1415
リサの視界を覆っていた光が徐々に引いていく。周囲を見渡すと、そこはいつもの風景、リサの職場だった。本が再び強力な魔力を放ったためか、職員が集まっている。
雨でびしょ濡れだった。周囲からリサを心配する声が上がる。検知器を用意するように言った同僚の話では、機材の準備が終わってもなかなか来ないリサのことが気になっていた時に強力な魔力を感じ、本が保管されていた部屋に戻ると、既にリサの姿はなかったそうだ。
上司の計らいで、その日は一旦帰ることになった。本は同僚が細心の注意を払い、再び調査するそうだ。いなくなってから期間が空いていたようで、その間捜索してくれていた警察にも連絡を入れておいてくれるらしい。
びしょ濡れの格好にコートを羽織っただけの格好の彼女を不思議そうに見る人もいる中、家へと歩いていく。空を見上げると雲一つない空が夕焼けのオレンジ色に染まっていた。
翌日、リサは自ら自分の身体を検査して欲しいと願いでた。魔力を持つ量が明らかに増えていた点もあるが、彼女は通勤時に一つ気づいていたことがあった。今まで感知していた以上に道行く人々の魔力が見えているのだ。今まで普通と思っていた見える情報が、まるでメガネでも掛けたかのように今まで以上にはっきり見える。目を閉じていても人にぶつからず歩けそうな程にだった。
検査の結果はリサが自己分析していた通りだった。検査を受ける際の服装から白衣に着替えていると、同僚が声をかける。
「リサさん。……この本は以前と同じようにただの本になっていました。念のため注意しておくのはもちろんですが、内容を読んでみておいたほうがいいと思います」
リサは同僚の言い方に疑問を抱きながらも、本を受け取る。以前見たときにはなかった、本のタイトルが書いてあった。
―思考データ 1415号―
ACTIVITY_LOG_1415:1103/0000
今日も行動に異常は無し。
ACTIVITY_LOG_1415:1104/0000
今日も行動に異常は無し……
何かの機械の可動記録のようだった。ひたすら続く「異常なし」にリサは目を通していく。その中で一つの記録に目が止まった。
ACTIVITY_LOG_1415:1219/1730
帰宅時に人間、女性を確認。意識を失っている。雨天のため、部屋に保護。経過を観察。
ACTIVITY_LOG_1415:1220/1700
人間の意識が戻る。人間の体調の不良。人間には食料が必要。行動終了後、区域外にて食料を調達。規則外。
ACTIVITY_LOG_1415:1221/1327
思考プログラムに異常を確認。行動中、保護した人間に注意が向く。前例のない異常。要注意。
そこには、男とリサの行動がつぶさに書かれていた。部屋には監視カメラでも付いていたのだろうか。
ACTIVITY_LOG_1415:1222/1711
明らかに思考に異常がある。彼女のことが気になってしょうがない。食料を調達。規則外。
ACTIVITY_LOG_1415:0101/0000
思考データを提出。やはり俺には異常があるらしい。故障したとして廃棄されることになるだろう。彼女が【心配】だ。おそらくこの感覚も異常なんだろう。
ACTIVITY_LOG_1415:0101/1121
異常な魔力が観測され、その特定が進められていたようだ。観測された日付は彼女を保護した時と一致している。研究対象として拘束する用意も整っているようだ。彼女が危険だ。何とかして【助けたい】。
ACTIVITY_LOG_1415:0102/1011
彼女を捉えるための動きが見えた。俺は行動を中断し、彼女の元へ急ぐ。まだ間に合うだろう。この感情は何なんだろうか、心配だ、嫌だ、彼女と離れたくない。俺が守らなければならない。行動を中断したのは初めてだ。静止の声がかかるが、そんなことは関係ない。雨の中ひたすら走るしかない、俺の体は疲労とは無縁だ。
間に合った。彼女を促し急ぎ部屋を出る。追っ手も、もうたどり着いているのだろう、階段を駆け上る音が聞こえる。やむを得ない、廊下から飛び降りよう、【恐怖】を感じたこともなかったつもりだったが彼女が怪我しないか、それだけが不安だった。これが【恐怖】なのかもしれない。彼女を抱き抱え身を投げ出し、着地する、彼女は怪我ひとつない、よかった。脚部は衝撃に耐えられずその活動の大部分を停止していたが、彼女が無事ならそんなことはなんとも感じない。そもそも痛覚自体ないがこれはそれとは違う気がする。
これで最後になるんだろう。彼女が逃げる前に、最後に一つだけお願いをした。
「抱きしめさせて欲しい」
勝手な願いだったが、彼女は応じてくれた。温度など感じることのない機械の体のはずだが、確かに温もりを感じる。【気のせい】かもしれないがそれだけで【嬉しい】、それで十分だ。ほんの数秒の後、彼女は駆け出した。あとは逃げ切るのを【祈る】だけだ。
追っ手が迫る、細い路地だ、俺が食い止めよう、彼女のために。いくつもの魔法が飛んでくる、【恐怖】などない。どうか無事でいてく
本はここで終わっていた。
リサは自分が涙を流していることに気が付く。男は機械だった。だがここまで一途に、大事に思われていたのだ。男は、リサを愛していた。
本はもう光らない。どのみち、またあの世界へ行くことは危険だろう。
何より、男の「無事でいてほしい」、その願いがリサの心に強く響いていた。
過去を思い出しながらリサは暫くブックの表紙を見て、中を見ずに本棚に戻した。
もうあの世界に行くことはない、それにあの世界には男、1415号と呼ばれていたその男も、もういないのだろう。