2_願ってもいないこと
翌朝キトゥンとクロノが学校へ赴くと、朝一で校長室へ呼び出された。今日は休日なので生徒の数はまばらだ。
校長室には勿論校長と、キトゥンの担任教師が待っていた。
キトゥンはなんとなく肩身の狭さを感じて背筋が伸びるが、クロノは意外にも堂々としているし、教師陣にも深々とお辞儀をしていた。こういう場に慣れているのだろうか。
「キトゥン・スィニネン」
「はい」
担任が口を開く。
「まずは召喚試験の成功を祝いたい」
「ありがとうございます」
「けれども、人間を召喚し、さらに魔法が使えず、と」
「……はい」
「何が問題かといえば、まず法の観点からは奴隷制度に抵触する可能性があります。これは君が彼の主人であり、君にその意思がなくとも命令できる手段がある、という事実が問題になります」
担任は眼鏡をかけ直して続ける。
「この国では奴隷制度が撤廃されてからわずか10年しか経っていない。このあたりでは縁が無いですが、長く王族に仕える貴族の中には奴隷制度の復活を求める声もあります。そこで君たちを認めてしまうと彼らの口実にされてしまうでしょう。そして昨晩の教員会議の結果、学校としての意見は奴隷制度は忌むべきものと」
「次に倫理の観点です。仮に君と彼を引き離したとしましょう。けれども彼には魔法が使えず、またこの世界の歴史にも疎い。ひとりで生きていくには困難を極めます」
理解はできるが、話が段々と大事になって、キトゥンは喉がからからに乾いていくのを感じていた。口がうまく開かない。
昨日はお互い様、なんて言ったがキトゥンはどうしても責任を感じずにはいられない。隣をちらりと見ると、クロノはただ黙って前を見据えていた。置かれている状況に絶望するでもなく、焦燥するでもなく、ただ、何か目的があることだけは感じ取れた。
「そこでですね、学校からの提案があります」
張りつめた空気を断ち切るように校長が口を開く。凛とした声だ。
「提案?」
「ええ、あなた、研究院志望なんですってね」
研究院とは、王都が運営する学問の研究をする機関のことだ。
分野は多岐にわたるため座学の面が強く、魔法の良し悪しは問われないことが多い。18歳以上でないと試験は受けられないものの、国立魔法学校からでも推薦を受けることができる。キトゥンも国立へ行ってゆくゆくは推薦を受ける気だった。
「研究院にコンタクトをとって、前例が無いか調べてもらったの。魔力の少ない人間の召喚成功例と、魔力の存在しない世界からの召喚例と、人間の召喚。答えはどれも当てはまらなかった。どういうことかわかる?イレギュラーであり、レアケースであり、」
「研究対象になりうるということですか」
「そういうこと。そしてあなたは研究院志望で、それに見合った成績を修めている。研究対象としてではなく、共同研究者になりなさい。その名目で研究院及び国の監視下にあれば、奴隷制度の復権を狙う貴族も易々と口は出せない」
「ええと……それは、願ってもいません。けれど、研究院は18歳以上でないと入所試験は受けられないはずです。それまではどうしたらいいのですか」
そうだ、願ってもいない。けれどすぐには頷けない。まずは話を聞いて、それからクロノと話し合わないといけない。本人は家を出る前に、キトゥンの意向に従うと言ってくれたものの、双方納得のいくようにしたい。
「二人とも、生徒として王都魔法学園に入学してもらいます。既に特待推薦状も用意してあるわ」
「えっ!?」
王都魔法学園って、あの?とキトゥンが聞き返す。カーモス王国には王都の名を冠する学園はひとつしかない。わかっていても思考が追い付かない。だって、自分は平民で、お金も無ければ、魔法も使えない。そう訴えると校長はええ、と話を続ける。
「魔法学園も研究院も同じ機関が運営に携わっているの。連携が取りやすいのと、寮制だからクロノ君の衣食住が保証できるわ。……何より、あなたたちには前例になって欲しいと考えています。魔力が少ない人は一定数いるわ。でも、そういった人の多くが差別に遭ったり自棄になったりしてしまっている。厳しいお願いだけれど……あなたたちには、そういった人たちに希望を見せて欲しい」
「私は…………」
「……俺は構いませんが、仮にその話を断ったらどうなるのでしょうか」
「"共同研究者"から"要観察者"もしくは"研究対象"になるでしょうね。実態は言葉ほど仰々しくはないでしょうけれど、共同研究者のほうがより自由に動けるはずだわ」
「そして卒業後は研究院で働けと」
「ええ。以上が、当校からの提案です。特待生として入学すれば学費については心配ありませんし、在学中でも研究院に研究協力をすれば報酬もあります」
正直、破格の条件だ。キトゥンの学びたいことは王都魔法学園の方が圧倒的に深く学べるだろう。自分には、どんなことをしたとしても、絶対に叶えたいことがある。その為には王都魔法学園を目指す方がより確実なのだ。元々いつかは出ようと思っていた家だ。それが少し早まるだけだ。それならば。
「そのお話、是非受けさせてください」
✱✱✱
「覚えが早いなあ」
話がまとまった為、キトゥンとクロノは図書室へと来ていた。休日とだけあって利用しているのは自分たちだけだ。
クロノはこの世界の言葉を覚えようと、辞書を開きながら手元の紙に見たことのない字を書き連ねている。もう字の規則性を理解したらしい。
「母音の概念があるなら簡単。それよりも、良かったのか。俺は学ぶ機会があって、衣食住の保障があって、何の文句もつけようがない」
「ぼいん?まあいいや。あたしも……もっと知りたいことがあるから、王都魔法学園に行けるならすごく嬉しい。クロノもそう思ってくれてるなら助かる。大変なことも多いだろうけどね」
「言葉なら覚える。研究も勿論付き合う。他に大変なことがあるのか?」
「うーんと……王都魔法学園って、生徒は貴族が殆どなんだよね。だから血統は勿論、魔法が使えないことで色々言われるのは避けられないと思う」
「それって……」
クロノがなにかを言いかけたところで、図書室の扉が開く。木製の扉の向こうには柔らかそうな栗毛が揺れている。見覚えのある色に顔を上げると、肩で息をするハーヴィスが立っていた。
「あれ、ハーヴィス?なんで……」
「キトゥン、王都魔法学園に進学するって本当?」
「え、もう聞いたの?うん、色々あって推薦してもらえることになって。あ、こっちはクロノね。昨日遠目には見てたと思うけど、改めて」
「そう、……よろしく。僕はヴィンフリート・ハーヴィス。キトゥンのクラスメイトだよ。クロノは名前?」
「……。……ああ。クロノ・ルイという。よろしく」
ハーヴィスがこんなに息せき切らしてるなんて珍しい、と頬杖をつく。ハーヴィスはゆっくりと息を整えると、クロノと礼を交わした。ハーヴィスがキトゥンの前の席に座る。やっと表情が良く見えた。声は弾んでいるのに、何故かその表情は喜びとも怒りともなんともつかない。
「じゃあ、キトゥンとまた春から同級生だね」
「そうだね、……あれ、国立はもういいの?ご家族と話まとまったの?」
「うん。もういいんだ。それより……クロノとは本当に初対面なの?」
「え?うん。だよね?」
「ああ」
「昨日出会ったばかりということ?」
「うん」
こんなに頭の回転が早い同年代くらいの子を忘れるなんてことは無い筈だし、クロノはそもそも異世界の住人だ。出会っているわけがない。クロノも間をあけずに同意する。ハーヴィスは何が言いたいのだろう。なんだか歯切れ悪いね、と言おうとして、その前にハーヴィスの"そういえば"という声に阻まれる。
「ね、キトゥン。僕たち出会って7年は経つよね」
「う、うん」
詰め寄るような雰囲気になんとなく気圧されてしまい、うんとしか言えなくなる。本当にどうしちゃったんだろう。
「昨日出会ったばかりの彼のことは名前で呼ぶのに、7年も一緒に過ごした俺のことはハーヴィスって呼ぶんだ?」
そういえば過ごしてきた時間の割には名前で呼んだことは無い。親しみは感じていても長年呼び続けた苗字をなんとなく呼んでしまうのだ。この学校があまりに貴族との距離が近いので忘れがちになりそうだが、そもそも相手は尊きお人なのだ。その旨を伝えても食い下がるので、キトゥンはしぶしぶといった様子で名前を呼ぶ。
「……えーと、ヴィンフリート?」
「ヴィンスでいいよ」
「流石に恐れ多」
「ヴィンス」
「……ヴィンス。王都に行ってもこうやって呼ばなきゃダメ?」
「駄目」
ハーヴィス、もといヴィンスは成人すれば伯爵位を戴く貴族になる。あまり自分のような人間と仲良くするのはよろしくないはずだ。
「王都で貴族と仲良くすると角が立つって思っているんでしょ」
「なんでわかんの?」
「君のことくらいわかるよ。でも、僕は逆の効果を期待してるよ。僕が傍にいることで君を守れると」
「うー……はい、わかりました」
7年も、の部分の語気を強めたことにキトゥンは気づかなかったが、クロノは何かを思い出したかのように再び顔を上げた。
「そういえばお前、進学について俺に確認取ったけど家族には確認取ってなかったよな。いいのか?」
「あー、どっちみち家は出ようと思ってたの。あんまり長居するのもよくないから」
「血が繋がってないからか?」
「そ。……あれ、言ったっけ?」
「家ん中見たら大体わかる」
「そっか。まあ髪色もみんな違うしね」
「待って、キトゥンの家に泊まったのかい?」
「めんどくさくなってきた………………」
クロノは何かを察したのかうるせえな……という顔をして辞書に目線を落とした。