06 お日様の神
「こう……、は?」
パンでこちらを指したままヴォルクがぽかんと口を開く。
壁際で気配を消していた使用人たちが一斉に噴き出したのが聞こえた。
何か間違っただろうかとシュカが硬直していると、背後からリエルが歩み寄ってくる。
リエルは落ち着かせるようにシュカの肩をたたいて耳打ちした。
「シュカ様。人間は交尾のことをもっと遠回しに表現するものです。例えばシュカ様とヴォルク様は夫婦ですので、『夜について』などと言えば伝わるかと」
「あ、ごめんなさい。『夜について』は明るいうちなら、わたしはイヤじゃないです」
スッとまた壁際にリエルが戻った気配を感じながら、シュカはどうにか想いを伝えようと言葉を尽くす。
「わたしはヴォルク様のことが好きなんです。大好きです。だから、イヤというわけではなくて、その、本当に夜がダメなだけで……あ、『夜について』は大丈夫なんですよ」
「ああ、ああ、もういい! もうこれ以上口を開くな」
何故か真っ赤になっているヴォルクが呆れた様子でため息をこぼす。
シュカは魔物だ。
人間の空気を読むことは十年人間をやってもうまくできない。
また何か失敗したのだろうという気配だけを察してへこみながら食事を進めていると、ヴォルクが遠慮がちに声をかけてきた。
「あんたはオレの食事態度に何か言うことはないのか?」
「へ? あ、えっと。ハイエナよりはマシだと思っていました」
素直に言うと、「ハイエナ……」とヴォルクが言葉に詰まった。
「王子なのにマナーもなっていないのかとは呆れなかったのか?」
「マナーは人間の中の貴族という種族のルールですよね。ヴォルク様は王子で、貴族の仲間ですので、マナーを守らないと仲間はずれにされるかもという心配はあります。でもわたしは気にならないので」
「おまえも伯爵令嬢なんだから貴族の仲間だろう」
「うーん。そうなんですけど養子なので。それにヴォルク様は食事を残さず食べましたよね」
話している最中に完食し終えたヴォルクの皿を見てシュカは微笑む。
「わたしは貴族のマナーよりも、生き物としてごはんをたくさん食べてくれればいいです。それだけで満足なので大丈夫です」
シュカの発言に呆気にとられるヴォルクに気づくことなく、シュカは食事を終える。
「おいしかったです」と空になった皿と周囲の使用人達に礼をするシュカに、ヴォルクは長い息を吐いた。
そこでシュカは気がついたが、ヴォルクは随分肩に力が入っていた様子だ。
「……あんた、器でかいんだな」
「か、身体は小さいですよ」
鳥の姿の時は、魔物の中でも大きい部類だ。
だがシュカの人間のときの姿は小さい方だ。
心外だと訴えるシュカを、ヴォルクは「そうじゃねェ」と呆れた様子でなだめる。
「上品好きの令嬢の中じゃ珍しいタイプなことは間違いない。オレのとこに嫁いできたのは、オレに毒を盛るためじゃないんだろ? 今朝の食事もいつも通りにうまかった」
「当然です! 昨夜もお伝えしましたが、わたしはヴォルク様の大ファンなんです。毒なんて盛るわけないです」
「じゃあ、あんたは何を隠してるんだ?」
不意を突かれた問いに、シュカは返答に窮する。
「魔物です」と打ち明けるわけにはいかない。
さっきまで饒舌に話していたシュカが黙ると、なにかを疑われてしまう。
この問いに早急に何か返さなければならない。
シュカは困った挙げ句に答えた。
「わたし、実はお日様の神を信仰しているんです!」
「おひさまのかみ」
突然出てきた謎の単語にヴォルクがオウム返ししてくる。
ヴォルクは怪訝そうだが、シュカだって『お日様の神』なんて知らない。
「お日様の神であるおひい様は、日の出ている時間しか人に会ってはならないという教えを与えてくださっています。おひい様の守りがある時間でなければ、おひい様の加護を受けることができないのです」
「……初めて聞いたぞ、そんな神」
シュカだって初めて聞いた。
「おひい様はとてもマイナーな神様なので信仰していることがバレると、ヴォルク様に嫌われてしまうかなぁと不安で隠しておりました」
机に頬杖をついたヴォルクがじとりとこちらを見ている。
シュカはごくりと唾を飲み、ヴォルクを見つめ返した。
ヴォルクの透けるような青い瞳は狩りをする獣のような鋭い光をその奥に宿している。
「かっこいい~」と、とろけそうになるが、今はこれ以上追及されませんようにと祈る思いが強かった。
「まあいい。お日様の神、おひい様だな。よーく調べといてやる。何しろ、妻の信仰する神だからな」
「は、はい! でも、本当にマイナーなので調べてわかるかはわかりませんが……」
調べたっておひい様に関する資料なんて出てくるわけもない。
なるべく深く調べませんようにと、今し方心の中に誕生させたおひい様にシュカは祈った。
「支度して仕事に行く。見送りはめんどくせェからいらねェ。あんたは好きに過ごせばいい」
「じゃあ、お見送りします」
「だからいらねェって」
「好きに過ごせと言われましたので」
ふふんとシュカは顎を上げる。
ヴォルクとの会話はいつも追い詰められるようなものだった。
どうでもいいことでも揚げ足をとれたような気になって喜んでいるシュカを、ヴォルクは半眼で睨んだ。
「好きにしろ」
「はい!」
ヴォルクはシャツにスラックスという昨夜見たときと同じラフなスタイルだった。
だが仕事に行くとなれば騎士服を着るだろう。
騎士服は男の魅力を何倍にも引き立てると言われている素晴らしい服だ。
今まで遠目に見ていたヴォルクの騎士服姿を間近で見られるチャンスを逃したくない。
あの調子だとヴォルクは支度が終わっても、シュカにでかけるタイミングを伝えてはくれないだろう。
これは玄関ホールでヴォルクを出待ちするしかないと張り切っていると、ヴォルクが「ちなみに!」と大きめの声をあげた。
「オレは食事マナーは完璧だ。今朝のはわざとだ。勘違いすんなよ」
こちらを一瞥もせずに言い終えたヴォルクは、さっさとダイニングを出ていく。
(上品に食べられるのに、なんでそうしなかったのかな?)
首をひねるシュカには、結局最後までヴォルクがシュカに嫌われようと下品な食事態度をわざと披露したということが伝わることはなかった。