたんでしょうね。理由はともあれ。まあそのせいでこんなことする羽目になったんですけど」
赤ちゃんを生贄する村。そんな村、消えてよかったと心底思います。
「大体分かりました。でも、リナさんはどうして取引までして村を残そうと思ったんですか?…村を破壊する方が手っ取り早く簡単でしょう」
「…レンさんは、この村人が悪人だと思いますか?」
「そりゃあ、人を何人も殺してる訳ですから」
「村人に悪いことをしているという自覚はこれっぽっちもありませんよ。それが正しいと信じて疑わなかったと思いますよ」
「異常者の集まりじゃないですか、そんなの…」
「幼い頃からそういう教育をされれば、誰だってああなると思いますよ。あとレンさんは、戦争で人を殺すことは正しいことだと思いますか?親の仇を殺すことは、病気で苦しむ友人から殺してほしいとお願いされ殺すことは、正しいと思いますか?」
「…正しくありません、正しいはずありません。でも、それら全て私には否定もできません」
「これは善悪の二極化で話せる単純なことではありません。私だってその問いの明確な答えを持ってはいません。これは個人的な正義の話です。そしてそれは、レンさんも目の当たりにしてはずです。お嬢様が問答無用で盗賊の処刑を命じたことを」
「…」
「この村だって、好きでこんなことしてる訳じゃないと思いますよ。初めは飢饉とか災害とかで苦しんでいた時に、生贄を捧げたら偶々全部上手くいった。以降それを続ける。誰だって新しいことをして失敗するより、上手くいったことを擦る方がいいでしょう。ギャンブルみたいなもんですよ」
個人的な正義…。それに私が答えを出せる日は、いつか来るんでしょうか。
「と、ここまで長々と説教しましたけど、私もこの村は無くなってよかったと思いますよ。罪のない旅人を何人も殺害してる訳ですから。そもそも地図にも載ってませんし。ただお嬢様はなるべく面倒ごとが起きてほしくないと思ってまして、わざわざ村を消すより少し頭を使って何事もなく切り抜ける方がいいと思ったんでしょうね。お嬢様にとって知らない旅人の命なんてどうでもいいでしょうからね。ただ、その計画も全部ぶち壊されてしまいましたけどね。あそこまでブチギレたお嬢様久しぶりに見ましたよ」
真実を知って、問いが増えただけ…。そんなもんなんでしょうか。
「…戻りましょうか」
「…はい」
私とクロエさんは村だった場所を後にして来た道を戻りました。ルシアナさんはまだお仕置きされていて、私とクロエさんは耳を塞いで寝ました。
次の日、出発する時にはルシアナさんは死んだようにぐったりしていました。
旅に赤ちゃんが1人加わりました。