状態異常の亥城さん 1―3
あーあ、先生来ちゃった。せっかくいいタイミングだったのに。今から教室を出ると、先生に声をかけられそうだ。あの先生、声大きいから気付かれたら変に目立ってしまうかもしれない。
「はい、いいかー。SHR始めるぞ。えーっと、今日の欠席は――」
結局、教室から出られないまま、SHRが始まった。
私の状態異常は相手との距離によって効果が強まったり弱まったりする。
常日頃から夜舞くんに近づかないように、登校時間を遅らしたり、休み時間トイレに逃げ込んだりしているのもそのためだ。とりあえず今は少しでも距離をとって状態異常を和らげよう。
夜舞くんに気付かれないように静かにゆっくり椅子を動かし距離をとる。こういうとき一番後ろの席で良かったと感じる。
よし、これくらいでいいかな。
一応誰にも気付かれることなく移動できた。多分10センチも移動していないと思うけどこれ以上動かすとクラスメイトや先生に不自然に思われてしまうかもしれない。
これで少しは弱まってくれたかな?
淡い期待を胸に抱きながら再び夜舞くんの方を見る。
……変化なしかな
相変わらず息は荒いし、耳も真っ赤だ。やっぱり、10センチ離れただけじゃあんまり意味はないみたい。夜舞くんには悪いけど、このまま我慢してもらうしかない。
そう判断した私は、先生の話を聞き流しながら1限目の準備に取りかかった。
「暑……」
諦めかけたその時、ボソッとだるそうな独り言が聞こえた。
再び隣を見ると夜舞くんが暑そうに襟元をバタバタしている。
……ダメだ。このまま何もしないでいるのは耐えられない。元はといえば私が原因なんだ。少しでも楽にしてあげないと。あっ、そうだ。
これで少しはマシになるかもと期待しつつ、ノートの間に挟んであった下敷きを取り出す。
よし、これでパタパタ扇げばちょっとくらいは涼しくなりそう。でも、直接夜舞くんにやるのは恥ずかしいから、自分自身に扇いでるふりをしつつ風を送ろう。
風が当たるように調節しながら扇いでいく。心なしか夜舞くんも涼しそうにしている気がする。きっとこの作戦は有効だったと思う。でも、下敷きを動かす手はしばらくすると止まってしまった。
……どうしよう。ちょっと寒くなってきた。
私は暑くないし風を塞ぐといけないから、できるだけ当たらないようにしてたけど、扇ぐたびに微妙に風が来る。今日だってあまり気温は高くないし、夜舞くんが窓を開けているからたまに外からの風が吹き込んでくる。
いい作戦だと思ったけどな。
何か別の方法で涼しくしないと……えっと、クーラーつけたり、アイス食べたり、プール入ったり、うちわで仰いだりってそれはさっきやったか。
いくつか思いついたけど、全部今すぐにはできないものばかりだ。
他にはこう考えると思いつかない。ちょっと考え方変えよう。夏の風物詩的な物を考えてそこから連想させよう。
えっと、お祭り、スイカ、花火。あとは朝顔の観察に肝試し――
あ、肝試し。心霊系はありかもしれない。一応、私の学校は携帯の持ち込みは許可されている。いい感じのホラー画像調べて、夜舞くんに送ってあげればいいんだ。今はSHRだしギリギリ使えるはず。
先生に気づかれないようにスマホを取り出し、机の下で慎重に調べる。
校則ではスマホは持ってきてはいいけど、授業中には使ってはいけないことになっている。普段は授業が始まる前に電源を切っているし、お昼休みの時間も電源をつけることはない。
そのせいでスマホを操作する手が異常に震える。うっかり手が滑って床に落としてしまうなんてこともあるかもしれない。そうなったら、この作戦はダメになるし、私のスマホは放課後まで職員室で過ごすことになる。
落ち着け、私。
落とさないように両手でガッチリスマホを持ちながら『ホラー画像』で検索をかける。
「……ふぅ」
私はすぐに画面を暗くし、息を吐きながら目線を先生へと移した。
……やっぱり先先生が話をしている時はスマホ触っちゃいけないよね。失礼だし、もしかしたら大ことな話をしているかもしれないし。
別に出てきた画像が怖すぎて見るのをやめたわけじゃない。今までお化け屋敷や、ホラー映画は避けて生きてきた。だからといって、こういうのが怖いとかじゃない。ただ、なんとなく別の方法の方がいいと思っただけだ。それに夜舞くんと連絡を取り合う仲じゃないし、突然ホラー画像が送られてこられたら反応に困ると思うし。
それに、夜舞くんがスマホ触っていて先生に見つかりでもしたら、申し訳ない。だから、この方法は効果はあるかも知れないけどリスクが大きい。やらなくて正解だった。……でも、あの画像ちょっとだけびっくりした。今夜、寝るときに思い出したら嫌だな……じゃなくて! そんなことより早く、別の方法考えないと。夜舞くんの状態異常はまだ続いているんだから。
あっ、そうだ! ボディシートならどうかな?
去年の夏に学校に持ってきていたことを思い出した。慌てて鞄を膝の上に置き中を探す。結局あまり使っていなかった気がするので、まだたくさん余っているはずだ。
確かここに……あれ? ない。去年使っていたのに。そういえば、しばらく使っていないからって家に置いてるんだっけ? はぁ、なんで必要なときに限って持ってきてないんだろ。私って本当ついてない。
あ、ウエットティッシュあった。でも、これだとあんまり涼しくなりそうにない。それに突然これを渡されても意味が分からないよね。
ため息をつきながら鞄を閉じて元の位置に戻した。そして別の方法を探すため再び目を閉じ、考え始めた。
ダメだ。しばらく考えたけどもう何も思いつかない。一つ思いついたとすれば、夜舞くんに水を浴びせることだけど。わざわざバケツに水をくんでくるわけにはいかないし。一応、鞄の中に水筒は入っているから、中のお茶をかけたらせたら涼しくはなる。でも、それ以上に意味が分からなくて怖いと思う。
朝から頭使いすぎて疲れてきた。今回はもう諦めようかな。私頑張ったよね。
カシャン!
「!」
思考を止めようとしたその時、近くで何か落ちる音がした。それほど大きな音ではなかったけど、無駄に驚いてしまい肩がビクッとなる。誰かに恥ずかしいところを見られていないかチラッと回りを見る。しかし、みんな物音がした方向を軽く見るだけで私の行動など見ていないようだった。
周囲の確認を終えた私も何だろうと床を見る。するとコロコロとペンが転がっていくのが見えた。
なんだ。ただのペンか。それにしてもペンが落ちたくらいで驚きすぎてしまった。もしかしてホラー画像の後遺症が残っているのかな。
少しホラー画像のことを考えると、一瞬しか見ていないはずの画像が頭の中に鮮明に浮かび上がる。夜舞くんのために調べたはずなのにその効果は私に発動した。まるで風邪でも引いたみたいに背筋が寒くなり鳥肌がたつ。考えるのをやめようとしても頭の中のホラー画像は簡単に消すことができない。
あー! ホラー画像のこと思い出すな! 今まで忘れてたのに。思い出してしまったら、次の休み時間トイレに逃げ込めなくなる! あれはペンを落としただけ! ただの音!
気を紛らわすため、私は筆箱からペンを取り出してコンコンと机をたたき出した。特に意味はないけど、こうすれば幽霊がよってこない気がしたからだ。
トントン、タンタン、カンカン
周りに迷惑をかけないように小さめの音で叩いていく。幽霊が近づかないかは分からないが、熱中していきホラー画像が遠ざかっていく。
すごい叩く場所や持ち方によって意外と音が違う。これは意外と楽しいかも。
そういえば『音』で思い出したけど、昔おばあちゃんに風鈴の音を聞くと涼しくなるって聞いた気がする。もちろん風鈴なんて持っていないけど、どこか叩いていたら似た音は出せるかもしれない。
ちょっとした好奇心と可能性を感じた私は机の脚を叩き始めた。ペンと金属製の脚がぶつかり高い音が鳴る。
やった。いい感じの音が鳴った。でも、風鈴の音とは違う様な。もう少し高いかな。
叩く位置やペンの持ち方を変えて叩いていく。
うーん。何か違う。もう少しこう違った感じの。
「……う。おーい」
持ち方かな? もっと軽く持つ? それとも力加減?
「おい! 亥城!」
「は、はい!」
先生の声に気付き顔をあげる。すると先生だけでなく周りのクラスメイトまでこっちを見ていた。
嘘、もしかして音大きかった? 一応注意していたつもりだけど。完全に自分の世界に入っていて気がつかなかった。
「亥城どうした? 大丈夫か?」
「あ、えっと……な、何でもありません」
「……そうか。で、さっきの続きだが」
先生が話を戻すと周りのクラスメイトも前を向き始めた。
あー、やっちゃった。絶対夜舞くんにも変な子だと思われた。あ、けど別に思われてもいいんだった。
でも、これ以上やると私への精神的ダメージもそうだけど、他人への迷惑もかかってしまう。もう大人しくしておこう。変に作戦考えずじっとしていた方が賢いかもしれない。