捧げる話
「あなたが好きです」
わたしの初めての恋。初めてで、最後の恋。
初恋は叶わぬものと聞いたことがある。恋と自覚した時からもうわたしは死ぬことが確定していて、それならば確かに叶わないものだ。
それでも叶わないなりに、求められ求めるままに最期を迎えられるならば良かったのかもしれない。
告白された彼女はわたしの言葉にほんの少しだけ目を丸くさせて、そしてにんまりと満面の笑みを浮かべた。
「宙ちゃんってほんとに『異常』だよねぇ」
「そうでしょうか」
「自分の肉を食い千切ってる相手に告白とか相当ぶっ飛んでると思うよぉ?」
楽しそうに、嬉しそうに、わたしの肉を咀嚼しながら彼女は笑う。
わたしの血でべたべたに汚れてしまった口元を少しでも拭おうと手を伸ばせば、その手を掴まれて戯れる様に親指を噛まれた。
ズキリと痛みが走るけれど、噛み千切らない程度の甘噛みなのは分かる。ぬらりと親指を舐められて、その感触にうっとりとしてしまう。
「宙ちゃんは変態さんだねぇ」
「不本意です」
「んー、それじゃぁ物好き?」
「それは―――否定できませんね」
彼女は笑った。笑って、食事に戻る。わたしはそれを止めない。眺め続ける。見つめ続ける。
掌に口付けを落とされる。親指の下の、柔らかい肉を食まれる。手首に咬みつかれる。舐められる。
彼女に味わってもらえる事が嬉しい。足以外を噛まれると痛いけれど、それ以上にドキドキする。その姿を見れるだけで、食されると感じるだけで、幸せを感じるのは成程確かに『異常』なのかもしれない。
「宙ちゃんは何処も柔らかいねぇ、噛むのも触るのも気持ちいいよぉ」
「紅さん、言い方がちょっといやらしいですよ」
「いやらしく言ってるつもりだからね」
熱っぽい目で見つめられれば、ごくりと喉が鳴ってしまう。
そんな目で見られるのは、求められるのは、今まで生きてきた中で初めての事で。
否応にも高鳴ってしまう心臓はわたしの気持ちに正直すぎる。
「でも、本当に気持ちいいんだよぉ?宙ちゃんってすべすべの肌しててさぁ――」
彼女の手がわたしの頬を撫で、首に這わせ、鎖骨をなぞる。まるでわたしの体を、肌をすみずみまで確認するかのように触れ、撫で、なぞる。
手は動き続け、彼女に比べると恥ずかしい位に未発達な胸、微かに浮き出たあばらの輪郭、呼吸と一緒に微かに動く腹を通り、そしてその下へも―――。
「…っ…紅さんっ!?」
「んふ、宙ちゃんはまだまだ子供だねぇ」
手が離れ、彼女はくすくすと笑う。灰色の目が蕩けて、何処か扇情的で、挑発的な笑み。
ああもう、変態なのはどちらだ。でもそんな人を好きなったのはわたしだ。それならば、まぁ、お互い様なのだろう。
それでも言わずにはいられない位には恥ずかしいのは仕方ない。仕方ないのだ。
「紅さんの方こそ変態じゃないんですか?」
「こーちゃんが変態なのは今更だと思うよぉ」
あっさり肯定されてしまった。自分で言われてしまったら文句の付け様がない。自覚があるのはより厄介だ。
彼女が満足するまで体中を撫でられて、くすぐったくて、それでも嬉しいだなんて厄介だ。
紅さんはわたしの足を気に入った様で、何度も何度も太腿を揉んで弄ってくるのは恥ずかしい。いや、違う。恥ずかしがるから気に入っているのか。
「もぅ、紅さん!」
「あはは、宙ちゃんが怒ったー」
にやにやと紅さんは笑って、笑って、笑って、弄り続けていた太腿に唇を落とす。口を開いて、わたしの肉を噛みしめる。
味わうように。甚振る様に。触れる。揉む。咬みつく。撫でる。噛み千切る。食べられる。咀嚼して、飲みこんで、糧にする。
血が流れる。頭がふらふらとする。彼女の美味しそうな顔をもっと眺めていたくて、揺れる視界を堪えて見つめ続ける。
少しでもわたしを生かして食らえる様に、紅さんは上手く太い血管を避けて食い千切っている。そのお蔭で傷口から大量の血は出ていない。
それでも血はとめどなく流れている。流れ続けて、飲まれて、啜られている。
「……っ!」
少しでも身動きすれば、彼女の手が痛いほどにわたしの手を握りしめた。
逃げない様に、離さない様に。
逃げないのに、離れないのに。
徐々に、徐々に、思考が鈍っていく。それでも彼女を見ている。
ずっと見ていたから、見つめていたから。
気付いてしまった違和感。彼女の狂気の中に感じる渇いた何か。
「紅さんがすきです」
「うん」
「だいすきです」
「やぁん、照れちゃう」
くすくすくすと笑っている。笑ってくれている。
ただ、それだけだ。
ゆるゆると緩んだ笑顔。美味しそうに食す顔。至福を感じている顔。
でも、それだけだ。
その目は。瞳は。捕食者のそれで。飢えた瞳で。
乾いて、渇いて、ギラギラとした欲望の光を纏った渇望する瞳。逃がさないと、離さないと、爪が食い込むまで握り絞めるその手。
逃げないのに、離れないのに、まるでそれを疑うように。
それは、その意味は。
肉を、命を、感情を、言葉を与えられて尚、それが理解できない。理解しようとしない。
あぁ、それはなんて―――。
「紅さん」
「紅さん」
「紅さん」
何度も、何度も彼女を呼ぶ。食事の邪魔をしたくないのに、それでも呼んでしまう。
呼ばなければいけないと思ってしまう。
「どぉしたの宙ちゃん、甘えたい…………の?」
顔を上げた彼女の、貼り付けたかの様なにやにやとした笑いが止まった。目を大きく開いて、驚いた顔でわたしを見つめている。
その後に浮かべたのは、眉を寄せて戸惑った顔。今更何だと言っている様な複雑そうな顔。
「宙ちゃん?」
わたしの手を握り絞めていた彼女の手が、わたしの顔へと。湿った感触が目から頬を伝って、彼女の指を濡らして。
「紅さんがすきです」
「うん」
「すきなんです」
「知ってるよぉ?」
「それだけですか」
まるで終わりのない穴を埋め続ける様な。果ての無い道を歩き続ける様な。不毛の大地にすぐ乾いてしまう水を注ぎ続ける様な。
結局はわたしの気持ちも何もかも、彼女には届いていないのだ。
嬉しそうに受け取ったふりをして、終わればすぐに捨ててしまうものなのだ。
それが寂しくて、悲しくて、涙が溢れた。
だから。だから。
「ねぇ、宙ちゃん、どぉしたの?何が言いたいの?」
「わたしを、忘れないで下さい」
「………」
彼女からの返事はない。彼女はわたしの気持ちに何も返さない。受け取るふりをするだけだった。
わたしの心を、気持ちをあれだけ暴いて、晒して、食いついて、その肉を求めている癖に、好きだと返す事だけはしなかった。
いくら興味を抱こうと、求め求められようと、わたしも結局は真紀さん達と変わらない。
彼女にとって『食べ物』としか思われていない事が、どうしようもなく寂しかった。
いや、それでも良い。これはわたしの勝手な感情だ。わたしは彼女が好きで、彼女にとってはただそれだけの存在だ。
でも、でも。せめて。
「この気持ちを覚えていてほしいんです。わたしを『食べた』後もずっと覚えていてほしいんです」
せめて忘れてほしくなかった。
わたしの名前、声、味、身体、言葉、感情、少しだけでもいいから覚えていてほしくて―――。
「無理だよ」
返された言葉には何も感情がこもっていなかった。断る言葉に何の容赦もなかった。
それまで浮かべていた緩んだ笑みも、複雑そうな顔も、全部全部全部、削ぎ落として、殺ぎ落として、何もなくなったその顔。
きっとこれが彼女の素顔。
「ちょっと前に食べたご飯とかさ、大抵の人は忘れてるじゃん。それと一緒。忘れないなんて無理だよ」
「……そうですか」
無慈悲だ。それが本当の彼女なのだろう。完全にわたしを『食べ物』としか見ていない、そんな目。
いつのまにか、彼女はわたしの首に手をかけていた。すぐに絞め殺せるように。殺す機会を伺うように。
「食べられるの嫌になった?」
「いえ。今でも紅さんに食べて貰いたいですよ」
首にかけられた手にわたしの手を重ねて、何も浮かばない顔に笑いかける。
少しだけ眉が顰められて、何もなかった顔に『感情』が浮かんだ。何も感じないわけではないのだ。彼女は、紅さんは、完全な『無』ではない。
だから、わたしはわたしの気持ちを伝えることにした。どうなろうとも、伝えなければ始まらない。
「でも、今は嫌です。好きな人に忘れられちゃうなんて悲しすぎますから」
「………」
貧血になりかけた頭で、それでも必死に言葉を紡ぐ。
彼女がその気になれば、容赦なく殺されるのに。食べられるのに。それでも。
「だから、大きくなるまで貴女の傍に居させてください。それまでに紅さんに忘れられないわたしになれる様に頑張ります」
「……………なに、それ」
しばらくの沈黙の後、彼女は笑った。ゆるりと緩んだ――自然に緩んだ笑顔を浮かべた。
思わず笑ってしまったというような、そんな顔だ。
「それって大人になるまでおあずけってこと?ここまで食べさせといて我慢しろっていうのぉ?生殺しじゃん?」
手は未だに首にかけられたままで、そのまま力を入れられればわたしは絞殺される。なのに、不思議と彼女を恐いと思わなかった。
今の彼女ならわたしの言葉が届くと、何故かそう確信できた。何故かはわからないけれど、きちんと言葉を受け止めようとしてくれているような気がした。
「こんな足で良ければ、今すぐにでもあげられます。だから、他の部分は少しだけ我慢してください」
「あっはは!足をあげるって何?その足、2本とも切り落としてもいいってこと?」
彼女は笑う。何時もの彼女のような、そうじゃないような、表と裏の混ざった顔。
彼女の言葉は決して脅しじゃない。わたしが求めるのなら、それなりの代価を、代償を、彼女は求める。
「貴女がそう望むのなら」
だから、わたしも応える。その求めに頷いて、微笑んだ。
わたしの笑みに、彼女の笑みが割れる。
真顔。何もないかおに戻って。
「ほんとうに?」
「本当に」
首にかけられた手が離れて、わたしの頬へ。
「ボクから逃げない?」
「逃げませんよ」
「ワタシの傍にいる?」
「傍にいますよ」
「アタシに食べられてくれる?」
「それがわたしの望みですから」
彼女の言葉すべてを肯定していく。安心させる様に。認めて貰える様に。彼女に伝わる様に。
ぼんやりと白く霞んでいく視界が、思考が、血を失い過ぎたことを知らせていた。
それでも、最後まで彼女の瞳を見つめ続けた。彼女がわたしを見てくれるように願って。わたしの気持ちが伝わるように願って。
「わたしは貴女のものですから。だからどうか、傍に置いてくださ、い―――」
意識を失う一瞬。その一瞬だけ。
親とはぐれた迷子の様な、どこか泣き出しそうな彼女の顔が見えた気がした。
忘れなくさせてやんよと意気込む狂人といきなりお預けを食らう狂人の話。
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