片倉の鎌倉ババアのこと
祖母の話をしよう。
祖母はパワフルな人だった。山間の農家に生まれたが、二十歳そこそこで平地の田んぼ持ちの農家に嫁いだ。二人生まれた子どもの世話は、身体が弱く家から離れられない姑に託して、自分は、ふらふらと遊び歩いてろくに家にも帰らない亭主を当てにせず、田畑の切り盛りに明け暮れた。
自動車の免許もとって、近所の農家と共同で購入した耕運機も、田植え機も、コンバインも、器用に扱ってみせた。
趣味は家庭菜園で野菜を作ること。米農家の趣味が家庭菜園だなんて、冗談みたいな話だろう。
でも、これは掛け値なしに、祖母の趣味だった。農協のチェックは欠かさない。新しい品種が出れば、種でも苗でもとにかく試してみたい。トマトやナスといった例年作る作物も欠かしたくない。何かのトラブルで枯れてしまっては困る、と、必ず、必要な量よりちょっと多く作付けをする。
その結果、沢山収穫できれば、宅配便で親戚に送り付け、ご近所に配りまくる。田んぼと違って、家庭菜園のほうは、損得は関係なしだ。
私は、祖母ほど園芸の才能がある人をいまだに見たことがない。
イギリスの言葉で、植物を育てる才能がある人を「緑の指を持っている」と表現する言い回しがあるという。まさに、祖母がそういう人である。
◇
祖母が自らに定めた仕事の制服は、姐さんかぶりの手ぬぐい、近所の『ファッションブティック』で買った、小花柄かストライプのコットンシャツの上に割烹着を掛けて、足元はモンペに地下足袋。
割烹着のポケットには、剪定ばさみ。腰に竹籠を括りつけ、収穫したものをそこに入れてこられるようにしている。竹籠の括り紐の背中のところに、草刈り鎌を差し込んで、さっさか早足で歩いて、畑に向かう。
農村では、なんの変哲もない光景である。
◇
私が中学生だった頃、都市の郊外に家を構えた叔父が、何という当てもなく、健康見舞いに祖母に電話を掛けてきた。市民農園の抽選に当たって、一年借りられることになった、という叔父の世間話を聞いて、いてもたってもいられなくなったのは、祖母の性分である。
「ちょっとワシが行って、面倒を見てやらにゃいかん」
趣味の市民農園なのだから、そんなに張り切るほどのこともないのだが、祖母はとにかく、こういう話を聞き逃せないたちなのだ。
電車の乗り継ぎが心配だから、と母にお目付けを頼まれた夏休み中の私がお供して、叔父宅に一泊する祖母の市民農園視察旅行が実現した。
平日だったので、叔父は会社で、叔母は夕食の支度があるという。
小学校低学年だった従妹が、家族で借りた<片倉市民農園>までの道のりを案内してくれた。祖母は、例の完全装備の制服で、さっさかさっさか、背中の少し曲がった老人にはありえない早足で歩く。農作業で鍛えているので、そこらの若者よりよほど足腰が強いのだ。
あまりの早足に、私と手を繋いだ幼い従妹は、道案内のはずが祖母に置いて行かれそうな始末だった。
「おばあちゃん、そっち。そこ右。ちがうちがう、戻ってきて!」
といった具合である。
叔父のささやかなレンタル農園は、都会でサラリーマン生活を選んだとは言え、農家で生まれ育っただけあって、周囲の畑とは比べ物にならないくらい立派に育っていた。
だが、祖母としては、言いたいことはいくつもあるようで、ぶつぶつと文句を言いながら、草をとったり、病葉や不要な側芽を搔いたりと、忙しく立ち働いた。私と従妹は、言いつけられた雑草の片づけや水やりをした後は、草むらでバッタやコオロギを追いかけたり、シロツメクサで花冠を作ったりと、楽しく遊んで、あっという間に夕暮れ時になってしまった。
祖母の時計は太陽である。腕時計などは、身にはつけているが、関係ない。
日が暮れたら、仕事は終わり。
それまで熱心に働いていたのに、スパッと切りかわって、「もう帰るよ」とさっさか荷物をまとめて、ずんずんと叔父の家に向かって歩き出してしまった。方向感覚が人並外れて鋭い祖母は、一度通った道を逆にたどるのは何でもないのだと言う。
あと少しで、二つ目の花冠が完成しそうだった従妹は少々ぐずった。
私は従妹をなだめて、手早く冠を完成させると、祖母を追いかけた。
祖母に追いついたのは、もう、叔父の家につながる路地を曲がるすぐ手前のところだった。
その後帰宅した叔父の晩酌時に、家庭菜園のあれやこれやを指南した祖母は、いつになく饒舌で、生き生きしていた。頼まれたお目付け役ながら、私も「ああ、連れてきてよかった」などと思ったものである。
◇
そのしばらく後、従妹から、手紙が届いた。
学校のことなど、たどたどしくも愛らしい筆跡で、あれこれ書いてある。
その中の一節が、わたしの目を引いた。
『おばあちゃんと、おねえちゃんが来てくれた日は、とってもたのしかったよ!
でもね、あのあと、こわい話をきいたんだ。
かたくらのうえんの近くって、こわいオバケがでるんだって!
わたしも、おねえちゃんも、おばあちゃんも、オバケに会わなくて本当によかったです。
すごくこわいオバケのうわさなんだ。となりのクラスのみっちゃんの、お兄ちゃんの友だちがみたんだって。だから、ぜったい本当。
かたくらのちかくだから、カマくらババアっていわれてるんだよ。
せんそうちゅうみたいなズボンをはいて、むかしばなしのおばあさんみたいな白い布をかぶっているからカオは見えないんだって。
それでね、ももたろうがこしにつけてたむかしのカゴをこしにつけて、カマをもっていて、ものすごいこうそくで歩いていく、おばあさんのオバケなんだって。
あまりにはやくて、歩いているのに、走ってもおいつけないんだって。
せんそうでなくなったひとのレイで、おばあさんのくちは耳までさけていて、そのカオを見た人は、カマをくらわされて、十日いないにしぬんだって!
こわすぎじゃない?』
従妹からのかわいらしい手紙は、いつも祖母に読んであげるのが習慣だった。祖母が口頭で私に伝える従妹への返事を書き取って、自分で書いた手紙に添えて送るのだ。
だが、このくだりは、見なかったことにしよう、と、中学生ながらに私は決心した。祖母が死ぬまで、私一人の胸にしまっておくつもりだった秘密である。
そんな決意は一週間しかもたず、祖母が畑に出た留守を狙って母に手紙を見せ、二人で笑い転げたことも、また、秘密の話だ。