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07 兄と元婚約者

「まだかなまだかな。ヴォルク様の騎士服姿が間近で見られるなんて……! 倒れちゃったら支えてね、リエル」


「はい、後ろで待機しております」


 言葉通り背後で待機するリエルと共に、シュカは宣言通りに玄関ホールでヴォルクの出待ちをしていた。


「マジで見送る気かよ」


 大好きな甘い低音にシュカは顔をあげる。


 バネのように背筋を伸ばしたシュカは「はわぁあ」と昇天しそうな声をあげて、手を胸の前で組んだ。

 神を見たかのような反応をするシュカの視線の先。

 玄関ホールの大階段の踊り場には騎士服姿のヴォルクが立っていた。


 軽く着崩した濃紺の上衣の立て襟には金の細かな刺繍が入っている。

 ふたつほど外されているボタンも袖に施されている刺繍も金色だ。

 ヴォルクの鈍い黄金色の髪がそのアクセントカラーと一致しており、騎士服は彼のために作られたのではないかと思うほどによく似合っている。


 上衣と同じく濃紺色のスラックスは彼の細長い脚のラインをより美しく際立たせる。

 不審そうな表情でヴォルクが階段を一段降りる度に、濃紺のコートの内側の爽やかな群青色がはためいた。


 その全てがシュカの世界を輝かせた。

 あまりの輝きに目眩がしたシュカをリエルはきちんと支えて役割を果たしてくれる。


 あきれ顔のヴォルクがシュカの前まで来ると、シュカはどうにか声を発した。


「す、素敵すぎます。ヴォルク様」


「そりゃどうも」


 若干照れた様子でため息をこぼすヴォルクの翻ったマントが起こした風に乗って、ヴォルクの香りがする。

 その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「昼間は好きにしてろ。おひい様への祈りは捧げてもいいが、おかしな壺やら聖水やらは買うなよ」


「おひい様はそんな神じゃありません」


(たぶん。わたしもおひい様についてはまったく知らないけど)


 軽く手をあげて去って行くヴォルクを見送ったシュカは、「さて」とリエルを振り返る。


「わたしたちもでかけよっか」


「はい、研究所ですね? 望遠鏡は持って行かれますか?」


「今日は近場で見られるかもだけど、一応持って行こう!」


 張り切るシュカにリエルが「承知しました」と淡々と答えて支度をはじめる。


 研究所は様々な薬の研究と王室の薬を管理するための施設であり、城の温室内に建っている。

 兄のクラース、そして元婚約者のレオンハルトが働く場でもある。


 その研究所にシュカが通う理由はふたつだ。

 ひとつは人間に変身するための薬を兄からもらうため。

 もうひとつは城内にある訓練場で部下を鍛えるヴォルクを観察するためだ。


 今回からは望遠鏡の出番はないかもしれない。

 なぜなら訓練場には騎士の家族は入ることが許されているからだ。


 今日からシュカは妻として訓練場に入ることができる。

 ウキウキしながらシュカはヴォルクの妻として恥ずかしくないドレスに着替え、髪も整えて城へと向かった。


 壁も天井もガラス張りの半球型の施設である温室内に入ると、シュカはまっすぐに研究所に向かう。


 様々な植物が足下の花壇で活き活きと葉を伸ばし、つるされたエアプラントが青々と茂っている。

 人が行き交う城内で異色の雰囲気を放っている温室は、故郷の森を思わせるシュカのお気に入りの場所だ。


 その温室内に立っている丸太を組んだような小屋が薬師たちの研究所だ。

 王室お抱えの薬師たちはこの研究所で王室の人々の健康管理のために栄養剤を調合したり、国のために新たな薬を開発したりという小難しい仕事をしている。


 シュカの実家であるオルクス伯爵家は代々王室お抱え薬師の家系であり、長男のクラースは若くして研究所の所長を務める優秀な薬師だ。


「こんにちはー」


 研究所は狭いためリエルは温室で待機だ。

 慣れた調子で木製のドアを開けると、乱雑に積み上がっていた資料がドササーという悲しい音を立てて雪崩を起こす。

 その雪崩に「ああ」と悲しい声をあげた眼鏡をかけた線の細い男が、シュカの元婚約者であるレオンハルトだ。


 変身薬はシュカの人間としての年齢を調合によって自在に変えることができる。

 現在のシュカは十八歳という設定を守ることのできる調合をした変身薬を飲んでいるため、二十歳のレオンハルトはシュカより二つ年上ということになっている。


 シュカの設定年齢が五歳の時に親同士の約束で婚約を結んでから、シュカとレオンハルトはよく一緒に過ごしていた。

 プラチナブロンドの髪に琥珀色という淡い色彩が印象的な彼は、いつもふんわりとした暖かな雰囲気でシュカを包み込んでくれる。

 シュカが書類の山を崩したというのに、今もただ優しく眉尻を下げているだけだ。


「わわ、ごめんなさい!」


「大丈夫だよ、シュカ。怪我はないかい?」


 ドアを開けただけのシュカに怪我などあるわけがない。

 それでも心配してくれるレオンハルトの優しさに「大丈夫。ありがとう」と返して、シュカはレオンハルトと共に書類の山を積み直した。

 もちろん、今度はドアを開けても倒れない位置にだ。


「今日もシュカは栄養剤をもらいに来たんだね」


「うん。あのお薬がないと、調子が悪くなっちゃうから」


 シュカが人間になるための変身薬は、人間にとっての栄養剤とほぼ同じ成分でつくられている。


 亡くなった父が開発し、兄が配合を整えてつくりあげた変身薬は新鮮な薬草でつくったものを新鮮なうちに飲まなければ効果がない。

 しかも効果は朝一に飲んで日が落ちるまでの時間しか保たないものだ。

 だからシュカは最低でも週に一度はここに足を運ばなければならない。


 オルクス家の養子になった直後は人間社会を知らないからという理由で五歳程度の見た目にしてもらった。

 その後は人と同じ速度で成長したように見えるよう、人間に変身したときの見た目年齢をあげてもらってきた。


 これからもそうやって人としての姿は年老いていくつもりだったが、ヴォルクと結婚した今は若い姿を保てるようにしてほしいなぁという邪な気持ちがあることは否定できない。


「お兄様はいないのね」


 研究に没頭している薬師が他にも数名いるが、クラースの姿はどこにもない。


 薬草採集にでも行っているのだろうとシュカがひとりで納得していると、木製のドアが破壊されそうな勢いで開いた。

 風圧に耐えきれず、ドアから少し離したところに積んだばかりの書類の山がドササーと再び崩れる。

 今度はレオンハルトと共にシュカも「ああ」と悲しげな声をあげることとなった。


「シュカちゃん!」


 研究所を見回してシュカを発見した瞬間、クラースはシュカの両肩をがしりと掴む。その背中には薬草が大量に詰まったかごが背負われている。


「結婚式翌日からどうしたの! もうおうちに帰りたくなっちゃったの? ヴォルク様に意地悪されちゃった?」


「意地悪なんかされてないよ」


 わたしが新たな宗教を誕生させていたくらいで、とはもちろん言わなかった。

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