10 訓練場
温室がある城内から騎士団本部までは列柱廊によって建物が繋がっている。
シュカがリエルを連れて足早に向かっている訓練場は騎士団本部内にある。
訓練場は高架になっている列柱廊から見えるようになっており、シュカはそこから望遠鏡を覗く日々を送っていたのだが、今日は通り過ぎるのみだ。
過去の自分に優越感を覚えてしまう。
「本当にシュカの結婚生活は幸せなのかい?」と温室でのやりとりを見て心配するレオンハルトをなだめるのに少々時間を要した。
更にその後やってきたクラースがレオンハルトから話を聞いて、また「大丈夫なの、シュカちゃん!」と半べそをかくので、それもなだめていたら温室を出る時間は大分遅くなってしまった。
「遅くなっちゃったけど、ヴォルク様まだ訓練してるかな!? 絶対生で見たいのに、遅れちゃったよぉ!」
「ヴォルク様は教官ですから戦闘訓練は最後までされているかと思いますが、この時間ですから保証はできませんね……」
紺色のドレスの裾を引っ張り上げて令嬢とは思えない速度で列柱廊を駆け抜ける。
リエルもクラースから預かった変身薬の入ったかごを抱えて、エプロンスカートの長い裾をはためかせながら続いていた。
ヴォルクは王族でありながら騎士団の教官というポジションにいる。
それは異例の配置だ。
もちろん悪い意味で。
王族が騎士になることはあるが、大概が出世コースを歩み、小隊長、中隊長、隊長、隊長主席、そして騎士団長へとのぼり詰めるものだ。
だがこの国は直近で激しい王位継承争いが起きたばかりだ。
そのため病に臥せる王に代わって政治のほとんどを取り仕切っている第一王子ホークは、ヴォルクをあえて出世の見込みがない教官という地位に置いた。
教官とは本来なら老齢の騎士が就く役職であり、ヴォルクのような王族が就く職ではない。
ヴォルクが隊長や騎士団長なんて立場にのぼり詰めたら、彼は大きな部隊を動かす権力を持つことになる。
ホークとしては王位継承争いが内戦に発展しないようにと配慮しての人事なのだろうが、シュカは大正解だと思っている。
シュカはヴォルクにとって教官という立場が天職だと思っているからだ。
ヴォルクはシュカの知っている人間の中で最も強い。
「おっせェ動きだな。寝起きの熊でももっと早く動けるぞ。戦場じゃ即死だァな」
汗だくになって訓練場に飛び込んだシュカの頬を、リエルがハンカチで拭ってくれる。
真四角の訓練場は周囲に見学できるように椅子が並べてある。そのほとんどの椅子にボコボコにやられた騎士たちがぐったり倒れ込んでいて、椅子はもうほとんどベッドのようになっていた。
訓練場の中心。木剣を肩に担いだヴォルクが「次ィ!」と張りのある声をあげて顎でしゃくると、返事と共に壁際で待機していた騎士がひとり前に出てくる。
どうやら今日は隊を組んでの戦闘ではなく、個人戦での訓練を行っていたらしい。
集団戦より個人戦の訓練の方が当然時間がかかる。
そのおかげでヴォルクが直接訓練を行っている時間に間に合うことができたのだが、ヴォルクの騎士百人斬りを最初から最後まで観戦できなかったことは、「うぐぅ」と唸ってしまうほどに悔しかった。
とりあえずシュカは訓練場の片隅の柱の陰に隠れて観察をはじめる。
いつもの癖で首にかけた望遠鏡に手をかけそうになったが、とりあえずは生で観察することにした。
「よろしくお願いします」
待機していた騎士の中から歩み出てきたのは岩のような大男だ。
歩く度にのっしのっしと音がしそうな程にガッシリとした恵まれた体躯は筋肉の鎧でできている。
相対するヴォルクも決して背が低い方ではない。
だがその騎士に対面すると体格差は歴然としていた。
対峙するふたりは狐と熊くらいの差はある。
「よし」と連戦を重ねたせいか、額に浮かんでいた汗を手の甲で払ったヴォルクが一呼吸を置く。
アイスブルーの瞳にギラギラと野性味を帯びた殺気を乗せたヴォルクは、獣のように口角をあげた。
「来いよ。どっからでも」
ヴォルクの挑発に乗るように騎士は木剣を抜いてヴォルクへと斬りかかる。
男の剣は縦ではなく、横になぎ払われた。
シュカは瞬時にこの男は筋肉バカではないと悟る。
体格で勝る騎士は力任せにヴォルクを上から斬りつけて、その攻撃を受け流した手首を痺れさせてから追撃することは選ばなかった。
それはきっと縦に攻撃した軌道は逃げ道を横と後ろに与えてしまうからである。
対して横薙ぎの攻撃であれば、後ろに下がって避けるのが定石だ。
ヴォルクはこの攻撃に後ろに退くしかないと誰もが予想した。――シュカ以外は。
(ヴォルク様は下がらない。予想外の動きをするのがヴォルク様なんだから)
「なっ!?」
それは一瞬のことだった。
ヴォルクの訓練を見続けて見る眼を鍛えていたシュカには見えたが、凡庸な騎士には何が起きたのかもわからなかったかもしれない。
岩のような体格を持つ騎士の手から弾かれた木剣は高い空中で回転して、ヴォルクの後方にカーンと音を立てて落ちる。
スッと姿勢を正したヴォルクは短く息を吐いた。
「自分の体格に溺れんな。おまえは弱い」
淡々と告げられた騎士は愕然とした表情を見せた後に木剣を拾い、よろよろと壁際に寄る。
そのまま壁に背をあずけてへたりこんでしまった。
一瞬の間に起きたできごとはこうだ。
なぎ払われた木剣をヴォルクはしゃがんで避けた。
目の前に迫る木剣を前に、冷静に攻撃の軌道を予測して、しゃがめばかわせるという判断を下すことは簡単にできる芸当ではない。
だがヴォルクは造作もない様子でやってのけた。
体格で劣るヴォルクは敵と対峙している場面では隙をつくしかない。
木剣を薙ぐことに夢中で、がら空きになっている騎士の手首をヴォルクは下から木剣で跳ね上げたのだ。
「リエル、見た!? 今のすごかったわね!」
「はい。ヴォルク様の強さは間違いなく騎士団随一です」
ヴォルクは一応騎士学校には行ったらしいが、教わった型はまるで無視だったそうだ。
訓練演習でどこの流派にも属さない技術で無双してきたヴォルクは今も我流を崩さない。
その強さがシュカを夢中にさせた。
「次ィ!」
ヴォルクの声が張られると、次の騎士が現れる。
「リエル、最高ね! 生で見るヴォルク様は素敵すぎるわ。動いたときに髪から飛ぶ汗の粒が輝くところまで見える!」
「よかったですね」
訓練場の片隅で跳ねながら観戦していたシュカの隣で、リエルが柔らかく口角をあげる。
次に現れた騎士は訓練用に矛先に布を巻いた槍を構えた騎士だ。
リーチの長い相手にヴォルクはどう対応するのか。
興奮したシュカはつい癖で望遠鏡を目にあてがってしまい、思いも寄らないものを見つけてしまった。