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36 誓いをもう一度

「ヴォル? どうしたの?」


 うつむき、顎に手を当て、ぶつぶつ言いながらうろうろしていたヴォルクは声をかけられてようやくシュカが部屋から出てきたことに気がついたらしい。

 ギョッとした様子のヴォルクは「あ、ああ」と視線をさまよわせてから、うろうろしていた足を止めた。


「……シュカに話があって来た。おひいさまの教えは守らなくていいのか? もう夜だぞ」


 廊下にある窓の外は、もうすっかり日が暮れてしまっている。


(リエルが言ってたとおり、わたしの部屋に来てくれるつもりだったんだ)


 ヴォルクがシュカに話をしに来ようとしてくれていたことが嬉しい。ふんわりと笑みを浮かべたシュカは、こくんと頷いた。


「おひいさまも今夜だけは見逃してくれるんだって。わたしもヴォルに話したかったんだ。ヴォルのお部屋に行ってもいい?」


「オレの部屋か!?」


 顎に手を当てたままでいたヴォルクが眼をまん丸に見開く。


 シュカの部屋はリエルが丁寧に掃除してくれてはいるが、オオガラスの羽が落ちている可能性がある。

 できることなら誰にも入らないでもらう方が、正体がバレてしまう確率が低い。


 そもそも何故ヴォルクが夜に自室にシュカを招くことに動揺しているのかわからなかったシュカは首をかしげた。


「ダメかな?」


「……じゃあ、オレの部屋で」


 ダメではなかったらしい。

 だが、ヴォルクの耳は赤く染まっていた。


 廊下をふたりで歩き、ヴォルクの後に続いて入った彼の部屋はヴォルクの香りでいっぱいだった。

 爽やかでいて甘い香り。

 ヴォルクが寝起きしている部屋に入れてもらえたことは相手のテリトリーに入れてもらえたような感覚があって、シュカは喜びで思い切り深呼吸してしまった。


 「何やってんだ」というヴォルクの引き気味の声に「ヴォルの香りで胸をいっぱいにしてるの」と答えると、呆れた表情でソファーに座るよう促された。


 窓際のティーテーブルと一人用のソファふたつでできた応接セットには月光がたれ込んでいる。

 ヴォルクが「酒は飲めるか?」と聞いてきたのに、シュカは首を横に振った。


 薬と酒は相性が悪いことが多い。

 変身薬を飲んでいるシュカはクラースからの忠告で酒を一滴も飲んだことはなかった。


 シュカがソファーに座っていると、ヴォルクはゴブレットに水を注いでティーテーブルに置いてくれる。

 棚からワインを取りだして、自分のゴブレットへと注いだヴォルクは、シュカに向かい合うようにソファーに腰掛けた。


 窓の外は暗く、室内にいるヴォルクとシュカを映し出している。

 夜に人間の姿でヴォルクの隣にいる自分にシュカが思わずにこにこしていると、ヴォルクは意を決したようにシュカに顔を向けてきた。 


 シュカもヴォルクへと顔を向けると、ヴォルクは赤い顔をして視線を游がせる。

 「あー」と小さく唸ってから咳払いをひとつ。

 それからようやく言葉を紡いだ。


「ありがとう……、母上のこと。感謝してる」


 小さな掠れた声で言ったヴォルクは胸元からペンダントを取りだして、ティーテーブルに載せる。

 綺麗に磨かれたペンダントはエルザによって丁寧に管理されていたようだ。

 そしてこれからはヴォルクが丁寧に磨いていくのだろう。


「プレマ様がヴォルを愛してくれていてよかった。でも、余計なことだった? ごはんも食べられなかったみたいだったから心配してたの」


「いや、ただびっくりしただけで。オレは今まで何やってたんだって思っただけだ」


 小さくうなずきながらヴォルクはワインをあおる。

 寝酒にしては良いペースで飲んでいるワインは完全にヴォルクが照れを隠すためのものになっていた。


「研究所で古い帳簿を見たって言ってたな。エルザが元薬師だなんて知らなかった。よく調べたな」


「あれはレオンが話の流れで見せてくれたの。でもヴォルのお母様について知りたかったのは本当」


「なんでオレなんかの母親について知りたがるんだ」


 心底疑問といった様子でヴォルクがソファーに背を沈める。シュカは当然のように答えた。


「ヴォルが大好きだからだよ」


 背もたれに深く背をあずけていたヴォルクがアイスブルーの眼を一瞬見開いて細める。

 口角をわずかにあげたその表情は、シュカが見たこともないくらい優しいほほえみだった。


「なんでオレのことが好きだからって、母親のことが知りたくなるんだよ」


「だってヴォルはお母様に愛されてなかったんだって拗ねてたでしょ?」


「……拗ねてねェよ」


「うーん、じゃあ、ちょっと寂しく思ってたでしょ?」


 ヴォルクは黙ってワインに口をつける。

 どうやら拗ねていたことは認められないらしいが、寂しく思っていたことくらいまではギリギリ認めてもらえたらしい。

 シュカは素直ではないヴォルクが可愛くてクスクス笑った。


「ヴォルがこれから生きていく中でお母様に愛されていたのか、そうでなかったのかは、すごく重要なことだろうなと思ったからエルザさんに食い下がっちゃったの」


「……これでオレがマジで愛されてなかったって過去が明らかになってたらどうしたんだ?」


「そのときはわたしが、ぎゅうって抱きしめてたよ。わたしはヴォルが大事だよって」


 へらっと表情を崩して、シュカはおどけて自分の体を抱きしめる。

 呆れられるかと思ったが、ヴォルクは存外優しい声音で「そうかよ」と答えた。


 少しの間、沈黙が流れる。

 だがそれは嫌な沈黙ではなく、とても穏やかで甘みを感じるような沈黙だった。


「オレも、シュカが大事だ」


 静謐な泉にぽたりと清涼な水を垂らすようにヴォルクの声は静かに告げた。


 シュカは驚きで唇を引き結ぶ。

 横目に窺ったヴォルクはワインのせいか赤い顔をしている。

 グラスを揺らしながら、ワインを見つめるヴォルクの眼は若干潤んで見える。


「オレはずっと自信がなかった。母親に森に捨てられるくらい出来が悪くて、魔物王子だって後ろ指さされるくらい、必要のない人間なんだと思ってた」


「わたしはヴォルがいないとすごく困るよ」


「ああ、そうなんだろうな。そうなんだろうってわかってたがオレなんかを愛するわけがねェって疑うことで、裏切られたときの心の準備をずっとしてたんだ」


 伏せられたヴォルクの眼が小さく瞬く。

 髪と同じ色の黄金色の睫が動く様が美しく、シュカは声を出すことすらできなかった。


「もう、そんなアホみたいにいらねェ心の準備はやめていいか……?」


 ワイングラスに落としていた視線をヴォルクがこちらに向けてくる。

 縋るような眼は迷子のようだ。


 王位継承争いが最も激しかった時期をヴォルクは母の愛によって森で過ごした。

 それでも城に戻ったあとのヴォルクが様々な人に裏切られてきたことは容易に想像できる。


 愛されることにも信じることにも臆病になっているヴォルクに、シュカは力強くうなずいた。


「この先にどんなことがあっても、例えヴォルがわたしを嫌いになったり恐れたりしても、わたしはヴォルのことがずっと大好きだよ」


 魔物であることが知られてしまったとしても、シュカはヴォルクを愛している。

 正体が知られたときに今までの言葉は全て魔物の戯れ言だったのかと疑われてしまわないことを祈って、シュカは懸命に想いを口にした。


 ヴォルクはふっと微笑んで眼を伏せる。

 ヴォルクは酒に強くないようで、その眼は少しだけ眠たそうだった。


「結婚式をできるならやり直したい」


「結婚式を? どうして?」


「あのときのオレは、シュカのことを哀れんでた。『オレみたいなの押しつけられて気の毒に』ってな。嫌われて、とっとと離縁を突きつけられる気でいたんだ。だから神への誓いなんか適当にやってた」


 シュカは結婚式翌日の朝食のことを思い出す。

 魔物もびっくりの食事マナーを披露してくれたのは、シュカに嫌われようというヴォルクの努力だったのだとシュカははじめて気がつく。


「神に誓いなおしたい。シュカを幸せにするって」


 ワイングラスをティーテーブルに置いたヴォルクが立ち上がってシュカの後ろに回る。

 ヴォルクの気配が近付いてくることにドキドキしながらソファーに腰掛けたまま身を固めていると、ヴォルクの腕がシュカを背中から抱きしめた。


 背中に感じるヴォルクの熱が心地いい。

 だが何よりもシュカを緊張させる。

 強ばるシュカの細い肩をなだめるようにヴォルクが細い肩を撫でた。


「絶対にあんたを幸せにする」


 耳元で吐息混じりのヴォルクの声がする。

 ぞくっとした感覚が背筋を駆け抜け、シュカは体の力が抜ける感覚がした。


「今まで大事にしてこなくて悪かった。これからはシュカを何より大事にする。一番大切にする。だからずっと傍にいてくれ」


 熱のこもった声にシュカは身が震えるような喜びを感じた。シュカの眼に涙が浮かぶ。

 シュカはヴォルクの手に手を重ねて、「はい」と小さく、だがはっきりと答えた。


 ヴォルクが覗き込んできて、アイスブルーの瞳と赤い瞳の視線が交わる。

 シュカの黒い絹糸のような髪を耳にかけるヴォルクの指先は熱かった。


「……おひいさまが許してくれるのは、朝までか?」


 切なげなヴォルクの声にシュカは黙りこむ。

 うなずいたのかそうでないのかわからないほど、わずかにこくりとシュカが首を動かすと、ヴォルクは愛しげにシュカの頬を撫でる。


 ヴォルクがシュカの額に額を合わせてくる。

 キスされるのだと思い、シュカはきゅっと眼を閉じる。


 しかしいつまでも結婚式以来忘れたことのない、あの柔らかな感触は唇に訪れない。

 そろりと眼を開いて様子を窺うと、戸惑った表情をしたヴォルクと目が合った。


「ヴォル……?」


「いや……、うん?」


 パッとヴォルクが体を離すと、自分を包み込んでいた熱が離れてしまって寂しい。

 ヴォルクはシュカの額と自分の額に手を当てて、渋い表情を見せた。


「シュカ。おまえ熱ないか?」

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