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17 置き手紙

 ヴォルクが夕暮れ色に染まる馬車を降りて帰宅すると、いつもは誰もいない玄関ホールに使用人がひとり立っていた。


 貴族の屋敷では主人が帰ってくるときに使用人や妻が出迎えるのが常識だ。

 だがヴォルクにとってそれは煩わしく、仕事の手を止めてまで使用人が主人を出迎える必要性も感じなかった。


 ヴォルクの指示によっていつもは誰もいないはずの玄関ホールに使用人がいることは珍しい。

 シュカがこっそり吹き抜けになっている二階から顔をのぞかせていないことも珍しい。

 珍しいことばかりなときに良い状況であることは少ない。


「なんかあったのか?」


 こちらへとやってきた使用人が封筒を持っていることに気がついたヴォルクは眉を寄せる。


 渡された封筒には「ヴォルク様へ、シュカより」と書かれている。

 封筒から手紙を取りだして、文章に目を走らせたヴォルクは眉間の皺を更に深くした。


◇◇◇


 ヴォルク様へ

 お仕事お疲れ様でした。数日前の訓練場では恥をかかせてしまってごめんなさい。

 あれからヴォルク様の言いつけ通り、わたしは城に行っていません。

 ヴォルク様のことが大好きだから、あなたが嫌がるようなことはひとつもしたくないのです。


 ヴォルク様はいつもわたしを疑っていますね。

 なにか秘密があるのではないかと。


 大正解です。

 わたしにはヴォルク様に言えない秘密があります。

 そのことがヴォルク様を不安にさせていることも知っています。


 同じ屋根の下にいる妻を疑うことは精神的負担になるでしょう。

 だから、わたしは出て行くことにしました。


 わたしは結婚式のときに、あなたを支えて幸せにすることを誓いました。

 秘密を抱えるわたしには、ヴォルク様を支えることはできそうにありません。

 でも幸せにすることはできるのではないかと考えたのです。


 わたしが出て行くことで、ヴォルク様はわたしを警戒しなくて済むようになります。

 そのくらいのことしかヴォルク様の幸せに貢献できない自分が情けないですが、この道を選ぶことしかわたしにはできませんでした。


 最後に、これだけは信じてください。

 わたしはヴォルク様が大好きです。


 戦う雄々しい姿、部下のために傷薬を用意する優しさ、思っていたよりずっと恥ずかしがり屋さんだったところ。

 そのすべてが、この手紙を書いていて涙がでてしまうくらいに大好きです。


 ヴォルク様に、涙が出るような恋をしている者がいたことを忘れないください。


 短い間でしたが、今まで本当にお世話になりました。

 ヴォルク様の幸せを遠くからいつも願っています。


◇◇◇


 手紙を読み終えたヴォルクは、しばらく綴られた文字を見ていた。

 「わたしは出て行くことにしました」と書かれた部分を何度も何度も読み返す。


 そして弾かれたように顔をあげて、居心地悪そうにしている使用人を見た。


「これ、あいつが本当に渡していったのか?」


「はい。奥様が夕飯の支度は旦那様の分だけでいいとおっしゃってこちらを……」


 言いづらそうに告げる使用人にヴォルクは「そうか」と低くうなる。


 ヴォルクは俯いて視界に入った自分の手が震えていることに気がついた。


 シュカがいなくなった。

 「大好きだ」と言ってくれたシュカが、いなくなってしまった。


「クソ……」


 これは自業自得でしかない。


 ヴォルクはシュカに対して、ずっと疑いのまなざしを向けてきた。

 シュカは「大好き」という言葉を使って、いつかヴォルクを殺すための隙を見計らっているのではないかと、ずっと疑ってきた。


 それは激しすぎる王位継承争いが落ち着いた頃に城に戻ったとはいえ、常に毒や暗殺者の危機にさらされている生活を送ってきた弊害だった。


 ヴォルクには人を信じる勇気がなかったのだ。


「こんな手紙残してどっかに行くメリットはなんだ……?」


 ヴォルクを暗殺する気があるのであれば、シュカはその機会を狙うためにも屋敷に残っている方がずっと効率的だ。


 シュカの「大好き」という言葉に嘘を感じたことはない。

 ヴォルクは自分は勘が鋭い方だと自負していたが、もしかしたらシュカがとんでもない演技力の持ち主である可能性も考えていた。

 だがそんな演技力のある人間が、「秘密がある」とわざわざ打ち明けるだろうか。


「俺も、誓ったよな……」


 結婚式の日、誓いのキスをするためにヴェールを上げて見たシュカの顔を思い出す。


 紅潮した頬がかわいらしく、長い睫は瞬きをする度に緋色の瞳を輝かせていた。

 「ああ、こいつが俺の妻になるのか」と思うと悪くない気がした。


 不本意な結婚だったとはいえ、ヴォルクも結婚式の日に誓った。

 シュカを守り、幸せにすると。

 その誓いを破りたくない。


「あいつがどこに行ったのかはわかるか?」


「いえ、それが突然いなくなってしまったのです」


 使用人が情けない声をあげて「申し訳ございません」と頭を下げる。


 シュカの侍女に聞けば居場所は確実にわかるだろうが、あの忠誠ぶりからするとシュカについて行っているはずだ。

 そうなると、シュカの居場所がわかるかもしれない人物はふたりに絞られた。


 しかもそのふたりは、どちらも同じ場所にいる可能性が高い。


「絶対あいつを連れ帰る。あいつがもしも帰ってきたら、俺に知らせろ」


「承知しました」


 恭しく返事をする使用人を置いてヴォルクは踵を返した。


 馬車はもう片付けに入っている。今から使用人に出せと命令するよりは、単騎で城に向かった方が早い。

 厩舎に顔を出すと大慌てで「馬車のご用意を」と使用人が駆けつけたが、「馬だけ使う」と答えて愛馬にまたがったヴォルクは城下を駆け抜けた。

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