02 忘れていた初夜
「そうだ! 初夜があったんだ!?」
「お忘れになられていたんですね」
結婚式後のガーデンパーティーによる披露宴も終了した夕方、シュカはヴォルクと生活する新居の自室のベッドにいた。
入浴を終えてリラックスモードになっていたシュカは、いつもより早く部屋を出ようとする侍女のリエルに「あれ? もう寝る時間?」とたずねて「ヴォルク様がいらしゃいますよね……?」と言われて、やっと初夜という文化を思い出した。
この国では結婚式をした晩に夫が妻の部屋を訪ねて契りを結ぶ。
とある事情で夜にヴォルクと会うことだけは絶対に避けたかったシュカは、ベッドの上で考え込み始めた。
「いや、でもヴォルク様はわたしとの結婚イヤそうだったでしょ? わたしの部屋になんて訪ねてこないんじゃないの?」
「いいえ、必ず訪ねていらっしゃいます」
「なんで?」
「初夜には夫婦としての契りを交わすという儀式的な意味合いもあります。夫が妻の部屋を訪ねなかった場合、夫に愛人がいるか性的に不能かという噂が立つことになるんです。妻の方も『白い花嫁』と侮辱されることになりますが、夫の方が株が下がることは間違いありません」
「……ヴォルク様ってそういう評判とか気にするタイプ?」
「ヴォルク様は気にされずとも、周囲は気にします。形だけでも妻であるシュカ様の部屋を訪ねるようにしつこく言われているでしょう」
猫のような黒目でこちらをじっと見据えたリエルは淡々とシュカの希望的観測をはねのける。
「うぁ」と呻きとも悲鳴ともつかない声をあげたシュカにリエルは頭を下げた。
「では失礼致します。日が沈むまでにヴォルク様を追い払ってくださいね。薬を一日に二回飲むことはクラース様が許しませんよ」
「あうぅ」
シュカが先程から薬を入れた棚を盗み見ていたことは、リエルにはバレていたらしい。
踵を返すリエルに「待ってぇ」と声をかけようとした瞬間、少々乱暴なノックが鳴った。
「オレだ」
ドアの向こうから聞こえる低く掠れた声。リエルがバッと振り返って目が合った。
「……大丈夫。絶対に日没までに追い返すから」
「健闘を祈っております」
リエルが静かにうなずいて、ドアを開ける。
リエルと入れ替わりに入ってきたヴォルクを、シュカはベッドから立ち上がって出迎えた。
ヴォルクはシャツにスラックスというラフな恰好になっても、そのスタイルの良さで全てが完璧に見える。
その美貌に感動しながらも、シュカはワンピースの裾を軽く持ち上げて礼をした。
「本日はお疲れ様でした」
(どうしよう、ヴォルク様だけには絶対バレたくない)
頭を下げならシュカはヴォルクを追い返す方法を考える。
シュカには絶対にバレてはいけない秘密があった。
(夜になったら、魔物になっちゃうなんてバレたら絶対に嫌われる!)
シュカは人間の少女の姿をしているが、実はオルクス伯爵夫妻に救われて人間に変身することができるようになった、鳥の魔物なのである。
城のお抱え薬師である血の繋がらない兄のつくる薬で日中は人間の姿をしていられるが、夜になると本来の姿に戻ってしまう。
そんな姿をヴォルクに見られればどうなってしまうだろうか。
嫌われるどころか、最悪切り捨てられるかもしれない。
シュカにとっては切り捨てられるより、ヴォルクに嫌われてしまう方が大問題だ。
ちらりとシュカは窓の向こうに目を向ける。日は既に山の向こうに沈みかけていた。
「初夜だ。イヤだろうが済ませとかねェと周りがうるさい。うぜェ文化だがな」
頭を下げているシュカにヴォルクは心底めんどくさそうに言う。
我が物顔でシュカの部屋を横切り、ぼふりとベッドに腰かけたヴォルクは「まあ来いよ」と自身の隣を軽く叩く。
頭を上げたシュカはその誘いに乗ってヴォルクに甘えてしまいたかったが、夜まで時間がない。
ヴォルクの誘惑には負けず、シュカはヴォルクの前に立った。
窓から覗く夕日は少しずつ山の陰に隠れようとしていた。