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18.うちの息子


荷物持ちとしてロサについて回る中で、この世界の貨幣をはじめて目にした。

通貨の単位は『ユリム』

銅貨、小銀貨、大銀貨、金貨、大金貨の5種類があるようだ。


ちなみに、ロップイヤーがロサに預けたお金には1ユリムの余剰もなく、綺麗に使い切るよう計算されていた。果たしてこれはロップイヤーの几帳面ゆえか、それともロサに対して信頼のなさか……、おそろしくて尋ねることはできなかったけれど。


何はともあれ、頼まれた買い物は完了した。

日用品、食材、衣類。ひととおりを買い揃えると、リヤカーの荷台がそこそこ埋まる。時刻は昼前、小腹も空いてくる時間帯だ。ロサはすぐに屋敷に帰りたがったが、榮太郎はわがままを言って湖の方へと赴いた。


湖へまっすぐ向かっていくと石畳から土道に変わり、柔らかな草が足元を覆い始めたところで――、左手の木陰に隠れた建物が見える。


この前よりも街の大通りが騒がしかったせいで、湖の辺りに立つ廃墟の物寂しさが強調されたように感じた。


後ろをついてきたロサが「あれが」と呟いた。

聞くところによると、彼女はエーレンベルク邸に勤め始めてまだ2年経っておらず、例の騒動について直接は知らないようだ。

レミンは庭師をする前から屋敷に出入りしていたらしいことを考えると、唯一、本物のウィスタリアを知らない人物――、と言えるかもしれない。


「何でこんなとこに用があんの?」


ロサは面倒臭げな様子を隠そうともせずに、榮太郎の背中をこづく。


「人を探してるんだよ」


「誰を」


「フログっていう、緑色の髪の男の子なんだが。ひょっとして知らないか?」


「知らないわね」


榮太郎は、前の事があるのであまり近づきすぎないように、元マリア塾の周辺を散策した。しかしここにもフログは見当たらない。さすがに毎度タイミングよく会えるわけもないか……と思いつつ、もう少し歩いていると、ふとロサが湖の方向を指差した。


「ねえ、あれ緑じゃない?」


指された方向を見てみると、湖のほとりに緑色の髪で、屈強な体つきの男が立っている。それはたしかに、フログとよく似た髪色だった。


「知り合いかどうか聞いてみるよ」


「何でもいいけど早くしてよね。あまり遅いと怒られるのあたしだし。あんたなんて荷物を持つ以外に価値ないんだから」


激しめの罵倒を背中に浴びながら、榮太郎は男の元へと駆け寄る。

男は岸へ船を付け、着替えているところらしかった。脱ぎかけの服は少し変わっていて、ゴム状のチューブがつながっており、頭のところに丸い窓がついている。


「あの……」


「ん?」


突然声をかけられた男は、怪訝そうに眉を顰める。

緑色の短髪、太い眉、筋肉もりもりの上半身から見下ろされるとかなり怖い。榮太郎は肩をすぼませながら、髪の毛を指して言った。


「すみません。もしかして、フログのお知り合いじゃないかと思って」


男の眉間のシワが一層深くなった。


「……確かにフログはうちの息子だが? 誰だいあんた、見ない顔だな。まさかブルガモンドのとこの連中じゃねえだろうな。だとしたら話すことはねえぞ」


「べ、ベルガモット?」


「ブルガモンド商会。モゾフの紹介で、この街に来たんじゃねえかって言ってんだよ」


「いえ? ちょっと存じ上げませんが……」


「……その様子じゃ本当らしいな」


眉間のシワが消える。理由はわからないが、男の警戒が緩んだらしいことを察して、榮太郎はすかさずバッグの中から教科書を取り出した。


「彼にこれを返したいんです。本当は直接返せればいいんですけど、どこに住んでいるかも当てが無くて」


「んだこりゃ……」


フログの父親は顔を近づけ、すぐに「――ああ」と大きな声を出した。


「マリア様にいただいた教科書じゃないか。黒い髪の兄ちゃんに預けたままどっか行っちまったって聞いたが、あんたがそうかい。てっきり、かっぱらいにでも会ったのかと思ってたよ」


「その節は大変申し訳なかったとお伝えください……。あ、申し遅れました。この度ウィスタリア侯爵令嬢の家庭教師として雇われることになりました松野榮太郎と言います」


「なに、ウィスタリア様の家庭教師!?」


フログ父はさらに大声を出して、榮太郎に詰め寄る。

脱ぎかけの服が乱暴に投げ捨てられて、べちゃっという音が鳴った。


「そりゃあ大変失礼した。ウィスタリア様の家庭教師ってんなら、俺たちは大歓迎だよ。お母上――、マリア様にはフログ共々たいそう世話になった。俺ァ、キクルだ。この湖で潜水夫をしてる」


「潜水夫ですか」


なるほど、あの変わった服は潜水服だったらしい。

そういえば現実世界のそれにもよく似ている。


「あんまり聞かねえ職業だろうな。このドロテア湖の底には、魚の他にも資源が眠っててよ。それを掘り起こしてるんだ」


キクルはそう言って、ポケットから石のようなものを取り出す。

一見、何の変哲もないが、太陽にかざすと青緑色に淡く発光し、綺麗な模様を浮かび上がらせた。


「量は少ないが、上質な魔鉱石さ。エーレンベルクの自然が美しいのも、全部これのおかげでな。まあ、それを食い潰そうって連中がいるようだが――」


キクルの眼差しが翳り、街並みがある方向へと向けられる。

榮太郎は一体何のことだろうかと首を傾げた。


「まあ、そんなことはいいわな。この本についても心配いらねえ、ちゃんと渡しとくよ。フログもたまにここを彷徨いてるから……、そうだ。今度会った時は、勉強でも見てやってくれよ。な?」


キクルと名乗った男は大きな手で榮太郎の肩を掴むと、嬉しそうにガシガシと揺さぶった。榮太郎は揺さぶられながら、一度胸を撫で下ろす。


返すべきものを返した。

これで、こちらの世界に戻ってきた大きな理由は達成されたことになる。

しかし――、と思う。木陰の奥に佇む廃墟が、視界の端に映った。それは、現実世界に戻ってからも、何度も考えたことだった。


榮太郎は、船の方向へ戻るキクルの背中に尋ねた。


「もし、の話なんですが」


「ん?」


「もし、マリア塾のような……、フログがちゃんと勉強できる場所が用意されたらどう思われますか。子供達に無償で教育を提供するような場所が」


キクルは目を丸くし、榮太郎の顔と手に持った教科書をしばし見比べてから言った。


「へへ。先生よ、勉強を見てくれってのはそんな大袈裟なつもりで言ったんじゃないぜ?」


「それでも、彼は学ぶ場所を必要としているんでしょう。5年前にもらった教科書を、大切に、何回も繰り返し呼んでいるくらいですから」


「――――」


キクルの表情が変わる。

そして、喉から搾り出すように言う。期待と熱のこもった声で。


「――そうなったら、俺ァ本当に嬉しいよ。あいつは誰に似たのか、頭がいいんだ。性格も真面目だし、要領もいいよ。出来ることなら大きな街の学校に通わせてやりたい。しかしそれには莫大な金がかかる。もしちゃんとした教育さえ受けられたら、きっと立派な人物になるに違いねえんだ」





その後、ロサと合流しリヤカーを引いてエーレンベルク邸に帰った。その道中、榮太郎はずっと上の空だった。何か考え込むような、もしくは決意を固めたような、そんな表情だった。


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