帰還
光が引いていく。
身体を起こすと、見慣れた景色だが、どこか懐かしい夕暮れの景色が広がっている。いつもの通学路の、本が落ちていた茂みの脇に三人はいた。
「オレ達、帰ってきたんだな」
さっきまでいた【ファンタジカ】が嘘のようにそれ以前の日常がそこにはあった。しかし、輝きを失った本と、三人の体の傷と、身に付ける防具と武器が【ファンタジカ】が確かな現実であったことを示している。
「図書館のお爺さんが、ここでも時間は経過すると言ってたな。とりあえず親に連絡してみないか?」
タツの提案で三人はケータイを取り出す。だが、ケータイは当然のように電池が切れていた。
「あぁ……そうだよな、そりゃそうだ。忘れてた」
リュウの言葉に二人も苦笑いする。ケータイも時計も通用しない世界に長く居たので、その存在も忘れてしまっていたのだ。
「……帰るか」
「そーだな」
「それがいい」
三人は歩き出す。
「……ただいま」
リュウは家の鍵を開け、玄関の扉を開ける。それと同時に、家の中から走ってくる大きな足音が聞こえた。
「流! 流なのね! よかった……。帰ってきてくれた……」
リュウの母だ。抱きついてくるその眼には涙が浮かんでいる。
「警察の方が言ってたわ、あの行方不明に巻き込まれるなんて……。とにかく戻ってきてくれて本当によかった……。電話をかけても電波も繋がらないし、本当に心配してたの……。そう! 龍介くんと辰彦くんは?」
「スケとタツなら一緒だよ。もう帰ってるんじゃないかな」
「そうなの……? よかった帰ってきてくれて……。お父さんと二人のご両親にも電話しなきゃ……警察の方にも……」
慌てて電話をかけ始める母をおき、リュウは二階の自室へ向かう。
カバンを床に放り、盾を置き、着たままだった甲冑と制服を脱ぐ。全部ボロボロだった。母は動転していたので気付かなかったのだろう。
なんとなくベッドに横になる。柔らかい布団で寝るのは城を出て以来だろうか。見慣れた天井を見て思う。
「帰ってきたんだな」
リュウはそのまま眠ってしまった。
次の日、土曜日。
リュウは目を覚ます。一度目の、一日に一度きりの夜明けだ。日の出と同時に起きたため、まだ一階には人の気配はない。
放置していたケータイを充電器に刺し、電源を付ける。起動してみると友人からの電話やメールなど、様々な通知が溜まっていた。
それらを一旦後回しにし、スケに電話をかける。
「ようスケ」
「リュウかー、やっぱこの時間に起きちまうよな。学校のヤツらには、オレらは無事だって昨日連絡入れといたぜ。オマエそういうの後回しにしそうだもんな!」
「流石、わかってんな。助かる。……昨日俺が帰ったあとに帰ってきた親父にめちゃくちゃ怒られちまったよ。ハッ、事故だからしょうがねぇよな?」
しばらく二人はファンタジカの思い出を語り合う。するとスケが言う。
「……なぁ、本はどうなった?」
「俺が持ってるけどまだ見てない、カバンに入れてそのままだ。一人で見るなんて怖くてできるかよ」
「今日、タツと行っていいか? もちろん装備も持っていく。念のためな」
「ああ、わかった」
電話を切るとリュウは再びベッドに横になる。
外はまだ朝焼けに染まっている。しかし眠る気にはなれなかった。今までならまだ眠っている時間のはずだったが【ファンタジカ】での生活が体に染み付いている。
訓練を受けていたときは、急いで朝食をとっている頃だろうか。旅立ってからは、魔王のもとを目指し動き始める時間だろう。
昨日まであの世界にいたはずなのに、既に遠い昔のことだったように感じる。手元に残ったのは装備と【本】のみだ。
太陽が天を突く頃、スケとタツがやってきた。リュウの母親は、二人が無事だったことに喜んでいたようだ。
「……よし、開くぞ」
リュウの部屋、三人共、武器と防具を完全に装備した状態だ。傍から見れば、絵本を囲んでこの格好は異様だっただろう。リュウが本を開く。
特に異変はない。
それは予想の範囲内だった。元々この本は【黄昏時に光る本】なのだ。ページを進めていく。
さらわれる姫、四人の騎士、滅んだ村、救えなかった少女、魔王との戦い。
絵本というには重すぎる内容が詳細に記されてあった。だが、確かに三人が体験したことばかりだ。
すると、タツが気づく。
「アヤのことが載っていない……?」
リュウが再びページをめくる。
-さいわい さいごの むらは-
-あまり まものの ひがいを うけていませんでした-
更にページをめくる。
-こうして 4にんの きしたちによって せかいは すくわれました-
スケも気づいたようだ
「……書いてねーな。完全に抜け落ちてる」
「どういうことなんだ……?」
リュウも疑問を口にする。しかし当然、三人に答えはわからなかった。
夕刻、日没が近づいている。
「そろそろ光るんじゃねーかな」
スケが言う。本は閉じて部屋の隅に置いてある。気休めでしかないかもしれないが、不安があったからだ。時間は過ぎていく。
「まだ光らねーのかー?」
日は完全に沈んだ。
「結局、光らなかったな」
タツの言葉にスケが唸る。
「うーん。やっぱりもうオーシンさん達には会えねーんだな」
「ハハッ、また行っても帰れる保証もねえだろ?」
その時玄関の呼び鈴が鳴る。リュウの母が出たようだ。何事か会話していたようだが、暫くするとリュウの母の呼ぶ声がする。
「流ー! 降りてきなさーい! 龍介君と辰彦君もー!」
「わかったー!」
リュウが返事をする。
「なんでお前らもなんだ?」
何事かはわからないが、とりあえず降りると玄関にはスーツを着た男が二人立っていた。
「君たちが行方不明になっていた三人だね?」
メガネの若いスーツの男が言う。
「こんな時間にすまないが、一緒に来てくれないかな」
「すいません、誰ですか?」
背の低い中年のスーツの男が答える。
「これは失礼しました。ゴトウといいます。警察関係のものです。【本】について、と言えばわかってもらえるかな?」
「……わかりました。ごめん母さん、ちょっと出てくる」
「わ、わかったけど……」
「着替えた方がいいですよね?」
ゴトウが答える。
「いや、そのままで構わないよ。見たところ【その時】の格好なんだろう? むしろその格好で来てほしい」
「ほかに何かあればそれも持ってきてくれないか。」
「わかりました。」
部屋に戻るとスケが小声で言う。
「どーなってんだよリュウ。なんでケーサツが来てんだ?」
「どうもこうもねぇよ、俺たちは二ヶ月近く行方不明だったんだぞ」
タツが続いて言う。
「本のことも知っているようだったな。【ファンタジカ】と同じように俺たちの世界でも調査されているんだろう」
三人は本と荷物を担ぎ、家を出た。
家の前の車にスーツの男達と乗り込む。メガネの男が運転手のようだ。車が走り出す。助手席のゴトウが話し出した。
「君達のような【特殊な】行方不明の事例が増えてるのは知ってるかね?」
「タツが言ってたよーな……」
ゴトウの話では、本で行方不明になり、そして帰ってきた【体験者】達からの情報を集め、研究、対策を立てる機関が立ち上げられたそうだ。
「そこで【体験者】、彼らの話から私達は【トラベラー】と呼んでいる。トラベラーである君達から話を聞きたい。そして持ち物も調べさせて欲しい」
車は走り続ける。
「ようこそ、【トラベラーズホーム】へ」
気が付けば車は白い、真新しい建物の前に止まっていた。
「ここでは魔力検知官などの専門家が常駐している。もしまた本を見つけるようなことがあれば、必ずここに持ってくるようにして欲しい。本を持ってくることは未だに新聞の片隅に載る程度の事態でしかない。だが、確かにそれなりの件数が起きているんだよ」
続いて施設の説明を受けながら建物の中を進む。その多くは資料室であったが、その中に大きな書庫があった。
「ここは、【黄昏時に光る本】を保存しておく場所だ」
「この本のことを私達はそのまま【ブック】と呼んでいる」
本棚にある本はまだ棚一つを満たせない程度だった。
「もう光らない本、つまり無事戻ってきたトラベラーは解っているだけではこれだけだ」
「今はこの程度だがこれからブックは増えていくだろう」
「ブックを集め、専門家に調査させる。ここはそのための施設だ」
先へ進もう。その言葉に書庫を後にする。
「ここが最も人のいる場所。魔力調査室だ」
トラベラーズホームの最も奥の部屋。ガラス張りのその部屋では数人が機械を持って作業している。その中の一人のスラっとした女性がこちらに気づき部屋を出てきた。
「その子達が連絡のあった?」
「ああ、流君と辰彦君、龍介君だ」
「そうか、無事に戻れて良かったね」
「彼女が魔力調査室の室長だよ」
「リサだ、よろしくね。……じゃあ、あとは私が」
「では、よろしく頼んだよ」
ゴトウはそういうと、メガネの男と共に去っていった。リサ、魔力検知魔法を使える彼女もまた、トラベラーだそうだ。魔力検知自体は訓練することで誰でもできるようになるものだ。しかし彼女は元々、この世界のどんな魔力を検知するのにも苦労しない程度の力があったそうだ。
更に、魔力の豊富な異世界で生活した際にその能力は飛躍的に強化され、異世界の強い魔力を帯びたものにも対応できるようになり、室長という立場に抜擢された。
年齢は三十代前後といったところだろうか。白衣にパンツスタイル、色の濃い長い茶髪を結い上げている。黒縁の四角いメガネを掛けていて、左目の下に泣きぼくろがあるのが印象的だ。
「君達、魔力の濃い世界に行ってたんだね。服からも、君達自身からも魔力を感じるよ……フフフッ」
「はっ、はい。この世界とは比じゃない魔法をいくつも見ました」
リュウが答える。
「今日はもう遅いから荷物だけ預けさせてもらっていいかな? あぁ、どんな魔法が込められてるのだろう! フフフフ! 今から楽しみだよ!」
リサは、鼻息荒くひとりごちる。
「帰りももちろん送らさせてもらうよ。また明日、話を聞かせてね!」