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22 これから

「へ?」


 ヴォルクの体温がシュカの身体に伝わってくる。


 身長差のせいでシュカはヴォルクの胸板に顔を埋めることになった。

 呼吸をするだけでヴォルクの香りが胸いっぱいに広がる。

 それは幸福を身体の中に吸い込むのと同義だ。


 痛いくらいに騒いでいる心臓の音がヴォルクに聞こえていたら恥ずかしい。

 それでも身を離そうという気にはならなかった。


「……探した」


「ごめんなさい」


「見つからなかったらどうしようかと思った」


「……ごめんなさい」


 ヴォルクの安堵した様子の声に、本当に一生懸命に探してくれたんだということを実感する。


 望まれているのかはわからなかったが、シュカもヴォルクを抱きしめ返した。

 より身体の密着度が高まって、体温が上昇していくのを感じる。

 人間は何度までなら熱を出しても大丈夫だったっけと考えてしまうほどに、体中が燃えているかのような熱を持った。


「……今までオレはあんたを大事にしてこなかった」


 シュカを抱きしめたまま、ヴォルクは言葉を落とすように優しく話しだす。


「オレのことを『好きだ』なんていう奴に今までろくな奴はいなかった。ちょっと気を許して食事を共にしたら毒を仕込まれたこともあったし、王家の血筋を求めてただけで陰では『化け物王子』ってバカにしてた奴もいた」


(誰がそんなこと言ったの!? 見つけたらオオガラスの姿になって脅かしてやるんだから!)


 シュカは内心怒ったが、今はそれよりヴォルクの声を聞いていたかったので黙っておく。


「あんたのこともそういう連中と同じ連中なんじゃねェかと思ってたんだ。もう誰にも騙されたくなくて、傷つけられたくなくて、オレは臆病になってた」


 好意をちらつかせて近付いてきた相手に裏切られることはとても辛いことだろう。

 ヴォルクが臆病になってしまうのは当然のことに思えた。


 できることなら過去のヴォルクに会いに行って、「大丈夫です。わたしはあなたが大好きですよ。本当です」と伝えにいってあげたいくらいだ。

 でもそれはできない。

 シュカはヴォルクを抱きしめる力を強めることで、過去のヴォルクを慰めた。


「あんたの『好き』は本物だって勘づいてたのに、なんか隠してるからって、その言葉までも疑ったことは謝る。悪かった。これからはあんたを大事にする。絶対に、大事にする。だから、――だから帰ってこい」


「はい」


 シュカは切ない声で返事をする。


 「本当か!?」と言いながらヴォルクはシュカの肩をつかんで身体を離し、シュカの顔をのぞいてくる。

 離れて行ってしまった体温が少しだけ寂しい。

 それでもシュカは笑って答えた。


「わたしが勝手に逃げ出せば、ヴォルク様の評価にかかわりますもんね。今回の家出はなかったことにしましょう」


「オレの評価?」


 呆気にとられたような表情をしているヴォルクに対し、シュカは深刻な表情でうなずく。


「わたしが逃げ出したと思われては、ヴォルク様に関する噂はもっと悪くなっちゃいますよね。なのでわたし考えたんです。わたしが悪女になればいいんですよ! 『あんな嫁なら、ヴォルク様も離縁するよなぁ』って言われるくらいの悪女になれば、ヴォルク様の評価は逆にあがるかもしれません!」


「……ん?」


 眉を寄せ唇を曲げ、渋い表情でシュカを見下ろしたヴォルクは「待て待て待て」と言いながら頭を抱えた。


 シュカの両肩からヴォルクの手が離れてしまった。

 ヴォルクの手が触れていた部分だけがひんやり冷たくなってしまった気がした。


「あんたの考えがわからん。どういうことだ? あんたはオレに愛想尽かしたから出て行ったんじゃねェってことか?」


「え? 愛想が尽きるわけありません」


「じゃあなんで家出したんだよ」


「手紙にも書きましたが、私には明かせない秘密があります。ヴォルク様にとって、同じ屋根の下に疑いを持つ相手がいるのは良くないことかと思ったんですけど……」


「オレのためにあんたは悪女を演じて離縁して、周りには『仕方ない離縁だった』って思わせてェって意味だな?」


 「はい」とシュカが真剣な表情で肯定する。


 ヴォルクは更に頭を抱え、しばらく考え込んだあとにシュカに向き直った。


「あんた自身は、オレと離縁したいと思ってんのか?」


 ヴォルクの表情はわずかに強ばっていた。


 緊張している面持ちのヴォルクにシュカは静かに眼を伏せた。

 悲しげに俯くシュカが瞬きをすると、長い睫が揺れる。

 それをヴォルクは「どこかで見たな」と感じながら答えを待った。


「……離縁なんて、したいわけないじゃないですか」


 シュカが顔をあげる。

 赤い瞳は涙で潤み、木漏れ日を吸い込んで輝いていた。


「離縁なんて本当はしたくありません。でもヴォルク様は秘密を抱えた女と同じ屋根の下で生活するなんてイヤでしょ? 離縁は仕方ないと思います。だから私が悪女に――」


「あーあー、悪女の話はもういい。あんたはオレが体面を保てるように悪女になって離縁すればいいと思ったんだろ?」


「そうです」


「その必要は一切ない。オレもあんたと離縁する気はない」


 はっきりとした口調で言われた言葉を聞いた瞬間、シュカは涙腺は本当に崩壊するのだということを知った。


 どばっと一気に涙があふれ出して、頬を次から次から伝っていく。

 朝露のように輝く涙を見たヴォルクはギョッとして「泣くなよ」と指先で涙をすくってくれた。


「どうして、どうして離縁する気がないんですか? わたしは秘密を絶対明かしたくないです。夜には絶対に部屋から出ません。そんな女のどこが良いんですか?」


「秘密なんか誰にでもある。あんたの秘密がオレの命を脅かすもんなら困るが、そうじゃないから秘密があるってことを明かしたんだろ? オレを殺したいなら、秘密があるなんてわざわざ明かさない。それにあんたがオレを『好き』っていうのは事実だってわかってる。だから離縁をする気はない。……したくない」


 最後にぼそりと言われた「したくない」の一言でシュカは心臓が止まるかと思った。


「ヴォルク様は、わたしのこと好きですか?」


「は!?」


 唐突な問いにヴォルクは耳まで赤くする。

 俯いてぐっと何かをこらえてから、ヴォルクは絞り出すように言った。


「嫌いでは、ねェ」


「わああああん!」


「だから泣くなよ!」


 森中に響きそうな声で泣くシュカにヴォルクはオロオロしてしまう。

 シュカがぬくもりを求めて両手を広げると、ヴォルクは仕方なさそうな態度でシュカをもう一度抱きしめてくれた。


「……騎士服に鼻水つけんなよ」


「ひぐっ、はい」


「悪女にもならなくていい。というかあんたにゃ無理だ。嘘が下手すぎる。なんだお日様の神おひいさまって」


「ぐすっ、わかんないです」


「帰ってきてくれるか? あんたが秘密を抱えててもオレはあんたがいないと、なんでかものすごく困る」


「なんで困るんですか」


「それは……まだわかんねェから、ちゃんとわかったら言う」


 理由はわからないが、シュカがいなければヴォルクが困るというのであればシュカに帰る以外の選択肢はない。

 シュカはヴォルクが大好きで、ヴォルクの嫌がることはなにひとつしたくないからだ。


「帰ります。大好きです、ヴォルク様」


「……そうかよ」


 ぶっきらぼうに言いながらも、シュカを抱きしめるヴォルクの腕には力がこもった。

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