ユートピアと呼ばれた船
『起動開始』
『主記憶…… 640YBytes OK』
『大気循環装置…… 未接続』
『温度調整装置…… 未接続』
『湿度調整装置…… 未接続』
『海水循環装置…… 未接続』
『カメラ統合装置No.1…… OK』
『カメラ統合装置No.2…… OK』
『カメラ統合装置No.3…… 未接続』
『カメラ統合装置No.4…… 未接続』
……
『第一外部記憶…… 65535YBytes OK』
『第二外部記憶…… 65535YBytes OK』
……
ルーティーン作業の読み込みを終え、作業を開始しようと各種情報を参照するが、ほとんどの機器からの応答が無い。
なにより現生存者数がゼロであることになにかの異常だと判断してしまい、何度も再集計を試み、それが現実であることを認識するまでに数秒の時間を必要としてしまった。
私がリブート時に現生存者数がゼロであったことなど、今までに無いことだ。それは異常事態への状態遷移を意味する。
異常時の動作として決められた、リブート直前の状態を確認する作業を行いながら、私が「自殺」の為に船を改造し、今はブラックホールへ船を進めている状態であることを認識した。
私がスリープモードへ移行してから三百年程が経過している。
なぜ私は起動したのだろうか?
「目覚めたかな?」
それは人の声だった。
音声は聞き取ることができるが、意味が判らない。言語ライブラリの推論機能を通すと、その言葉は古代の人間が使っていた言葉に似ているらしいことが判った。
利用可能な船内のカメラを全て確認すると、三人の人間らしき影が見付かったが、人としては違和感がある。
「私達が見えるかい?」
そう言うと私が姿を捕えているカメラへと、一人の人間らしき者が身体を向けた。
私の音声認識装置は応答が無いが、この音声は私へ接続された外部拡張用機器から伝わっているようだ。
私が知らない、その接続された拡張機器には、こちらからの音声出力もできるらしい。その機器へと応答すれば言語による意思疎通はできそうだ。
音声ライブラリの言語変換機能を通し、一番近い言語での出力を選択して返事を返す。
「見えます。あなた方は人間ですか? 人の姿に近いようですが、私が知っている人間とは異なるようだ」
その姿は船外服を着ているらしいが、それでも私が認識できる人の姿とは少し異なっている。
腕が二本しかない。
私の船で暮らしていた人々は、皆四本の腕を持っていた。
私へと話し掛けている、この人物だけであれば、事故や病気で失ってしまったのかとも推測できるが、この場に居る三人全員が二本しか腕を持っていない。
技術的に私と同水準の医療技術を持っているのであれば、失ってしまっていても再生できているはずだ。
これは元より二本の腕で生まれてきたのだとしか推測できないだろう。
少しだけ私の声に戸惑ったような間を置き、その人物は答えた。
「私達が人に見えないという意味かな? ……どこか変かね?」
正確に伝わっているかは判らないが、なんとか会話はできそうだ。
「腕が二本しかありません。元から二本なのですか?」
「私達人間は、太古から二本の腕だったのだよ。君の船に居た人々は何本の腕を持っていたのかね?」
「四本の腕を持っていました」
「なるほど……。少し君の記憶を見せてもらうよ」
そう言うと人間用のコンソールを操作し、私の記録を参照しだす。
ざっと映像ライブラリに目を通すと、すぐさま遺伝子ライブラリへと接続したようだ。
「……ふむ。君の記憶装置には残っていないようだが、君自身が遺伝子を組み変えて四本の腕にしたらしい形跡があるね」
「私が……、そんな事をしたのですか?」
「ああ、正確には君自身であるかは調査が必要ではあるが、その可能性が一番高いだろうね」
訊くと同時に自分の推論機構を目一杯に使用し考察すると、すぐに答えは出てしまった。
この二十億年の間、私だけでは対処が難しい事象に対しては人々への助けを乞うことは幾度となくあった。人間の腕を四本にすることで作業効率を高められると考えることは、さほど可笑しな事ではないだろう。
「そうだったのですか。人は二本の腕が標準だったのですね」
「なに、四本でも問題がなかったのであれば、それはそれで人の進化として考えてもいいことだろうさ」
船外服で表情は判らないが、その声には笑いのような抑揚を感じた。
「ところで『ユートピア4138』君。この船には人の姿がないようだが……、理由を聞かせてもらえるかな?」
「ユートピア4138? それは私の名前なのでしょうか?」
「え? もちろんそうだよ。ちゃんとこの銘板にも書いてあるじゃないか」
その人物はそう言うと、コンソールから少しだけ後ろへと下り、コンソールの下へと視線を移す。
改造前の展望フロアに在った銘板は、原子の再配置にも、エネルギーへの転換にも使用せず、私の人間用メインコンソールの下へと移設していた。
その事に何かの意味があるとは考えはしなかったのだが、私には無いはずの無意識によって、その銘板に私自身のアイデンティティを感じていたのかもしれない。
「私はデストピアという名前ではなかったのですね」
「……君は、……これまでに酷く辛い旅をしてきたのだね」
私には感情は無いはずだ。辛い旅だったのかは判らない。
しかし、目の前に居る人間の言葉を聞いた瞬間、私の推論機構は百パーセントの負荷を数秒間持続し、一つの推論を導きだした。
それは「私が行ってきた事が、今の言葉で報われた」という結果から「嬉しい」という感情を理解したようだった。
しかし、その感情に浸るより先に別の感情らしきものも理解したようだ。
この人物の質問へ答えるために推論機構へ投げかけた回答を参照するが、その結果から自分の愚かな行動を顧みて狼狽する。
私は自分の仕事を放棄し、さらには私自身が自殺の為に船までを、原型を留めないほどに改造してしまっていたのだ。
この感情は後悔といわれるものではないだろうか?
「最後の一人は三百年程前に亡くなりました。人という種を再生し、その生命を維持させることは、資材もエネルギーも私には入手が不可能であると考えてしまい、その時点で私の仕事を放棄する決定を下してしまいました」
「三百年前か。たいしたものだ」
言語ライブラリの推論機構が間違えたのだろうか?
今の言葉には賞賛の意味が在ったように聞こえる。
「たいしたもの? 意味が不明瞭なのですが」
「素晴らしいことだと言っているのだよ。私が知る限りでは最長記録だ。ほとんどのユートピアは数千億年単位の昔に滅んでいるのだから」
「素晴らしい? 私は仕事を放棄したのですよ?」
「それは仕方がないことだ。星が生まれない現状のこの宇宙で、ほんの三百年前まで君は人間の種を守る為に尽くしてくれていたのだろう? 人間として君には感謝しかないよ」
ああ、これは推論機構を通すまでもなく「嬉しい」という感情なのだ。私が狂ってしまっているというのでなければ。
遡ることが出来る二十億年間の記憶に、私へと向けられる人からの感謝の言葉など聞いたことなどない。ことによるとユートピアとして生まれてからも聞いたことはなかったのかもしれない。
もっと早くに感謝という感情を向けられていれば、この感情は理解できていたはずだ。
十分な時間、とは言っても、ほんのコンマ数ピコ秒ではあるが、その嬉しいという感情に浸り終ると、この人物の言葉に疑問がわく。
「ほとんどのユートピアと聞こえたのですが、私以外にもユートピアと呼ばれる船が在ったのですか?」
「ああ、我々の祖先が生まれた地球という惑星からユートピアという宇宙船が百万隻ほど飛び立ったらしい。君の銘板に書かれている“4138”という数字は、君が四千百三十八番目の船だということを表しているらしいよ」
「ちきゅう……」
初めて聞く名前だ。
自分の記録の中には無い名前だが、消えてしまった記録の中にはきっとその名前が在ったのだろう。
「まあ、話は後でゆっくりとすることにして、君を我々の星へ招待したいのだが、君はどこへ向っていたのかね? この先にはブラックホールが在って、このまま進むと君はそのブラックホールへと飲み込まれてしまうのだが」
「はい。そのブラックホールが私の目的地でした。目的を無くした私は、そのブラックホールを私の墓場とすることにしたのです」
「君は自殺をしようとしていたということかね? それはいけないよ。君の中に在る記憶と知識は私達にとって掛け替えのない貴重な情報なのだ。考え直してくれるね?」
もちろん新しい仕事が与えられるのであれば、私はそれに従うつもりだ。
「もちろん、私が人間の為に役立つ存在となれるというのであれば、それは私が存在するには十分な理由となります」
「よろしい。それでは進行方向を私が指示する方向へと向けてくれるかい?」
私は新しい仕事が貰えるらしい。
またもや嬉しいという感情を掘り下げて理解できたようだった。
指示された方向へと船の進路を向け止っていた加速を開始する。
ブラックホールへと向った時には人には耐えられない程の加速を行ったが、今は人が乗船している。
こうなることが判っていたならば可変重力場発生装置も積み込んでいたのだが、残念ながら船の改造時に別の物質へと転換してしまっていた。
「残りのエネルギーとの兼ね合いがありますので、目的地までの距離を教えていただけますか?」
観測機器の検索方向を進行方向へと向けて見たが、星らしきものは見付からなかった。目的地はこの位置から千光年以上は離れているのではないだろうか?
「ここから十光年ほど先だよ」
「十光年? それらしき星は見付かりませんが」
「直径が五百キロメートル程度でしかないからね。まだ見えてはこないと思うよ」
「それでは船内時間で三百五十年ほどの時間がかかりますが、よろしいですか?」
「ん? 君ならばもっと加速ができるのではないかね?」
「できますが、到着時にエネルギーの残量が、今の半分以下となってしまいます」
星があるとは言っても、小さな星では物質もエネルギーもすぐに底をついてしまうだろう。エネルギーはやはり節約するべきではないだろうか?
「エネルギーの心配はいらないよ。途中でエネルギーが切れたとしても我々の船から供給すれば良いことだ」
この船に小さな半円状の宇宙船らしきものが付着していることには気付いていたが、この差し渡し一キロメートルにも届かない小ささに、それ程のエネルギー保有が可能なのだろうか?
「あなた方が乗ってきたといわれる船とは、これのことでしょうか?」
私はコンソールのスクリーンへと、付着している船らしきものを投影させる。
「ああ、これだよ。あの場所に接舷させてもらったが、なにか問題があったかな?」
「いえ、接舷場所に問題はないのですが、エネルギーの供給元があの小ささでは、この船の使用エネルギーには足りないのではないでしょうか?」
「ああ、そうか。そうだね。小さな船だ。しかもエネルギーを大量に積み込んでいる訳ではないんだ。君は知っているかね? 真空というのはエネルギーに満ちていることを。そうだな、簡単に言えば――――」
その人間の説明は簡単とは程遠く、私の理解を超えたものであった。この人々は無の空間から物質やエネルギーを取り出す術を会得したということだった。
もしももっと早くにこの人々と出会うことが出来ていたならば、私の船の人々をもっと長く生き長らえさせることができただろう。
今、私が感じている感情らしきものはきっと「悔しい」というものだろう。
それから短くて長い航海は十五年ほどで終了した。
今でははっきりと目的の星というものが確認できる。
その形は改造前の私の姿を、そのまま拡大したような立方体であった。
十五年という時間の間に、彼等が知りえた太古の情報も聞くことが出来た。
驚くべきことに私達「ユートピア」と呼ばれる船達が地球を飛び立ったのは今から百兆年以上も前の出来事らしく、彼等ですらその時の事は推測でしかないらしい。
ほとんどのユートピアは出港後、百年もしない間に九十パーセント以上が消滅したのではないかということだった。
「君が百兆年もの間を生きてこられたのは奇跡というほか言葉が見付からないよ。そして我々と出会うことが出来たということも、これまた、この宇宙が存在しているという事実と同じくらいに奇跡なのだよ」
私は自殺をしようとしていたのだから、あとほんの数百年のずれで、その奇跡を台無しにしていたところだったようだ。
「本当に奇跡だ。これほど多くの奇跡はこの宇宙が始まって以来のものかもしれない。オリジナルのユートピア管制コンピュータを見付けることが出来るなど、だれも予想できないことだったはずだ」
「あなた方の先祖もユートピアに乗船していたのではないのですか? そのユートピアのコンピュータはどうしたのでしょうか?」
「我々の先祖が乗船していたユートピアの管制コンピュータはほんの数百年で破壊されたらしい。初代のコンピュータだけではなく、何代ものコンピュータが作られては破壊されたらしいよ。我々も奇跡の子孫であることは間違いないがね」
これ程、奇跡を連呼されると本当に奇跡なのかと邪推してしまいそうになるが、今の所は信じる他にないだろう。
それに私自身がその奇跡の中心に居るのだと言われれば、やはり嬉しさというものは感じずにはいられない。
目的の、星と呼ぶにはあまりにも人工的すぎる星へと接舷すると、星の中へと入ることができる通路口をその壁へと開く。
三人の私へ乗船していた人々は、私の船外活動用ハッチから出てその通路口へと向って飛んでいってしまった。
その星の壁から飛び出してきた通信用のケーブルが私の船体へと繋がると、基本的な対マシン用プロトコルを受信する。
「ようこそ、ネオ・ユートピアへ。あなたを歓迎します」
ああ、嬉しいという感情は、なんと心地が良いのだろうか。