40 決意
「ホーク様!?」
ガタンと思わず化粧台に手をついて立ち上がると、リエルが結っていた髪がぐいっと引っ張られて痛かった。
だがそんな痛みも忘れるくらいびっくりしてしまう来客だ。
ホークはヴォルクが仕事にでかけている時間だということはわかっているはずだ。
なぜなら今日は城で夜会が開かれる日であり、騎士は総出で夜まで警備にあたることになっている。
そんな時に屋敷を訪れたということは、ホークが用があるのはシュカだということになる。
イヤな予感を胸に準備を急ぎ、ホークが待っているという応接室に向かうと、ホークはソファーに腰掛けて優雅にお茶を飲んでいた。
「やあ、シュカさん。ご機嫌はいかがかな?」
「ホーク様、お待たせして申し訳ございませんでした」
立ち上がって挨拶をしてくれるホークに、シュカも淑女の礼をとる。
形式的な挨拶が終われば、次は何を言われるかわからない。
シュカが緊張していると、ホークは「まずは座ろうよ」と言って、座ることを促してくれる。
ローテーブルを挟んでそれぞれソファーに腰掛けると、ホークは申し訳なさそうにその柳眉を寄せた。
「先日の毒を盛られたという件を謝罪にきたんだ。うちの母の家系の者の仕業だっただろう? ヴォルクが最近がんばっていたから王位に興味が湧いたのではないかと勘違いしたらしいんだ。犯人が勝手にやったこととはいえ、申し訳なかったよ」
「ヴォルク様はいつもがんばっておられますが……」
きょとんとしながら言ったシュカにホークはクックと笑って「そうだね」とうなずく。
「ぼくの言い方が悪かったよ。ヴォルクは騎士の訓練はずっとがんばっていた。ただ書類仕事や他の雑務は手を抜いていたところがあったんだ。けど、きみと結婚してからはがんばっているという話を聞く。人としても柔らかくなったよ。ハリネズミのような男だったからね」
両手の人差し指を立てて針を表現するホークにシュカは、ふふっと小さく笑いながらうなずく。
「わたしもヴォルク様はハリネズミのような方だなぁと思ってたんです」
「そうだろう? でもきみが『オオガラス』のようだと思ったことはなかったんだよ」
シュカは笑顔を一瞬で凍らせる。
深海を思わせるホークの眼に捕らえられたような感覚がした。
部屋全体の温度が下がったように身が震える。
ホークの本題をじっと窺っていると、ホークは紅茶をひとくち飲んでからシュカを見た。
「毒を盛られたときにシュカさんがオオガラスの姿になったところを見たという話を聞いたんだ。それは事実かな?」
どこまでも見通すような瞳に射すくめられたシュカは、すぐに否定することができなかった。
何か言おうとした喉が震えて、開いた口はすぐに閉じる。
黙り込むシュカにホークは「そうか」と小さくうなずく。
バレてしまった。
全身の血の気が引き、真っ青な顔をしているシュカは、もう自身がホークの『大切な家族』ではなくなってしまったことを悟った。
「王家の血に魔物の血が混ざることは許されない。シュカさんを人間にしたのはクラースだろう。優秀な彼ならきっとそれが可能だ」
「お兄様は! どうか、お見逃しください……!」
思わず立ち上がったシュカにホークは口角をあげる。
「きみを魔物だと吊るし上げて殺してしまうことは簡単なことだ。けれど、そうすると弟とクラースに恨まれることになる。ぼくはただでさえ敵が多い。これ以上増やすことはしたくない」
「……どうすれば、いいですか?」
ヴォルクにもクラースにも迷惑はかけたくない。
ドレスの布を握りしめて問うシュカに、ホークは「そうだね」ともったいぶって答えた。
「君が黙って出て行ってくれれば、この問題は解決する。他に好きな男ができて逃亡したことにしてくれないかな?」
ヴォルクはシュカを愛してくれている。
その愛を裏切って出て行けというのは残酷な話だ。
だがこの要求をのまなければ、シュカは間違いなく殺される。
そしてクラースは魔物を人間に化かしていた罪で断罪されることは確実であり、ヴォルクは魔物を娶った王子として批判的な目を向けられることになるだろう。
シュカはしばらくの間黙ってから、声を絞り出した。
「わかりました」
ホークが帰ったあと、シュカは訓練場に行くことはなくリエルと共に部屋の荷物を片付けた。
結婚したばかりの頃に家出したときのことを思い出しながら支度をして、持って行くと決めたものは変身薬の材料になる薬草だけにした。
クラースには手紙を書いた。
突然の別れになることを詫びると共にいつかまた会いに行くことを書いた手紙だ。
それからシュカはリエルと共に今までで一番美しく自分を飾り立てた。
漆黒のドレスにダイヤモンドがちりばめられた星空のようなドレスを身にまとい、唇には赤い瞳を際立たせる紅をさした。
馬車に乗ったシュカが目指したのは森ではなく城だ。
夜会の警備をするヴォルクに、シュカは会いに行かなければならなかった。




