状態異常の亥城さん 5―2
「別に何もしてませんよ」
その言葉で俺の中にあった罪悪感が嘘のように消えていった。何かやらかしてしまったと思ったときは生きた心地がしなかったけど、俺の勘違いで本当に良かった。
偶然始まったデートイベント。映画に関しては緊張や自身への疑いで楽しめなかったけど、勝負はここからだ。これから完璧なデートをして、良い流れを作って、告白する。根拠はないけど上手く行く気がする。とにかく、まずは次に行く場所を調べ――
スマホを取り出そうとしたその時、とある事が気になった。そして、その疑問はためらいもなく口から出た。
「あれ? だっだら、どうして手首掴んでいるの?」
そう尋ねると亥城さんは数秒間固まり、それからゆっくりとうつむいた。
……何だろう、この反応。もしかして、俺やった?
表情を見ようとしても長い前髪のせいで顔が見えない。だが、これ以上聞くと良くない方向に物事が進みそうな気がした。
やっぱり、上映中に何かあったんだ。でも、俺に気を使って言わないでくれているんだ。何があったかすごく気になるけど、これ以上は聞かない方が良いだろう。
「ま、まあいいや。とりあえず、ここ出ようか」
「……はい」
あれから1時間。
手首を掴まれたまま映画館の近くのお店を色々回った。凌平と圭吾と鉢合わせしないか心配だったが2人とも入れ違いで別のスクリーンに入ったみたいだった。
天気も良く、俺たちをからかう人たちもいない。一緒に映画を見て、物理的にも精神的にも距離が縮まった後のデート。そんなの楽しいに決まっている。
そう思っていた。
結論から言うとと全然ダメだった。
小腹も空いていたし、映画の感想でも話そうと急遽スマホで調べた良い感じのカフェに行ったが、人がいっぱいで入れなかった。その後も良さそうなカフェをいくつか行ったが、日曜日ということもありどこもいっぱいだった。
それに、俺と亥城さんでは歩くスピードが違うから意識しないと亥城さんを困らせてしまう。かといって歩くスピードに気を取られていると会話がおろそかになる。ただでさえ緊張して何話したら良いか分からないのに、歩くスピードを気にかけるなんて今の俺にそんな高等な事できるわけがなかった。結局、ほぼ無言状態で1時間歩き回っただけだった。不安になって亥城さんの様子を何度も確認したが、ずっと何かを考えているみたいで、あまり楽しんでいない様に見えた。
せっかく手を掴まれているのに、これじゃ意味がない。こんな事になるんだったら、凌平に女子との会話の内容とか色々聞いておくべきだった。
そして何の進展もなく1時間無駄に歩き回った俺たちは今公園のベンチに座っている。だが、お互い特に何も話すことなく、じっと目の前の景色を見ている。
この公園は緑が多く落ち着いた雰囲気で結構人気の公園だ。今日は天気もよく心地よい気温で思わず昼寝をしてしまいそうなくらい気持ちが良い。遠くの方に運動している人や元気に遊び回っている子供たちが見えるがこの距離なら人見知りの亥城さんでも大丈夫だろう。
諦めて帰ろうとした時に、亥城さんの方から「ここです! ここで少し休みましょう!」と言った場所だ。確かに亥城さんには公園みたいな落ち着いた場所が似合っているが、よりによって公園か……1番会話技術が必要な場所じゃん。歩くスピードとかは気にしなくて良くなったけど、今の俺にいけるかな。
心を落ち着けるために眼をつぶり深呼吸をする。
……よし。さっきまではグダグダだったが、ここから頑張れば告白する流れが作れるかも。えっと、まずはさっきの映画の話かな。
俺は亥城さんの方を見ず、真っ直ぐ前を向いて話し出した。
「あのさ、映画どうだった?」
「えっと……楽しかったです」
「そっか……最後のシーンとか良かったよね」
「……あ、はい……すごく感動しました」
よし、一応会話はできている。自分から話を振っておきながらだけど、正直上映中ほとんど自分を責めていて、内容をあまり覚えていない。ここで調子にのると映画を真剣に見ていなかったことがバレる気がする。ボロを出さないためにも早めに別の話題に移るか。えっと別の話題、別の話題……ヤバい、とりあえず何か話さないと。
「……お腹空いていない?」
「いえ、あんまり」
「そうなんだ。俺も、別に空いていない」
「……そうですか」
ヤバい、会話が下手すぎる。もう、会話終了したし。というか、自分もお腹空いてないなら何で聞いた? もうちょっと考えて話せよ。良い流れを作ろうと思ったのに、流れを止めてどうする。
ヤバい。こうして頭の中で自分を責めている間にも、時間はどんどん進んでいく。早く次の話題振らないと。ある程度話が弾んで、それなりに面白くて俺の好感度が上がりそうな話題。何か、何かないか……あー! 考えれば考えるほど話題が出てこない。
ここに来たときはちょうど良いと思っていた気温も、焦りのせいか少し暑く感じるようになってきた。くそっ、もうこんな機会ないのに。
あ、そうだ。凌平は女子と話するとき趣味の話をしていた気がする。これなら相手の事を知れるし、共通の趣味が見つかれば自然と話が弾みそうだ。
そんな期待と希望を抱きながら、今度は亥城さんの方を見て話し出した。
「亥城さんって――」
「私、夜舞くんの事嫌いです」
え?
思わぬ言葉に全身が固まった。まるで誰かに一時停止ボタンを押されたみたいに、体も口も思考回路すら完全に止まってしまった。しばらくして亥城さんの言葉の意味を理解した時には、必死に考えた話題など忘れていた。
表情を確認しようとするが、うつむいた亥城さんの顔は長い前髪で隠されていて表情が読めない。でも、隠しきれなかった小さな唇はかすかに震えている。そんな気がした。