19 おやすみの前に
「シアの花、たくさん採れたね。それにしても綺麗な場所だね~」
リエルに声をかけるシュカは、輝く薄桃色の花を抱えていた。
泉の傍に咲くシアの花は夕暮れ時になると一斉に光りだした。
ほんのりと灯る明かりはろうそくの火のように儚げで美しい。
花を摘んだ後は、その場で水浴びをして夜を越すことにした。
リエルと共に泉で水浴びをし、体がさっぱりした頃には夜が訪れる。
シュカの体を光の粒子が包み込み、その姿は人間からオオガラスと呼ばれる巨大な鳥の姿となった。
黒いつややかな羽毛が月光で輝いている。
人間の姿のときに綺麗にした体はオオガラスの体に戻ってからも綺麗なままだ。
『人間の体のときに水浴びしちゃった方が楽だね。体が小さいから』
「そのお姿のときの水浴びも豪快で私は好きですよ」
オオガラスの姿の時の水浴びはダイナミックなものだ。
大きな翼を広げて水を跳ね上げ、バシャバシャと音を立てながら全身を洗う。
あんな豪快な姿をヴォルクに見られるかもしれないと考えると、屋敷を出てきたのはやはり正解だったと思えた。
「どうされますか? このまま森を進みますか?」
『うーん、進んでもいいんだけど少し休もうか。今日は旅支度でリエルも疲れたでしょう? 少し眠った方がいいよ』
「そうですね。ありがとうございます」
魔物であるシュカはまだ体力がある。
なんなら空を飛んで遠くまで行くことも可能だ。
だがそんな無理をさせてリエルが体調を崩しては困る。
行く宛てのない旅なのだ。
健康は第一だ。
自分では「まだまだいける」と思っていたが、地面に座った瞬間に疲れがどっと押し寄せてきた。
もう眠ってしまおう。
森は夜に活発に動く魔物が多いが、巨大なオオガラスを狙う勇気ある魔物は存在しない。
「おいで」とリエルを羽の下へと誘う。
オオガラスであるシュカに危険は少ないが、人間であるリエルにとって夜の森は危険でいっぱいだ。
それに何より、シュカの羽毛はどんな高級ベッドにも負けないふわふわ感がある。
いつも冷静で大人びた顔をしていたリエルが照れくさそうに「いいのですか?」と遠慮がちに羽の下へとやってくる。
そっと羽で包み込んでやるとリエルはゆるく口角をあげる。
その顔が子どもの頃を思い出させて可愛らしかった。
「おやすみなさいませ、シュカ様」
『おやすみ、リエル』
お互いを労いあうような優しい声音で挨拶をして、シュカも一度は目を閉じる。
だが瞼の裏にヴォルクがいて、ヴォルクに会いたくてたまらなくなってしまった。
ふと、月を見上げる。
シュカは恋をするまで知らなかったのだが、恋をしてから空を見上げることが増えた。
この空の下にヴォルク様もいるんだと考えると、寂しさが少しだけ紛らわせる。
今日は綺麗な満月だ。
暗いはずの森が少しだけ明るく見えるくらいの月光が泉のほとりには差し込み、泉の水面がきらめいている。
シアの花が輝いているときも思った。
この景色をヴォルク様に見せてあげたいな、と。
美しいものを見たときに見せてあげたいと思うこの気持ちこそが恋であり、愛なのだろう。
これほどまでに愛してしまった相手が人間だったなんて、運命は残酷だ。
せめて相手がシュカと同じ魔物であればよかったのに。
ぼんやりとどうにもならないことを考えていると、足音が聞こえてきた。
そちらへと顔を向ける。
シュカ達が泉を目指すために通った獣道を誰かが進んできているのが暗闇の中でわずかに見えた。
シュカは鳥の魔物であるため、鳥目である。
暗がりから何が来ているのかもよくわからないが、とにかく何かがこちらに向かってきている。
羽の下で気持ちよさそうに眠っているリエルを起こすか起こすまいかと悩んでいると、その何者かは月光が差し込む泉の広場へと顔を出した。
鳥目のシュカに、それが誰なのかわかったのは今日が満月だったおかげである。
泉が光を反射する明るい広場へと飛び出してきたのは、間違いなくヴォルクだった。