状態異常の亥城さん 4―3
え、何で?! 会話が途切れたから? それとも私との会話があまりにもつまらなかったから? とりあえず、起こさないと! 夜舞くんもずっと見るの楽しみにしていたのに。
揺さぶり起こそうと夜舞くんの肩に手を伸ばす。しかし触れる直前、少し前に起こった状態異常『麻痺』を思い出した。あの状態異常は近づくと体が痺れ、触れてしまうとその部分が動かなくなる。この時点で状態異常が発動しているか分からない。けど、下手に触れない方が良いかもしれない。
声をかけて起こそう思った私は少し身を乗り出した。起こすだけなのに近くで見る夜舞くんの寝顔に少しドキッとしてしまう。
「……夜舞くん」
周りの人の迷惑にならないように、耳元でささやく。でも、起きる様子は一切ない。
どうしよ。早くしないと映画が始まっちゃう。恥ずかしいけど、もう少し近づこう。
夜舞くんに触れないくらいの距離まで顔を近づける。さっきよりも距離が近づいたことにより色々意識しちゃって心臓の鼓動が速くなる。
「夜舞くん。夜舞くん。起きてください」
さっきより大きめの声でささやくも起きる様子は一切ない。近くに他のお客さんはいないけれど、これ以上声を出すのは気が引ける。
声で起こすことを諦めた私は、身を乗り出すのをやめた。スクリーンには現在公開中や公開予定の映画が次から次へと流れていく。でも、今の私は別の事で頭がいっぱいで内容が全然頭に入ってこない。
楽しみにしていた映画の直前で寝るなんてやっぱり変だ。しかも結構近くで声をかけたのに反応すらないのも気になる。多分だけど、すでに状態異常は発動している。症状からしてこの状態異常に名前を付けるなら『睡眠』といったところかな。暗くてよく分からないけど他に症状がないなら、このまま寝かせてあげても良いかもしれない。でも、楽しみにしていた映画を寝ていて全然見れなかったら夜舞くんショックだろうな。でもでも、声かけても起きなかったし、私が触れることで状態が悪化したら嫌だし。
散々迷った結果、慎重に手を伸ばし夜舞くんの肩を触れるか触れないか分からないくらいの力で叩いた。すると、肩を叩かれた夜舞くんはゆっくりと目を開いた。
良かった。いろんな意味で緊張して、まだ手が震えたままだ。でも目を覚ましてくれて本当に良かった。正直賭けだったけど今回の状態異常は触れても大丈夫みたい。あとは、体に異変がなければ良いんだけど。
「あ、あの大丈夫ですか? 変なところないですか?」
目を覚ました夜舞くんに、すかさず体の異変がないか尋ねる。もちろん周りに迷惑をかけないようにささやき声で。
「え? う、うん。大丈夫だけど……俺、もしかして寝てた?」
「はい。でも、まだ映画始まっていないので安心してください」
「そうなんだ。何だか急に眠くなって――」
それ多分私のせいです、とは言えなかった。けれど、とりあえず夜舞くんに何もなくて安心した。今回の状態異常は比較的弱くて助かった。上映前なのにいろいろあり過ぎて疲れた。でも、これで何も気にせず純粋に映画を楽しめる。にしても、安心したら喉が渇いちゃった。
スクリーンをぼーっと眺めながら、すっとジュースに手を伸ばす。しかし、伸ばした手は空気を掴むだけだった。
あれ?
思わずジュースがあった場所を見るがそこにジュースはなくポッポコーンが置いてあるだけだった。念のため右側の肘掛けも見てみる。しかし、そこにもジュースはない。
おかしいな。ここに来てから少し飲んだはずなのに。もしかして床にこぼした?
そう思いながら足下を確認しようとした。すると次の瞬間、視界の端に信じられない光景を捉えた。
さっき起こしたばかりの夜舞くんが寝ていた。しかも、私のジュースを持ちながら。
嘘でしょ?! 状態異常は解除されたはずじゃ?! それに私のジュースが――
ババババッ!
「!」
突然の拳銃の音に肩がビクッとなる。スクリーンに目を移すとアクション映画の予告がされていた。アクション映画のあのハラハラする展開は好きだけど、いきなり大きな音がするのは苦手だ。もしも今ジュースを持っていたら、びっくりしてこぼしていたかも知れない。
再び夜舞くんの方を見ると、さっきと同じように眠ったまま私のジュースをしっかり持っていた。
さっきの音すごく大きかったけど、あれで起きないんだ。やっぱり、これは普通に寝ているんじゃなくて『睡眠』の状態異常が発動しているんだ。さっき、状態異常中の夜舞くんを起こせたからもう終わりだと思っていたけど、そう簡単にはいかないみたい。多分、私が近くにいる限り『睡眠』は発動し続けるんだろう。
どうすれば拳銃の音でも起こせない状態異常から夜舞くんを救えるんだろう。私が耳元でささやいた時もほとんど意味なかったし。あれ? でも肩を叩いたときはすぐに起きたよね。緊張しすぎてそんなに力は入れてなかったはずなのに。まさか――
とある希望を胸に抱きながら寝ている夜舞くんに手を伸ばす。そして、さっきみたいに触れるか触れないか分からないくらいの力で肩に触れる。すると
「え? もしかして俺また寝てた?」
あれだけの爆音でも起きなかった夜舞くんが嘘みたいにすんなり起きた。まさか『麻痺』とは逆で触れるだけで解除できるなんて。これが『睡眠』の状態異常か。でもこれって、毎回夜舞くんの肩をトントンしないと解除できないのかな?
夜舞くんを起こしてから寝ているのに気がつくのに約1分。この映画は2時間だから単純計算で120回か……こうなったのは私のせいだし、私は120回起こしてもいいけど、120回起こされる夜舞くんは嫌じゃないかな?
そういえば、さっき本屋さんでこの映画の小説が売られていたのを見た気がする。今回は諦めてもらって、小説をプレゼントすれば……でも、それじゃ夜舞くんがかわいそうだ。一体どうしたら――
「あれ? これは?」
手に持っていたジュースの存在に気付き私に聞いてくる。そういえば、いろいろ考えすぎてジュースのことをすっかり忘れていた。
「あ……そ、それ、私のジュースです」
「ご、ごめん。俺右利きだから、右側にあるのを自分のと思っちゃって」
「き、気にしないでください。確かにこれだと間違っちゃいますよね」
ジュースを受け取った私はポップコーントレイを右側の肘掛けに移動させた。そしてしばらく受け取ったジュースのストローをじっと見ていた。
……夜舞くん、このジュース飲んだのかな。
そんな疑問が頭の中に浮かび上がる。
一度起きてからもう一度寝るまでの夜舞くんの行動を見ていなかった。気がついたらジュースがなくなっていて、気がついたら寝ていた。だから、ジュースを飲んで寝たのか、ジュースを飲む前に寝たのか分からない。でも、もし飲んでいたら。つまりそれは間接キ――いや今はそんな事どうでも良くて!……いや、どうでも良くはないけど……あー、もう! しっかりしろ私!
顔を真っ赤にした私は両手で自分の頬をギュッと押さえる。
今は状態異常が発動している。症状は軽いけど問題はどうやって夜舞くんを起こし続けるか。夜舞くんが寝るたびに肩をトントンすれば確実に起こすことはできる。でも、120回肩をトントンするのはちょっと……こうしている間にも時間はどんどん過ぎていくのに。早く結論を出さないと。
ふと、隣を見ると夜舞くんは気持ちよさそうに寝ていた。しかも、肘掛けに右手を乗せたまま。そんな姿を何気なく見ていると私の中にある考えが浮かんだ。
このまま手繋げば解除できるじゃん。
今回の状態異常は触れることで解除でき、離すと再び発動する。だったら触れ続ければ状態異常は発動することはない。つまり、映画が終わるまで夜舞くんと手を繋いでいれば状態異常に困ることなく映画を見ることができる。
そう思った私は夜舞くんの右手に手を伸ばした。しかし、触れる直前で私の手が止まった。
私みたいなのが手を繋いでもいいのかな? 夜舞くんも私なんかじゃなくて、もっとかわいい女の子にしてもらった方がうれしいに決まっている。あ、でも前に夜舞くん私のこと好きって――あー、今のなし! 早くしないと映画が始まっちゃうって時に何でそんな事思い出すの!
余計な事を思い出してしまったせいで、手を引っ込めたくなる衝動にかられる。さっきまではそんな事なかったのに心臓の鼓動が激しくなる。
あと数センチなのに。頑張れ私。あと少し手を伸ばすだけで夜舞くんの状態異常は解除できるんだから。そう、言うなればこれは医療行為! 医療行為だから!
恥ずかしがる自分に必死に言い聞かせ手を伸ばす。使命感と羞恥心ぶつかり合いながらも手は夜舞くんの右手へと近いていく。
よし、あともうちょっと……
『俺、亥城さんのこと好きなんだ』
しかし、寸前のところであの日の事が鮮明にフラッシュバックし、伸ばした手は夜舞くんの右手首に着地した。