09 魔物王子の心配
またまた崩れてしまった書類の山を見て「ああ、もうこれはダメかな」と書類の本格的な整理を始めるレオンハルトを置いて、シュカは鬱陶しそうな表情をしているヴォルクの元に駆け寄る。
「どうしたんですか、こんなところへ? 怪我ですか? 怪我なんですか?」
「いや、こっちの台詞だろうよ。なんでここにいる。兄貴に会いに来たのか?」
「いえ、わたし薬をもらいによく来てるんです」
「薬だァ? なんだ。本気で毒薬でもつくりに来たってか」
煽るようにこちらを睨むヴォルクにシュカは物怖じすることなく、むしろ前のめりになりながら答える。
1ミリでもヴォルクの近くに居たかった。
「いいえ。毒薬ではなく栄養剤をもらいに来ました。兄がいつもくれるんです」
「……あんた、身体弱いのか」
突然警戒するような気配を消して、ヴォルクがシュカの顔色を窺う。
その表情に心配の色が濃く出ていることにシュカは唖然としてしまった。
そんな突然のギャップを見せつけられたら心臓が止まるかもしれない。
そのときは殺人犯はヴォルク様だ。
「うう、心臓が苦しいです」
「なッ、やべェじゃねェか! 早く薬を……!」
「ヴォルク様といると心臓がッ」
「……ああ、はいはい。そんじゃ、さっさともらうもん持ってくわ」
シュカの体調が万全と判断したヴォルクは研究所を慣れた調子で横切っていく。
棚に収まっている傷薬の瓶を何本か雑に掴んで持っていた袋に突っ込んだヴォルクを、シュカは腕をつかんで引き留めた。
「傷薬だなんて。やっぱり怪我されたんじゃないですか?」
「してねェって。うるせェなァ。大丈夫だからほっとけ」
「でも!」
追いすがるシュカをヴォルクはうざそうに払う。
だがその手が本気でないことは、ヴォルクを観察し続けてきたシュカにはよくわかる。
しばらく押し問答していると、ヴォルクがぴたりと動きを止めた。
ヴォルクの視線の先を追うと、そこには書類を抱えたレオンハルトがいた。
レオンハルトは下を向いて書類整理に没頭しているように見える。
視線を感じたのは気のせいだったのだろうか。
「レオンがどうかしたんですか?」
「あいつだろ。あんたの元婚約者」
「はい、そうですけど……」
「会いに来てんのか、あいつに。栄養剤は言い訳だな?」
「へ?」
絡みついていた腕を振り払われて、今度はヴォルクにシュカが手をぐっと握られる。
大きな掌にシュカの掌はすっぽりと隠れてしまう。
包まれた掌の温度が全身に駆け巡り、シュカは幸せの渦に突き落とされた。
……のだが見上げると、ヴォルクが心底不愉快そうな顔をしていて驚いた。
「あんた、俺が好きじゃなかったのかよ」
「……へ? へ、え、だ、大好きです」
「本気か?」
「はい。ヴォルク様のこと大好きです。二年間も望遠鏡越しに見つめちゃうくらいに」
呆然としたまま愛を伝えると、ヴォルクはふんっと鼻を鳴らす。
顎と口角を軽く上げたその表情は得意げに見えた。
「そうだよな」
言うや否やヴォルクはシュカの手を少々乱暴に離した。
突然包まれていたぬくもりを奪われて、シュカは切なさによろける。
傾いだシュカの身体が転ばないようにヴォルクが一瞬手を差し出しかけたところをシュカは見逃さなかった。
「えへへ。心配してくださって、ありがとうございます」
「心配なんかしてねェ。さっさと家帰って淑女らしく刺繍でもやってろ」
耳を僅かに赤くしたヴォルクはシュカに言い捨てて研究所を出て行く。
取り残されたシュカは「なにあれ、一生大好き」と真顔で真剣に呟いた。