23 拗ねる
全てを見守っていたリエルも連れて、シュカとヴォルクは森から屋敷へと帰った。
「ヴォルク様はわかりにくい方だと言いましたが、訂正します。とてもわかりやすくて、自身の感情には信じられないくらい鈍感な方なんですね。……いえ、臆病すぎて自分の感情を受け入れられないだけの可能性もありますかね」
その道中、リエルがシュカに耳打ちをしてきたが、シュカにはよくわからなかった。
屋敷への帰り道はまったりと歩いて街へと戻った。
馬が一頭しかいなかっため、三人乗ることができなかったからだ。
荷物を馬にあずけて城下町へと辿り着いた頃には、シュカの空腹具合は限界に達していた。
ぎゅ~んと鳴った情けないおなかの音は、乙女としてはヴォルクに聞かれたくはなかった。
だがバッチリ聞こえてしまったようで、ヴォルクは「なんだその気の抜けた腹の音」とケラケラ笑ってから「飯にするか」と言ってくれた。
家出は失敗に終わったが、ヴォルクの態度が軟化したのは家出があったからだろう。
ヴォルクに心配と迷惑をかけてしまったという反省の気持ちはもちろんあるが、その三分の一くらいの気持ちで「秘密を明かす手紙を書いて家出してよかったなぁ」という気持ちがシュカの中で混ざっていた。
街に着くと、ヴォルクはまず街の旅人用の厩舎に馬をあずけた。
それから手紙をしたためて厩舎の職員に金を渡して託す。
厩舎にあずけた馬を回収に来ることと、今から行くレストランに馬車を回すように屋敷の使用人へ指示を出す手紙だそうだ。
これで屋敷までは歩いて帰らなくて済む。
正直人間の身体では歩幅が狭すぎて、シュカの足は棒になっていたところだった。
ヴォルクが連れて行ってくれたレストランは平民も利用するようなラフな店だった。
「レストランは高ければ高いほど、飯が出てくるのがおせェ」というヴォルクもおなかが空いていたらしい。
ヴォルクはリエルも一緒に食事をとることを許したが、侍女であるリエルは丁重にその誘いを断った。
それでも「なんか食っとけ」というヴォルクの命令により、リエルは隣のテーブルで食事を取ることになった。
ふたりきりで小さなテーブルを囲んで、頼んだ料理が来るのを待つ。
窓際の席に座ったため、差し込んでくる光がヴォルクの黄金色の髪を更に輝かせている。
アイスブルーの瞳が光を受けて輝いているところも芸術品のようで、シュカはほうと恋の息を吐いた。
「この席失敗したな。眩しい」
「いえ、大成功の席です。ヴォルク様のかっこいい姿を照らす光が最高です」
「……そうかよ」
シュカが伝える愛にヴォルクは呆れたような声は出したが、その言葉の響きに疑いは感じられなかった。
ヴォルクがシュカの『ヴォルク様が大好き』という気持ちを信じてくれたことが嬉しくて、えへへと表情を崩してしまう。
一瞬だけヴォルクはシュカの顔を見て柔らかい笑みを見せたが、取り繕うように咳払いをしてシュカの方に身体を向けた。
「ふたつ、言っとくことがある」
「はい、なんでしょう?」
「城には自由に来ていい」
「へ!? いいんですか? 恥ずかしいんじゃなかったですか?」
「好き好き言われると恥ずかしいに決まってんだろ。黙って見てるくらいなら別に構わない。他の騎士も嫁さんが城に来たついでに仕事ぶりを見に来ることもある。好きだ好きだと騒がないなら来てもいい。望遠鏡も屋敷に戻ったら返す。今まで悪かった」
「やったあ! ありがとうございます! 毎日行きますね!」
「毎日は……。だがまあ、オレがあんたの行動を制限する権利はねェ。好きにしろ」
諦めたように告げるヴォルクに、シュカは万歳をして喜ぶ。
民衆は魔物王子の噂は知っていても、顔までちゃんとわかっている人間は少ない。
それでも知っている人間がいた場合には「魔物王子が大衆レストランで食事をしている」という、どうでもいい騒ぎに発展する可能性がある。
人目を集めるのは良いことではない。
「喜ぶのはいいが、小さく喜べ」とヴォルクが言うと、シュカは小さく両手をあげて「やったぁ」と小声で言い直した。
「ふたつめは……、これは別にイヤならいい」
「なんですか? ヴォルク様のお願いだったらなんでも聞きます。あ、夜に会うこと以外ですけど。交尾……じゃなかった。『夜について』のことですか?」
「そんな話ここでするか! そうじゃなくて……、オレに敬語をやめるっていうのはどうだっていう提案だ」
「敬語を、やめる……?」
予想外のお願いにシュカはきょとんとしてしまう。ヴォルクはシュカの表情を見て、顔中を真っ赤にした。
「レオンハルトには敬語使ってなかっただろ。『レオン』って呼んで、ため口で話してたじゃねェか」
「貴族のルールでは夫には敬語が普通だってお兄様が結婚前に教えてくださったんですが、間違っていましたか……?」
「間違ってない」
頬杖をついた手で口元を隠したヴォルクは拗ねた子どものようだ。
「間違ってないが、オレもあんたとタメ語で話したい。そりゃ公式の場とかでは敬語が必要なこともあるだろうが……」
ぶつぶつ言うヴォルクにシュカは咄嗟に胸を押さえた。
そうしなければ、胸が破裂して甘酸っぱい恋心がはじけて飛び出しそうだったからだ。
タメ語で話したい。
それはシュカと親しくなりたいと思ってくれているということだ。
今まで疑われてばかりだったため、こんな日が来るとは思ってもみなかった。
シュカは胸を押さえたまま、首が折れるのではないかというくらい何度も何度も小刻みにうなずいた。
「わかりましたっ! いえ、わかった! 今からヴォルク様にもタメ語使うね!」
「タメ語で『ヴォルク様』はおかしいだろ。レオンハルトは『レオン』だろ? オレは?」
まだ拗ねた子どもの顔のままのヴォルクに、シュカは胸を押さえる力を強める。
本当に胸が壊れるんじゃないかというくらいキュンキュンしている。
「じゃあ、今からヴォルって呼ぶ。他にもヴォルって呼ぶ人はいる?」
「……いない」
「ふふ、じゃあわたしだけの特別だね、ヴォル」
嬉しくて嬉しくて、とろけた雪だるまのように表情を崩すシュカに、ヴォルクはふっと噴き出して慌てて表情を元の仏頂面に戻した。
「じゃあ、ヴォルもわたしのこと『あんた』とか『おまえ』じゃなくて、『シュカ』って呼んでね」
「ん」と小さく返事をしたヴォルクは、意を決したような顔で口を開き、そしてシュカが世界一聞きたい音を発した。
「シュカ」
好きな人に名前を呼んでもらうと、どうしてこんなに胸が切なくなるのだろう。
ふふふと小さく笑ってからシュカは「はい」と甘い声で返事をした。




