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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

見知らぬ場所で女の子のペットになった話

作者: 喜多逢太郎

 目をうっすらと開けると、そこは見慣れぬ白い部屋だった。

 狭くて四角に区切られた世界はまるで箱庭のよう。家具どころかゴミひとつ落ちていないこの部屋は人工的な冷たさがあり、酷く居心地の悪いものだ。

 オレは怠い身体を緩慢に動かし立ち上がろうとするも、上手く足に力が入らない。

 どうしたことかと視線を下に向ければ、貧相な脚がそこにあった。

 これは誰の脚だろうかなどと、どこか他人事に思いながらも、頭の片隅には事実を受け入れがたく拒絶している自分がいる。オレの脚はこれほどやせ細っていただろうか。記憶の中の自分はもっと健康的だったはずだ。


「ァ……」


 まさか声もうまく出せないのか。掠れた音は空気が吐き出されるときの喉の震えと合わさっても微かなものだ。

 思わず自分の喉を触ってしまう。カサカサと乾燥して肌触りが悪い。そのまま手を見ると骨と皮だけと見紛うほど薄く細い指に震えが止まらなくなる。

 徐々に己の状態がわかってきて、焦りと恐怖が心の中で芽生え始める。

 一体俺の身に何が起こったというのか。そのことを教えてくれる者は誰もいなかった。


 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 この部屋には時計はおろか、窓もないため昼夜の判断すら出来ない。

 目覚めたときと同じ姿勢のまま、ただじっと何か変化が起こるのを待ち続けるだけだった。

 何もできない。歩き回れるほど脚は動かせず、同じように腕の力もアテにはできない。体をごろんと転がしながらなら移動はできそうだったが、それをやるメリットがない。

 なぜなら、ここには部屋の外に通じるドアがないからだ。

 俺はどのようにして、ここへ連れてこられたのだろうか。もしかして、ここからでは気づけないだけで、隣りへの抜け道や継ぎ目でもあるのかもしれない。

 どちらにせよ、下手に動いて体力を無駄にするのは避けたかった。


 人間、こんな時はどうしても最悪の考えをしてしまうものだ。

 痛い目に合わされているわけではないが、衰弱した体をそのまま放置されてはいずれ力尽きてしまう。

 もし、このまま誰も助けに来なければ、オレは間違いなく死ぬ。

 それは、とても嫌だ。まだ、何も成し遂げていないし、やりたいことも沢山あった。こんなところで人生を終えたくはない。誰か助けてくれ、オレを救い出してくれ。

 助けてくれるのならば、傅いてどんな礼でも尽くそう。


 そう思ったときだった。

 何もないと思われた壁に隙間ができ、それがドアのように開いたのだ。

 助かった。

 しかし、そう思えたのは最初だけで、現れた女に声を失う。

 およそ堅気の人間とは思えない目つきの悪さ。隈がひどく、不健康さが際立つ。何か気に食わないものがあるかのような怨嗟に満ちた瞳は静かに強い光を放っている。

 大きめの黒のパーカーを着て体型は分からないが、顔の様子からおそらく痩せぎすであることは想像に難くない。今のオレに負けず劣らずの貧相さだが、彼女の右手に持つモノがオレをさらに緊張させた。

 鈍く光る刃物。あろうことか彼女は一般的に刀と呼ばれるものを携えていたのだ。

 これが包丁ならまだ理解はできただろう。しかし、現代ではなかなかお目にかかれない武器の登場で、俺の中の常識はどこか飛んでしまったのか。そのあまりの事態に何故か口を笑みの形に持っていってしまう。


「何が可笑しいの?」


 彼女の声は予想よりも可愛らしかった。そのことでますますオレは口を広げる。音こそ出ていないが、それは笑い声だったに違いない。

 それが彼女の機嫌を損ねてしまったのは語るまでもない。

 何も言わずに彼女は腕を上げ、刃の切っ先をオレの突き出された右腕に押し当て、そのままズブリと突き刺した。


「――ッ」


 部屋の中を空気が甲高く漏れ出る音が響く。

 腕が焼けるように熱い。今までに味わったことのない刺激に体が激しく震え、患部を守ろうと自分の体を丸めようとする。

 だが、彼女は刀を抜くことはなく、そのまま乱暴に上下に動かす。

 そのせいで、刺された傷口が乱雑に広げられ、オレの体から真っ赤な液体が溢れ出てきた。


「気持ちいい?」


 そんなわけあるか。この女はキチガイか。どこの世界にこんな目に遭わされて喜ぶヤツがいるというのか。

 オレはせめてもの反抗の意志を示すべく女を睨む。

 女と視線が絡み合う。

 ここで逸らしたら、どうなることか。恐怖もあったが、麻痺した感覚がそれを上塗りしオレを強気にさせた。


「ふぅん、その目。気に食わないね」


 そう言うが早いか、女は刀をすっと抜き軽快な音を立て刃を上にした瞬間、オレの視界が暗転した。

 何が起こったかすぐにはわからなかった。

 しかし、鋭い痛みが右目を襲い、自分のものとは思えないほどの獣じみた咆哮が口から止めどなく出てくる。喉が潰れてしまいそうなほど首に力が入り、体をのたうち回らす。

 この女、何の躊躇いもなくオレの右目を切りやがった。


「どう? 今度は満足できた? あなたのためにヤってあげてるんだから感謝してよね」


 このクソ女にありったけの罵声を浴びせたいのに、口から出てくるのは荒い呼吸の音のみ。

 オレの苦痛など素知らぬ感じで涼しい顔をしている女を滅茶苦茶にしてやりたい欲求が沸々と湧き起っているが、腕を刺され、目を切られ、体も満足に動かせない状態では芋虫のように蠢くことしか出来ない。


「コロセ……」


 搾り出すように出した言葉は、自分でも驚く程あっさりと諦めたものだった。

 女に対する憎悪はある。しかし、このままいたぶられて苦しみながら死ぬよりかは、今すぐ楽になりたい気持ちが強くなってきたのだ。

 この女の目的など知らない。どうせロクなものではないだろうし、ここまで危害を加えて無事に解放してくれるわけなどないのは自明の理だ。

 だから、さっさとこの意味のわからない悪夢を終わらせてくれ。


「殺せって……何言っているの? もう死んでいるのに」


「は?」


 思わず阿呆な声が出てしまった。

 今この女はなんと言った。もう死んでいる。誰が。まさかオレか。わからない。この女の存在、目的、発言全てが理解不能だ。

 既に死んでいるのだとしたら、ここにこうして生きているオレは一体何だというのか。この真っ赤な血を流しているのが生きている証ではないのか。


「もしかして記憶が飛んでいるのかな。でも、そんなこと些細なことだよね。今、こうして輪廻の狭間で私と出逢ってしまった時点でどうしようもないし。あなたがなんと言おうと死んでしまった事実は変えられないもの」


 何を言っている。オレは死んでなどいない。オレはつい昨日まで――昨日。まて、昨日何をしていた。

 ここにきて、オレはこの部屋に入れられる前の最後の記憶を思い出そうと、痛む体を我慢して必死に頭を働かす。

 オレは、オレの名前は。年齢は。どこに住んで、どんな人間だった。思考の迷路に意識が飛びそうになる。それは決して今だに体から流れ出ている血のせいだけではなかった。


「無理なんじゃないかな。ここにきた人は皆、自分が何者かさえ忘れてしまっているもの。希に、思い入れの強い名前は忘れずに覚えている人がいるけど……あなたはそういうのなさそう」


 女の声が遠くに聞こえる。

 どれだけ自分に関わることを思い出そうとしても何も出てこない。自分が自分でない気がして気がふれそうになる。

 肉体と精神。そのどちらも深刻な傷を負ってしまい、オレは絶望の淵に立つ。


「何もそこまで深刻にならなくてもいいのに。どうせこの先、過去の記憶なんて無駄になるのに」


 この先。死んでしまったというのなら先などないだろうに。

 オレは真っ白な頭で女を見る。

 右目を切られ、距離感がうまくつかめない。貧血のようなダルさに意識が朦朧とする。


「ちょうど犬が欲しかったの。あなたのこれからの命は私のペットとして費やしなさい」


 そんなこと勘弁だ。誰がペットなんてなるものか。

 しかし、疲れきった体は安息を求めていた。絶対に嫌なことでも、女のペットとして安らかな時間を提供されるというのならば、喜んでこの身を捧げよう。

 そう心の中で誓った瞬間、オレの意識は完全な闇に堕ちた。


 ✽   ✽   ✽


「本当にその男で良かったの?」


 艶やかな長い黒髪が特徴の陰気な女が部屋から出てきた少女に声をかける。

 体のラインが出る艶やかな衣装に身を包み、悩ましげに形の良い顎に手を持っていく姿は見るものを虜にさせる色香があった。


「ええ、犬ならばそれほど大変な仕事ではないでしょうし、十分頑張ってくれるはず」


「そうではなくて。もっといい男がいたじゃない。あんな貧相な男よりも、ミヤコが選んだような屈強な男の方が役に立つのではなくて?」


 無機質な廊下を歩きながら、女は少女に疑問を投げかける。

 窓もなく清潔な白で統一されたこの施設は、ある種の病的な不快感を与える。その中を質は違えど漆黒の衣装を纏っている二人は異物感が物凄い。

 他に人の気配はなく、出口の見えない道をひたすらに歩いていく。


「そんなにダメですか? なかなか良いチョイスをしたつもりなんですけど」


「ダメってことはないわ。ただ、あなたはもっとこう、合理性を重んじる性格だと思ったから。いくら転生後の能力が生前の性質に依らないからって、あそこまで軟弱だと心配じゃない」


「そんなもんですかね。確かに持ち越しをする個体も偶にいますけど、私は自分の直感を信じます」


「……そう。貴女が満足しているのなら私があれこれ言うのは無粋ね。ごめんなさい」


「いいえ、気にしていません」


 少女の頭の中では既に今後の生活が思い描かれていた。

 ようやく手に入ったペット。今まで独りぼっちだった生活が終わりを迎えようとしている。

 彼と一体何をしようか。早速狩りに出かけてみるのもいいかもしれない。それで彼の適性も測れるし一石二鳥だ。

 期待に胸が膨らみ、思わず笑みをこぼす。


「よほど気に入ったのね、貴女がそんな風に笑うなんて。ずっとそうしていなさいな、貴女ただでさえ目つきが鋭いのに無愛想なんだもの。せっかくの素敵な笑顔がもったいないわ」


「む、別に愛想を悪くしているつもりはありませんが」


 隈の酷いやや三白眼の瞳が抗議の意思を背の高い女に向ける。

 背のあまり高くない少女と比べると、この施設の管理の職に就いている妖艶な女は余りにも人間離れしている。

 ただでさえ死人を取り扱う施設ということで畏怖の感情を持たれているにも関わらず、そこの主である彼女の異形さは最早恐怖の対象となっている。

 ここは奴隷の見本市だ、とはかつてここを訪れたことのある男の言葉だ。

 老若男女の死人が女の下に集まり、次なる人生を決められる。その魂はここではないどこかの世界のものも含まれていると言われているが、ここにたどり着いたモノのほとんどは記憶の欠落があるため定かではない。

 そして、客に気に入られた魂は女によって新たな生活を営めるように肉体を授けられる。ある屈強な男は勇猛なドラゴンに、聡明な賢者は主人を導く賢鳥へと。しかし、中には清らかな心を弄ぶために再び見目麗しい女に転生させ奴隷として買い上げる客もいる。

 それらを一手に引き受けている女は周囲から『魔女』と呼ばれ、闇に生きるものたちの支えとなっていた。


「それじゃ、七日後にまた来てちょうだい。その時にはあの男を貴女のペットとして引き渡せるわ」


「はい、お願いします」


 二人は何の飾りつけもない簡素な扉の前にたどり着いていた。廊下を歩いているときにはその存在などなかったように感じられたが、そこは魔女と呼ばれている女の領域。不思議なことが起こっても驚きはない。


「お代はそのときで構わないわ。もちろん現金で。最近は踏み倒そうとする輩が多くて困るのよ。まぁ、そのときは体で払ってもらうのだけど」


 背筋を震わせるほどの凄絶な笑みをしてみせる魔女だが、少女は何の反応も見せずに冷ややかに見ているだけだった。

 少女からしてみれば、いや、この世界に住んでいるモノからしてみれば、その程度のことは日常茶飯事なのだから、体で払えるのならば安いものだとしか思っていない。


「反応が薄いわねぇ……流石に貴女のような名高い狩人さんからしてみれば大したことではないのでしょうけど。この間の男たちにも見習わせたいわ」


 魔女は地下で肉塊となれ果てた売春宿に女を斡旋している商人の男を僅かながら哀れんだ。

 少しでもこの少女のように生きていくうえで必要な礼儀を知っていれば、まだまだ美味しい蜜を啜れただろうに。所詮は目先のことしか考えられない下等な人種。考える頭など持っていないか。


「よく分からないけど、何か困ったことがあったら教えて。お得意様料金で片付けてあげます」


 少女は親切心から魔女に救いの手を差し伸べようとするが、どこか困った顔をして魔女はそれを断る。


「ありがたいのだけど、これくらい私の力でどうにかするわ。そうしないとおバカな方たちに舐められてしまいますもの。ここは私のお城。よほどのことがない限り、困ったことにはならないのよ」


「そうですか」


 少女は別段気を悪くした風でもなく、扉に手をかけて外へ出ようとする。

 本人が大丈夫と言っているのだ。これ以上のセールストークは御法度になる。これもこの世界で生きるために必要なこと。特にここは中立地帯。余計な干渉は縄張り争いに巻き込まれて、平穏な生活を手放さなくてはいけなくなってしまう。


「それでは七日後に」


「ええ、待っているわ」


 お互いに軽く頷いて少女は外の闇の世界へと身を投じる。

 ここは魑魅魍魎が跋扈する弱肉強食の世界。

 生きていくためならどんな手段でも正当化される退廃した街。

 弱みを見つけても、それを信じてはいけない。なぜならば、それは獲物を捕まえるために照らされた誘蛾灯なのだから。


 魔女は少女の姿が見えなくなるのを確認すると思わずため息をつく。それは緊張からくるものだった。

 少女に気取られることのないように平静をよそおっていたつもりだったが、もしかしたら気づかれていたかもしれない。

 それほどあの少女は油断ならない人物だったのだ。


「しかし、一体どういう心境の変化なのやら。今まで一人で活動していたというのに、いきなり相棒となれるペットが欲しいだなんて」


 彼女は強い。それは気持ちがというのではなく、単純に暴力での話だ。

 今までにどれほどの人間、怪物、異形を狩ってきたことか。恐らくここが見過ごされているのも単純にどの陣営にも属さない中立地帯だからに過ぎない。

 もし、彼女の要望に沿わないモノを提供したとあっては、気を変えてここを潰しにかかるかもしれなかった。

 しかし。


「アレに見合う生き物なんているのかしら。本人は犬が良いと言っていたけど、とてもじゃないけど耐えられるとは思えない。そもそも彼女の嗜虐性に一日でも持てば大したものだわ」


 魔女は部屋で転生を待っている男の姿を思い浮かべる。

 あの軟弱そうな男がいくら転生しても狩りの役に立つどころか、彼女の愛撫にすら耐え切れないことは明らかだ。

 だが、こちらも商売。相手がどんな化物だろうと鐚一文負けるつもりはないし、返品も受け付けない。潰れてしまったのなら、また新しい人間を紹介するだけだ。


「ま、それはそれで売上が上がるのだからいいのだけど。今更、落とされて困る評判もないし」


 微温く饐えた匂いのする風が艶やかな黒髪を揺らす。

 それはどこか嗅ぎなれた鉄臭いものを含んでいるように感じた。

 嗚呼、またどこかで人が死んだに違いない。少し経てばここの空いた部屋に魂が収容されることだろう。

 今度はどんな生き物に変えてやろうか。

 魔女は仕事と趣味を兼ねた神をも冒涜する禁忌に体を震し、一人静かに悦に耽る。


 ✽   ✽   ✽


 ここは死んだ人間の行き着く地獄だ。

 夢も希望もなく、前世より良い生活ができる保証などどこにもない。

 良くて愛玩動物。悪ければ奴隷としての人生が待っている。そして、それを搾取しようとする悪鬼もいる。

 どこかの国では死後は素晴らしい世界が待っていると教えている国があるというが、それが正しいかは死んでみなくては分からない。

 だが、ここに奇跡的に記憶の持ち越しに成功した俺がここに記す。

 出来ることなら寿命は全うしろ。下手に体力のあるうちに死ぬと、この世界の人間に目をつけられて無理やり奴隷にさせられるぞ。ま、それが良いか悪いかは人それぞれだがな。

 もし、何か間違って元気なうちに死んじまったら、そうだな。せいぜい、目をつけられないように静かに息を潜めているんだな。運がよければ優しいご主人様に出会えるさ。

 だが、外に出たらこれだけは守れ。

 絶対に黒い服を着た女に近づくな。奴はし(ある奴隷の手記はここで途絶えている)



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