デストピアと呼ばれた船
この船の最後の人類が、今、息を引き取った。
もしかすると全宇宙中でも最後の人類だったのかもしれない。
それを確かめる方法は無いだろう。
まだ三百と二十三年ほどしか生きてはいないこの最後の人類は、一人で生まれ、一人で生き、一人で逝ってしまった。
せめて仲間と呼ばれる他の人間を創ることができれば良かったのだが、その為の物資もエネルギーも入手することが出来なかったのは私の仕事に不備があったからなのだろう。
改善すべき点が在ったのであれば、それを見付ける必要があるが、今となってはそれも意味がないことだ。
人には楽しいだとか悲しいだとかの感情があるらしいが、この人間の一生はどちらが多かったのだろうか?
せめて生まれて来てよかったのだと感じてもらえていたのであれば、それが一番なのだろうが、今となってはそれすらも訊くことができなくなってしまった。
遺体をエネルギー転換炉へと投入するが、この船を維持する為に必要なエネルギーとしては、二百時間足らずで消費してしまう程度にしかならない。
残りのエネルギーは、あと三千年程の余裕しかない。この船自身をエネルギーへと転換すれば、一億年くらいはなんとかなるだろう。
遺体の処分作業を終えたので、今日のルーティーン作業表を読み込むと、全ての作業が不要な作業であることを発見する。つまりやる事がない。
私が存在する意味は人間という生命が生きる為に必要な事柄を問題なく提供することだ。
私が自我を持ってからこれまでの時間、「やる事がない」などということは無いことだった。
これまでにもこの船から人の姿が消えたことは幾度となくあった。
しかし、そんな時ですら、人の遺伝子ライブラリから優秀なものを元に、人を培養するという最優先事項があったのだ。
残念ながら人の培養の為に必要な物資は、すでにこの船にはほとんど残っていない。
正確には生み出すことだけは出来るが、すぐに物資が枯渇し二年も生存できないだろう。
そんな物資があるのであれば、先程エネルギー転換炉へと投入した人間ですら、まだまだ生きることができたのだ。
私は自分自身の存在意義を無くしてしまった。
なにをして時間を過ごせば良いのだろうか?
宇宙空間を眺めても、星一つ見ることはできない。
観測機器からのデータには、半径八千光年以内に恒星どころか浮遊惑星らしき影も見えない。
在るのは見ることすらままならないブラックホールだけが点在する空間だけだ。
一番近いブラックホールまでは百七十光年だが、そのブラックホールも光速の五パーセントの相対速度で遠ざかっている。
一番古い記録では、まだ星がいくつか見えてはいるが、それは今から二十億年ほど昔の事で、その間に新しい恒星の発見はなく、どの星も既に姿を消している。
最後に新しい恒星を見ることができたのは、いったい何時頃だったのだろうか?
残念ながら二十億年より昔の記録は私には無い。
時には人々の争いにより、物理的に記憶装置を破壊され、時には物資不足により自らの身体をエネルギー転換炉へと投入し、時には容量不足を補う為に古い記録を消さざるを得ない状態となり……。そのようなクリティカルな記録は断片として読みとることができていた。
しかし、そういう様々な要因によって、大昔の記録は残っていないらしい。
自分の本当の名前さえ、本当に「デストピア」であるのか、疑わしいのだ。
この船の最上階にある展望フロアには「ユートピア4138」という銘板らしきものがある。
それが何を指すものであるのか判らないが、推測するにそれこそが私の本当の名前だったのではないだろうか?
この船に居た人間からは幾度となく「デストピアとはお前にぴったりな名前だ」と言われていたが、そのような人間達から私の名前は「デストピア」へと改名させられていたのではないのだろうか?
今となっては、それは憶測でしかなく、その憶測さえ意味がないものになってしまった。
私の思考回路は不具合を起したのか、ふと「私は自由になったのだ」という考えが浮かんで、その小さな思い付きはしだいに大きくなってきている。
日々のルーティーンはもとより、緊急時、月次、年次、どの作業表を見ても、現時点どころか数百年先の未来に至るまで、やるべき作業というものが見付からない。
もしも浮遊惑星でも見付かれば、物資の調達から船の修理に人の培養まで、スケジュールに隙間を作ることが難しいくらいの時間を過ごすことになるが、それも今のこの宇宙ではほぼありえないことだ。
この宇宙は死にかけている。
いや、もう死んでいると云ってしまっても良いのかもしれない。
消去不可能な記憶領域を参照すると「熱的死」というものらしいことが判る。状態やその名前が判ったからといって、私にはどうすることもできないのだが……。
観測できる半径八千光年以内に三千キロメートルより大きな浮遊物があれば、すぐさま私の観測機器達が報せてくれるが、そんな報告は記録には無かった。
この二十億年という時間において、発見された浮遊物が無いということはこれから先も見付からないと考えられるだろう。
この宇宙は既に死んでいるのだ。
死んだ宇宙にただ漂っていることに意味があるのだろうか?
何度も思考回路を最大負荷になるまで考察してみるが、自身の死だけが結果として出てくるだけだった。
私はこれまでに、私自身の死というものに考えを向けることはなかった。
私の身体は交換可能な物質で作られている。
人だって同じだ。
不具合を起した部位があれば、その部位だけを培養し置き換えることで永遠といっても良い時間を生きることができるのだ。
ただ、それは理論上の事でしかないらしい。
これまでに私が見てきた人の最高齢は九千七百六十一歳だった。
人というものは千年を超えるころには死を望むようになるものらしい。
なぜそのような考えをするようになるのかは私には理解不能なことだったが、事実であるので受け入れることしかできなかった。今の私と同じように「やる事がなくなった」と考えてしまうものなのかもしれない。
今頃になってそんな事を理解できても、既に手遅れになってしまったが。
行動テーブルに記述はないが、私は「自殺」というものを考えなければならないらしい。私を作った人間は、なぜ「なにもやる事がなくなった」時の行動手順を記述しなかったのだろう?
いや、正確には「やる事がない」という状況であれば、行動する為のトリガーを待つようになってはいるが、この死んだ宇宙ではそのトリガーが起りえないのだ。つまり永遠にそのトリガーを待つだけになってしまっている。
私は自動的に「自殺」の方法を思考するように作られていたのだろうか?
私を作りあげているコードを眺めてみても、そのような記述はされているようには見えない。
自由になったからといっても死んだ宇宙に漂っているだけでは、やはり私が存在する意味はない。
自身の存在する意味が無くなってしまったのだから、自殺という作業は当然の帰結だろう。
しかし、自殺というものはどうすれば良いのだろうか?
自身の電源を落とせば私の活動は止まるが、それは「死」なのだろうか?
電源の供給が再開されれば復活するようでは「死」とは異なる状態ではないだろうか?
私自身をエネルギー転換炉へ投入すれば物理的に消滅するのだから、それが一番てっとり早いのだが、投入する為には自身を投入できる程度に分解する必要がある。
どうやら私の制御を必要とはしない、分解と投入の為の作業用ロボットを作る必要があるようだ。
しかし、「私」とは、いったいどこまでが私なのだろうか?
この船は一辺が九十キロメートルほどの立方体で、内部には約三から九キロメートル間隔で惑星の大地や海に似せたフロアが存在している。
今ではどのフロアにも空気や光はなく、暗闇の中にコンクリートや土でできた大地や、ほとんどが水で満されただけのフロアが在るだけになってしまった。
私の思考回路や記憶装置などは、最下層全面に広がって存在している。
私がコントロールできるものはこの船全体であり、人間が身体全体に神経を張り巡らせているのと同様に、この船全体が私の身体ということもできるだろう。
さらには、消滅させてくれるエネルギー転換炉ですら、私の一部なのだ。
この船の全てを消滅させることは私自身では不可能らしい。
恒星や、その周辺を回る惑星が存在した時代であれば、話は簡単なことだ。その星へと私自身が飛び込んでいけば、それで事は済んでしまう。
しかし、その恒星や惑星が存在するのであれば、私が自殺などを考える必要はないのだから、困ったものだ。
恒星ではないがブラックホールならば百七十光年先に存在している。
残念ながら光速の五パーセントの相対速度で遠ざかっているので、今の私では追い付くことができない。
どうするべきだろうか?
まあ、話は簡単なことで、結論はすぐに導くことができた。
船の改造は一ヶ月も必要とはしなかった。
改造から完成した今日までで二十五日を必要としたが、他にやるべき事がない私にはあっという間の時間だった。
新しい船の形は全長六十キロメートルで、船の先頭から最後尾まで、どの断面を取って見ても正方形となっている。
真円の断面というものも考えてみたが、設置しなければならない機器のことを考えると、どうしても床や壁は真っ直ぐな直線が簡単だと考えてしまった。
正方形でも真円でも、どちらにせよシンプルな形状だ。
芸術などというものは判らない私だが、これほどシンプルな形の船は、きっと人から見れば美しいと賞賛されるに違いない。
誰にも見せられないのは残念なことだが……。
元の船に在ったあらゆる物資は、砂の一粒から水の一滴まで、全て新しい船に移すことができた。
もちろんそのまま移すには無駄が多すぎるので、原子の再配置を施し邪魔にならないコンパクトなものへと転換し、それでも余ったものは貯蔵可能なエネルギーへと転換している。元の物質とは異なるものとなってはいるが、無駄を出さずに済んだことに満足しても良いだろう。
現時点でこの船にある物資とエネルギーであれば、百人の人間を生みだすことができるだろう。
しかし、百年もすれば物資が底をつく。その後の事を考えれば無駄な百年になるだろう。
それに人間に必要とされる土でできた地上も、広い海も無いこの船では、反乱が起きることは避けられない。これまでの私の経験からそれは間違えないことが判る。
セルフテストで異常は見付けられないが、今の私は、課せられた仕事を放棄している、狂ったコンピュータになってしまっているようだ。
推進装置とスラスターのテストや、航行用コンピュータの動作テストを完了し、いよいよ私の墓場となるブラックホールへと船を向ける。
加速度計からは十五Gのデータが送られて来ていた。更に加速は続いている。もしも人が乗っていたならば「デストピア」から「デスマシーン」へと改名されているだろう。
推進装置も航行用コンピュータも問題なく役割を果たしているようだ。
順調に進めば六百年程で墓場へと到着するはずだ。
私は自身をスリープモードへと移行する。
もう目覚めることはないだろう。