01 最高の結婚式
この結婚式の花嫁はあまりにも気の毒だ。
王都にそびえる大教会で行われる第二王子の結婚式。
その参加者たちは皆一様に花嫁を哀れんでいた。
それは新郎が魔物王子と呼ばれる粗暴な第二王子だからである。
聖歌の響く中、花嫁の兄が客席でおいおいと声をあげて泣いている。
その泣き声が悲壮感を一層高めた。
だがそんな人々の哀れみに反して、花嫁であるシュカは幸福の絶頂にいた。
何故なら、シュカは夫となる第二王子の大ファンだったからである。
(ヴォルク様。白い服を着てもかっこいい……! お兄様、泣いてくれてありがとう。わたしは幸せになります!)
シュカは細い顎を上げて凛としていた。
白い肌と花嫁衣装、艶のある黒髪がつくりだすモノクロの色彩の中で、彼女の赤い瞳と紅を塗った唇が輝いている。
その清く正しく美しくたたずむ姿が、「あの花嫁は強がっているのだ」と勘違いの哀れみを煽っていた。
シュカがヴォルクを一方的に知ることになったきっかけは、父と兄の勤め先である城内の温室にある薬の研究所に顔を出したときのことだ。
騎士団本部は城に隣接している。
温室に向かう道中で遠目に見た訓練場で、ヴォルクは野獣のような戦いぶりを見せつけていた。
どこの流派にも属さない野蛮な剣さばき。
時には足や剣を握っていない方の手を使い、頭突きすらして相手の小さな隙に体をねじ込む荒々しい戦いぶりに目を奪われた。
鈍い黄金色の髪から汗を飛ばし、ギラギラ輝くアイスブルーの瞳で相手の一瞬の隙を探し続ける獰猛な目つき。
一般的なご令嬢が野蛮だと忌み嫌うその姿に、シュカの心は打ちぬかれた。
あの方は誰なのかと兄であるクラースにたずねると、クラースは「魔物王子だよ」とさらりと教えてくれた。
魔物王子こと第二王子のヴォルクは嫌われ者だ。
理由は彼の立ち振る舞いもあるが、一番はその血と育ちだ。
ヴォルクは魔物がはびこる森の中に幼いころに捨てられ、狼の魔物に育てられた。
奇跡的に七歳まで成長することができた彼は通りがかった騎士に保護されたが、死んだと思われていたヴォルクの帰還が喜ばれることはなかった。
ヴォルクが位の低い妾の子であり、森で育った故に言葉すらまともに話すことができなかったからだ。
だがそんなことはシュカにとっては関係ない。
ヴォルクは強くてかっこいいのに嫌われていることを不満に思ったくらいだ。
望遠鏡で眺めては「かっこいい!」と密かに騒いでいた相手と結婚することになり、シュカは「やったー!」と大喜びをした。
妹想いのクラースも共に「やったね、シュカちゃん!」と両手をあげて喜んでくれた。
しかし世間から見れば、魔物王子に嫁ぐことになったオルクス伯爵令嬢であるシュカは悲劇のヒロインだ。
穏やかなオルクス伯爵夫妻に愛されて育った美しい娘は、先日両親を馬車の滑落事故で失った。
両親という後ろ盾を亡くしたシュカには次期公爵の婚約者がいたが、突然婚約破棄を言い渡され、直後にヴォルクとの結婚を命じられたのだ。
――王命によって。
つまり、これは紛れもない王家による厄介払い。どこからどう見ても押し付け婚。
クラースが妹の幸せに泣きむせぶ声が煽ったこともあり、客観的には悲劇的な状況が大教会の中にはできあがっていた。
(お兄様、もうあまり泣かないで。わたしも幸せで泣いちゃいそう)
さくらんぼ色の唇をわずかに歪めてシュカが涙をこらえていると、神父の長い話が終わりを迎える。
「新郎は花嫁を守り、生涯幸せにすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
素行が悪いという噂を体現するかのように、ヴォルクは神前で片足に重心をかけて面倒くさそうにうなずく。
「花嫁は夫を支え、生涯幸せにすることを誓いますか? 」
「っはい! 誓います!」
シュカの張り切った返事が教会に響く。
「無理をして気丈に振る舞っているのだな」という視線がシュカの背中に刺さったが、幸福度が振り切れているシュカは気が付かない。
指輪の交換で触れたヴォルクの手が思っていたよりも冷たいことに心臓が破裂しそうになる。
剣を握りすぎて硬くなった彼の手の感触をシュカは自身の柔らかな手に染みこませた。
「では、誓いのキスを」
(きた!? 誓いのキスだ!)
聖歌隊の歌が淡く結婚式場を包む。
遠くから見ていたヴォルクといきなりキスをするという現状に緊張して、心臓がまろび出そうだ。
ヴォルクが気だるげにシュカに向き直り、薄いヴェールを思いのほか慎重な手つきであげていく。
薄いヴェール越しで見ていたから耐えられたが、間近で直接見るヴォルクの透き通るような青い瞳と目が合うと眩暈がした。
(こんなかっこいい顔についている唇とわたしの唇をくっつけるの!? 死んじゃうかもしれない!)
大混乱のシュカは今にも逃げ出したい思いでいっぱいになったが、ぐっとこらえる。
足裏を地面に縫い付けるような思いでヴォルクを見つめ返した。
「我慢しろよ」
シュカにだけ聞こえるように低く囁く声。
その声が鼓膜を揺らした瞬間、背筋がゾクリと粟立った。
思わずぴくりと反応してしまったシュカは頬をりんごのように染め上げる。
ヴォルクはだるそうに目を伏せて、ゆっくり顔を近づけてくる。
羞恥と期待に耐えきれずに目を閉じると、唇にヴォルクの吐息がかかった。
「一瞬で終わる」
宣言通り、そのキスは一瞬で終わった。
触れるだけの儀式的なキス。
形だけの祝福の拍手が送られる中、シュカは顔を覆っていた。
こらえきれなかった涙がボロボロとこぼれてきてしまったからだ。
(ああああ、泣かないって決めてたのに! 決めてたのにぃ!)
ヴォルクの唇は少しカサついていて柔らかかった。
一秒もないようなキスの間、シュカは全神経を唇に集中させた。
これできっともう、シュカはヴォルクの唇の感触を生涯忘れることはないだろう。
(ヴォルク様とのキスの思い出だけで、あと千年は余裕で浮かれて生きていられるわ!)
幸せに号泣する花嫁。
妹の幸せに号泣する兄。
それを悲しみや悔しさの涙と勘違いして哀れむ周囲。
混沌とした結婚式の主役のひとりであるヴォルクは疲れた様子で横目にシュカを見ていた。