接吻
ーはい。見ての通り、私はこの国の人間ではありません。
髪も目も肌の色も、言葉だってもちろん、違う。
そんな私がなぜここにいるのか。
人攫いにでもあったのかって?それならばまだあきらめもつくでしょう。
違います。
私は、口減らしの為に、親に売られたのです。
私の故郷は、貧しい小さな農村でした。
こちらの国とは違い、1年の中に四季というものがありました。
春はぽかぽかと暖かく花が咲き、夏は照りつけるように暑く、草が生い茂り蝉が鳴く。秋は木々の葉が紅葉し、冬は寒く、雪が降る。
年中、灼熱の如く暑い砂漠では想像もつかないような、自然に恵まれた情緒豊かな国でした。
器量良しと言われていた私は、遊郭ではなく、人買いの手によって異人へと売り渡されました。
長い長い旅でした。
船底に揺られ、想像を絶するような酷い環境の中で、私以外の何人もの若い娘たちが死んでいきました。
幾十日も波に揺られ、幾多の港に寄り、そこから奴隷市場に出されて、そうして、
月の砂漠をはるばると、駱駝の鞍に乗り、最後にここへとたどり着いたのです。
小さい国だけれど裕福な王である今のご主人様に気に入られ、こうして今ここにいる次第です。
ご主人様は手荒な真似はしませんし、綺麗な衣装も食事も与えられ、故郷にいた頃より良い生活をしていると言えるでしょう。
ただ・・やはり時々思い出すのです。懐かしい故郷の国を。好きだった人のことを。
唇と唇がそっとふれあうだけの接吻を。
このように薄墨を流したような雲もなく、煌々とした月がでている晩は特に。
今頃あの人はどうしているでしょう。妻を娶り子もいるかもしれませんね。
そっと目を閉じ、その妻の姿に自分を重ねるのです。
控えめに重ねあったあの時の接吻を思い出しながら。