12 魔物王子の秘密
「あんた、ちょっと来い」
「は、はい」
有無を言わせない眼光にシュカはこくこくと人形のようにうなずく。
訓練場に立っている騎士はもうひとりも残っていない。
「訓練は終了だ! 弱すぎる! 国のために、おまえのために、おまえの守るもんのために、魔物王子くらい倒せるようになれ!」
広い訓練場が震えるような声を響かせたヴォルクは、敬礼する騎士たちを置いてシュカの腕を引いて訓練場を後にした。
ぐんぐん進んでいくヴォルクの足取りはシュカの歩幅にまったく配慮してくれない。
だが時々つんのめって転びそうになるシュカの身体はヴォルクが腕を引っ張って支えてくれた。
酷くしたいのか優しくしたいのかわからないヴォルクの態度に混乱するシュカの意識を引き戻したのはリエルの声だった。
「ヴォルク様! 乱暴なことはおやめください!」
シュカの侍女であるリエルにとってヴォルクは旦那様だ。
旦那様にそんなお願いは無礼すぎる。
侍女として教育を受けているリエルは、それがわかっていてもシュカを守ろうとしてくれたのだろう。
端から見ると、ヴォルクはシュカの腕を相当強く握っているように見えるはずだ。
だが実際はそれほどでもなく、痛みもない。
「大丈夫」と返事をしようとしたところで、ヴォルクはリエルがいる後ろを振り返って吠えた。
「乱暴はしない! 話すだけだ! 外で待ってろ!」
言い放ったヴォルクはシュカを連れて廊下に並ぶドアのひとつを開く。
シュカをその部屋へと引きずり込んだヴォルクはそのまま部屋に鍵をかけた。
ドンドンとリエルがドアをたたく音が聞こえる。
叱られてしまうのだろうか。
肩を縮めて怯えるシュカをヴォルクが鋭く睨んでいる。
訓練場で夫の仕事ぶりを見学するだけなら問題のある行為ではない。
だがシュカは夫の部下に文句をつけた上に余計なことを口走りかけた。
ヴォルクがシュカの両手を掴む。
一歩二歩と近付いてきたヴォルクに、シュカは気づけば壁に両方の手首を縫い付けられていた。
「あんた、なんで来てんだよ。温室での用は済んだのか」
顔は怒っているが、ヴォルクが感情的に怒鳴る様子はない。
冷静にこちらを責めている声はシュカを叱っている。間違いない。
だが、シュカはご褒美をもらっている気分になってしまった。
怒りでより一層低くなった声は艶っぽいし、シュカを壁に押しつけているヴォルクの顔がとても近い。
吐息すら感じられる距離だ。
アイスブルーの瞳を持つ目を囲う長い睫まで黄金色なのだと思うと、その本数を数えたくなってしまう。
思わずうっとりとした表情になりかけたが、シュカはちゃんと今は叱られているのだということを思い出した。
シュンとした表情を見せて、反省を伝える。
「温室での用は済みました。でもヴォルク様の訓練をどうしても生で見てみたいと思ってしまって、訓練場に行ったんです」
「なんでオレの訓練なんか……って、そういやあんた、列柱廊から望遠鏡で見てたとか言ってたな」
「はい! ずっと望遠鏡越しに見ていました。今日は生で見ることができて、本当に嬉しかったです!」
パッと表情に花を咲かせて喜ぶシュカをヴォルクが睨む。
そうだ。怒られていたのだった。慌ててシュンと少しだけ頭を下げる。
「ごめんなさい、ヴォルク様。ヴォルク様が傷薬を用意して『ご自由にどうぞ』って騎士の皆さんに配慮していることは内緒だったんですよね。それを暴こうとしてしまったことは本当に反省しています」
「……あれはオレじゃない」
ヴォルクが顔をしかめる。
黄金色の髪がかかる耳が僅かに紅潮していたが、シュカは気がつかなかった。
「えっ、あれは絶対にヴォルク様だと思います! だって温室であの傷薬をお持ちになっておられましたよね? 温室にも行き慣れている様子でしたし。部下への優しさに心があたたかくなりました。ヴォルク様はやっぱりおやさし――」
「違う! オレじゃない!」
ヴォルクが叫ぶ。
今度は顔中真っ赤だ。
さすがのシュカも気がついて口をつぐむ。
シュカの手首を壁に縫い止めるヴォルクの手の力が増した。
「毎日あの傷薬を用意してるのはオレじゃない。あんたは間違った情報をオレの部下に告げようとしてた。だから、オレはあんたを止めた。……そういうことだ。いいな?」
真っ赤なヴォルクが言うので、シュカは何度もうなずく。
そういうことにしておかなければ、ヴォルクは解放してくれないだろう。
シュカがうなずいたのを確認してから、ようやくヴォルクはシュカを解放した。
深いため息を吐いたヴォルクが部屋に置いてあった椅子に乱暴に腰掛ける。
どうやらここは騎士団が会議に使うための空き部屋のひとつらしい。
シュカはヴォルクに握られていた手首を撫でる。
叱られていたというのに、彼のぬくもりが去ってしまったことが寂しかった。
「……痛かったか?」
「へ?」
「痛かったか!? 一度で聞け!」
シュカは一度で聞こえなかったわけではない。
ヴォルクの優しさに感動して間抜けな声をあげてしまっただけだ。
組んだ足に頬杖をついて、更にそっぽを向くことでヴォルクは赤い顔をなんとか隠しているが、朱色に染まった耳が隠せていない。
その姿が可愛くて可愛くて、シュカはにこにこしながら首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。ヴォルク様が離れて行ってしまったのが、なんだか寂しくて」
「は!?」
驚いたヴォルクがバッとこちらに顔を向けたので、その真っ赤な顔はシュカに丸見えになってしまう。
「えへへ」とつられて照れてしまったシュカを見て、ヴォルクはもう赤い顔を隠すことを諦めた様子で再び大きなため息を吐いた。