4.滞在の理由
広い執務室のような部屋へ入ると、榮太郎はソファに座るよう促された。
自然と挙動不審になってしまいながら、言われるがままにするしかない。ソファはふかふかで、校長室のソファより高級かもとくだらないことを思った。
向かいのソファには、ノワール・エーレンベルクとウィスタリアがならんで腰かけている。
「まずは当家使用人の無礼をお詫びします。しかし、悪気があってのことではありませんので、何卒ご容赦をいただきたい」
「それは勿論。彼女から見れば、100パーセント不審者でしたから」
「寛大なお心に感謝いたします」
「やめてください、そんな……」
繰り返し頭を下げるノワールに榮太郎は困惑する。
横に座るウィスタリアに「どういうことなんだ」と、助けを求める視線を送った。
「お父様、先生が戸惑ってるから本題に入りましょう。私から説明していいかしら」
「ああ、頼むよ」
こほん、と小さな咳払いがされる。
ウィスタリアの説明は思ったよりも簡潔なものだった。
エーレンベルク家はこの一帯を管理する侯爵家であり、佐々木双葉はこの世界においてウィスタリア・エーレンベルク侯爵令嬢として扱われている。
この事実を知っているのは二人だけ。
彼女の寝室のクローゼットが別の世界に通じていることに関しては、ウィスタリアとノワールにさえよく分かっていない。
繋がるタイミングも条件もクローゼットの気分次第であり、いつ帰れるか分からないというのはそういう意味らしい。
榮太郎はウィスタリアが説明する内容一つ一つにじっくりと頷いてから、尋ねた。
「佐々木――じゃない、ウィスタリアが最初にここへ来たのはいつなんだ?」
「半年前かな」
「半年前ってことは、前学年の2学期くらいか」
「あっちで言うとね」
「…………ん、あっちで言うと?」
榮太郎が首を傾げると、ウィスタリアは壁にかかった時計に一度目をやってから答えた。
「こっちとあっちでは時間の流れ方が違う。私がウィスタリアとして過ごすようになってもう2年経ってるの」
「2年」
「正確に言うと、同時に同じ量の時間が流れてないって感じ。こっちで何週間か過ごしてもあっちでは数時間しか経ってなかったり、逆にあっちで1ヶ月過ごしてもこっちでは一晩しか経ってなかったり。しかも必ず一定と決まってるわけでもなくて。本当にクローゼットの気まぐれなの」
「な、なるほど……?」
随分とおかしなようにというか、都合のいいように出来ているものだ。しかし、世界を隔てているのだから時間の流れが分断されていても、今更驚くには値しないのかもしれない。
何よりもウィスタリアの言う情報が真実ならば、榮太郎にとっては朗報だ。
あっちの世界で職を失わなくて済むかもしれない。
いや、しかし――……と榮太郎が眉根を寄せ直したところを、すぐにウィスタリアが察知する。
「まあ、問題なのは今言った話が私一人の時の話で、先生と私の二人になった時にどうなるかわからないってことなんだよね」
「そうだな。主観で時間の流れが一定じゃないように見えても、お互いが別々の世界にいる状態でどうなるかは分からない……。しっかりリスクもあるというわけか」
二人が「ううん」と同時に唸る。
そこで、しばらくウィスタリアに説明を任せていたノワールが口を開いた。
「難しい問題かと存じますが、今しばしは悩む時間がございましょう。出入りできるのはクローゼットが繋がった時だけ。そして一度閉じた繋がりは、少なくとも一週間は開きません。エータロー殿には、まずこの屋敷に滞在する理由が必要です」
「理由、ですか。しかし、こちらでは身元不詳素性不明ですから中々……」
「それについては、もういいのを考えてあるの」
榮太郎がううんと唸ると、ウィスタリアが少し声を弾ませて言った。
「お父様の古い知り合いからの紹介で、私の新しい家庭教師として招かれた。これからしばらく住み込みで勉強を教えてもらう予定。寝室には部屋を間違って入ってしまったけど、お父様が到着の予定を勘違いしていたのが原因――、と。これでどう?」
「成程、それなら一応状況の説明がつくかな……? あちらに帰る時はクビにしたってことにすればいい訳だし、いやしかし……」
榮太郎はノワールへ窺うように視線を向けた。
「本当にいいんでしょうか、ご迷惑ではありませんか」
「とんでもない。あちらでウィスタリアがお世話になっていたのですから、是非礼を尽くさせていただきたいのです」
「ていうか、ロサとロップにはもうそう言っちゃったしね。これで先生が承諾してくれない方がややこしくなっちゃう」
ウィスタリアが可笑しそうに言う。
彼女は既にこの状況を楽しんでいるように見えた。ノワールがさらに付け加える。
「家庭教師というのもあくまで格好で、屋敷も外も自由に見回って構いません。それこそ逆に、この世界の事を学んで帰っていただいてもいい。ウィスタリアが色々と案内してくれるでしょう」
「するする! どう? せっかくならこれから家の周りを……、ってダメだ。先生寝てないじゃん。あっち夜だったんだもんね?」
「そうでしたか、それは失礼しました。今すぐに客室を用意させましょう」
ノワールとウィスタリアがそう言って腰を浮かせかけるのを、「ああ、いえ!」と榮太郎はとどめた。
残業に負われ、異世界に迷い込み、あげく長時間独居房に監禁されていたことを考えれば、たしかに疲労で倒れても仕方がない。
しかし、時差ボケなのか異世界ハイか。
榮太郎の頭は一周回って妙に覚醒してしまっていた。
外がこんなにも明るい上、自分の身に起きた非日常展開を考えると、とてもじゃないがベッドで休もうという気にはなれない。いや、正直に言うならばいつの間にかテンションが上がってしまっていたのだ。
「この世界の事が、ウィスタリアがどんな場所で過ごしているのか興味がある。是非教えてくれ」